第32話 襲撃2

 街を出る時に、ガルムは背後を振り返って隊列を見直し、部下に言い聞かせた。

「ちゃんと並ばぬか」

 チムガはガルムの手兵に増援の兵士をつけてくれるという好意を見せた。前方を行くチムガ自身が率いる兵士が三十人、ガルムにつけてくれた増援の兵士が二十人、ガルム自身の兵を合わせると、チムガとガルムが同数の兵を率いる事になるというほどの好意である。しかし、ガルムとその手兵の前後を十人づつのチムガの正規兵で固められると、いかにもガルムの兵士が素人っぽく情けない。

(鍛え直さねばならぬ)

 ガルムはそう考えたが、今はその時間がない。

 街を出て、しばらく行軍すると、何やら前後を正規兵に固められて窮屈な感じすらする。何やら前後から殺気を感じるようで、敵に挟み撃ちにされているような圧迫感さえ感じるのである。この時、チムガに付き添っていたはずのグーロンの輿が戻ってくるのが見えた。ガルムは気付いてその名を呼んだ。

「グーロン殿」

 声を掛けたものの返事がない。グーロンは輿を担いでいた下僕に命じて、腰を地面に下ろさせ、輿から下りて片手を上げた。それが合図だった。ガルムの後ろの兵が十人、一斉に剣を抜いた。その目に殺気を放っていて、背筋が凍り付くほどの残忍さを感じさせた。

「何だぁ?」

 振り返るガルムの兵らに怯えの色がある。前方に向き直ると、前方の兵士らも揃って剣を抜いていて、その切っ先に殺気がこもってガルムらに向けられていた。ガルムたちは前後を挟まれて逃げ場がない。この時に、ガルムの本能が剣を抜かせた。幾多の修羅場をくぐった経験が、この場でガルムに冷静さを与えていた。ガルムは生き延びるために命じた。

「ルト、剣を抜け。皆も槍を構えよ」

 酒場の老人に紹介された男達も、生き抜いて行くために、それなりに修羅場をくぐってきた連中に違いなかった。彼らはガルムの言葉に、互いに背を向け合って輪になって槍を構えた。勇敢であるというよりは、この場を逃れるために槍を構えなければならない事を知っているのである。荒くれどもが生き延びるための知恵である。

 グーロンは無表情のまま、合図の手を振り下ろした。

「やれっ」

 正規兵達は剣を構えてガルムらにじりじり迫ったが、切りかかる事が出来ない。ガルムの兵の構える槍に阻まれて間合いを詰める事が出来ないのである。

「よし、このまま」

 ガルムが命じる声に応じるように、グーロンが兵に怒鳴った。

「馬鹿め。さっさと始末せんか」

 グーロンの叱咤に、正規兵の一人が槍をかいくぐって飛び込んできたが、ガルムに一刀のもとに斬られた。

「よし、一人っ」

 ガルムは味方を勇気づけるように叫んだ。

 やや元気づいた感もあるが、未だ二十人の敵の内の一人である。しかし、人数や訓練で優勢なグーロンの側にも焦りがある。ガルムを囲みながら全く手が出せないのである。グーロンは弓兵を連れてこなかったのを悔いた。

「かかれ、かかれ」

 グーロンは兵を叱咤したが、かえって、兵がガルムに突かれ、ルトの太い腕が振り回す剣に叩き潰されるように斬られた。ガルムたちの円陣がくずれない。ガルムの兵が作る円陣と、それを取り囲むグーロンの正規兵の円陣がじわりじわり空いた東側へ移動している。グーロンはただ兵を叱咤するしかないのである。

「ええい、全員でかかれ」

 グーロンにはやや焦りがある。さっさと仕留めて、兵を率いてチムガの手勢に加わらねばならない。こんなところで手間取るわけにはゆかないのである。しかし、ガルムの側にも焦りと迷いがあった。

(何故、突然襲われねばならぬ。万事うまく運んでいたはずだ。どこに手違いがあったのか?)

 そういう心の迷いのために、切り込んできた兵に一撃を加えるのが一瞬遅れた。ガルムが飛び込んできた兵を斬る前に、その兵の剣がガルムの横にいた岩囓りの槍を払い、その剣の切っ先が岩囓りに届いたのである。。

 岩囓りは左の鎖骨から胸骨の辺りまで切り下げられて悲鳴を上げて転がった。

(まずい)

 この老獪なガルムは思った。仲間が斬られて、残った部下の間に一瞬怯えが走ったのが分かったのである。まもなくガルムの円陣は崩れに崩れた。ガルムの部下はめいめいに、気ままな方向へ逃げだした。自分が生き延びるために、やみくもに活路を求めて四方に散ったのである。

「戻らぬか」

 ガルムが叫んでも、戻る者がない。熟練した兵士は五名ばかりでガルムとルトを囲み。残りの兵士は逃げる者どもを追ってその背に切りつけた。見るまに、散った者はなますのように刻まれて、残った者は背中合わせに身構えるルトとガルムのみである。チムガの兵士の輪は縮まりつつあり、グーロンも落ちつきを取り戻しつつある。

(これまでか)

 ガルムは自分の運命をそう思い、ルトはじっと黙って身構えている。何かを話したとたんに切れてしまいそうな緊張感がある。

「かかれっ」

 グーロンが声を上げたが、かえって味方の兵が失われた。ガルムが振る剣はまだ鋭かった。ガルムは繰り出された剣を払い、相手の喉元に切っ先を突き刺しつつも、何かを考え続けていた。

(こんな馬鹿な事があるものか)

 つい昨日まで、ここで仕官し、都に出ることができると信じていたのだ。ガルムは更に一人を切ったが、肩で大きく疲労に喘いでおり自分の年齢を自覚した。逃げた者どもを片付け終わった兵士が戻ってきてガルムとルトを囲む輪が厚く小さくなった。

(儂の運命もこれまでか?)

 剣の束を握る手の握力が落ち、剣の束が血糊でぬるりとする。一方、師匠と背中合わせのルトもこれまでかと思いつつもこのような意味もない殺され方をする腹立たしさで剣を振り回していた。

 その時、一筋の矢の音がした。兵士が一人、腕に矢を受けて転がった。

「ルト、今だ」

 ガルムは叫び、兵の囲みを破ろうと衝いて出たが、兵士の囲みが厚い。ガルムの突き出す剣がなぎ払われるように側面から切り込まれ、ルトが剣を振り回すと、兵士の壁が柔らかく弾かれるように下がって崩れることがない。訓練を受けた兵士のそつのなさよと考えざるを得ない。

 しかし、二本目の矢が、二人目の兵士の腕に命中し、別の兵士は頭部に石を受けて転がった。何事かと、敵味方が凍り付くような一瞬の間があり、次の瞬間に木立を分ける気配があった。

 少年が姿を現した。戦闘の輪のすぐ近く、グーロンの位置からほんの数歩の距離である。ルシュウであった。

「人、争う、良くない」

 ルシュウは眉をひそめてそう宣言した。戦闘は停止した。しかし、この少年ほど、この場に似つかわしくない人物はない。

「あの馬鹿が」

 バンカはそう言って舌打ちをし、前進を停止した。彼はその身を戦闘を見おろす斜面のやや上方の薮の中に伏せている。チムガを弓で居殺すために来たが、偶然にこの光景に出会ったのである。しかし、あの連中に加勢するにしても、この藪に隠れたまま弓を射ることもできたはずだった。わざわざ敵に身をさらすなど、バンカにはルシュウの行為が解しかねた。しかし、領主チムガを狙撃するのにルシュウの協力が不可欠だった。ルシュウを残してこの場を去るわけにはゆかず、事態を見守るしか無いのである。

 我に返ったガルムは、ようやく余裕が出来、彼を囲む兵の壁越しにグーロンに怒鳴った。

「グーロン殿、お聞かせ願いたい。何を血迷うて、我らを襲う?」

「そうだ、仲間じゃねぇか」

 ガルムとルトの言葉にグーロンは笑った。

「ガルム殿、ルト殿。私は視察司を襲った野盗を討伐しているのだ」

 そのグーロンの言葉にガルムは悟った。彼らは野盗に仕立て上げられているのである。ガルムら野盗の集団が貴族を襲った。そして領主チムガの手勢が駆けつけて野盗を討伐したものの、すでに貴族は殺害されていた。そう言う筋書きだ。ここで殺されたガルムらは、これから殺害される貴族の死体の側に転がされて、貴族を襲った盗賊として扱われるのである。ガルムはその筋書きの中に組み入れられているのが腹立たしいが、どうすることもできない。 その中、ルシュウは繰り返した。

「人、争う、良くない」

 一方、グーロンにも迷いがある。そのグーロンの迷いが、彼を黙らせ兵士たちの剣を停止させた。

 グーロンのほんの数歩前に少年がいる。グーロンが剣を抜けば、その切っ先は容易に少年の首筋に届くだろう。そう言う距離である。その少年がいやに威張り腐って、信念に満ちた様子で、グーロンに戦闘停止を命じているのである。

(人には人を動かすものがある)

 グーロンの信念である。グーロン自身を動かすものは領主チムガに付き従い、そこから得られる利である。あのガルムという男を踊らせるのは名誉欲だろう。ガルムに付き従う大男を動かすのはその日その日を無事に飲み食いして生き延びてゆきたいという欲だ。

 しかし、この少年を血生臭い場所に立たせているものは何だろう。グーロンは少年の頭の先から爪先までなめ回すように観察した。一言で言えば、辺境の蛮族の少年という以外に特徴らしいものがない。

 しかし、グーロンを支える者がチムガであり、チムガを領主として支え動かす者が都の高官であるように、

(この得体の知れない少年の背後にも、とんでもない大物が存在するのではあるまいか)

 グーロンはその経験から、少年をそう想像せざるを得ない。しかし、少年の身分を証明する物が無い。粗末な貫頭衣を纏い、右手に弓を持っているが、山の民がもつ粗末な物だ。いや唯一、矢筒と共に背負っている剣がある。頑丈な作りらしいが、その束は虚飾の無い頑丈そうな剣で、貴人の持ち物ではないだろう。しかし、何か心惹かれる剣でもある。

 グーロンは言った。

「名を名乗れ」

 そんなグーロンの言葉の意図が飲み込めないのか、少年は僅かに首を傾げて黙っているのみである。物わかりの悪い少年に腹を立てたグーロンは優しい言い回しで言い換えた。

「儂は領主チムガ様に仕えるグーロンである。おまえの名は?」

「シオルクとイジェナの子、ルシュウ」

 イジェナという異国の名には聞き覚えがない。シオルクという名はムウ本土の男性の名だが珍しい名ではなく、都の高官とのつながりが読めない。やはり、秘密はあの剣に隠されているのではあるまいか。少年と都の高官のつながりに拘るのはグーロンの性質だろう。

「剣を見せよ」

 やはり、グーロンの言葉の意図が良く理解できないように、少年は黙ったままだ。グーロンは者代わりの悪い少年に寛大な交換条件を示した。

「儂も剣を渡す故に、おまえの剣を見せよ」

「この剣、『持って行け』でない」

 グーロンもまた、少年の言葉は判別しかねた。

「『持って行け』だと?。今しばらく、その剣を貸せと申しておる。儂の剣はその保障である」

 グーロンはこの異国の少年に、『今しばらく』を説明するのに即興の身ぶりをした。まず両手を大きく開いてから両手を合わせるほどに動かしたのはほんの少しの間というつもりであり、自分の肩を叩いたのはルシュウの背中の剣を示している。少年にさしのべた手を胸元に戻したのは、貸せというつもりだ。グーロンはそのジェスチャーをひどく困惑した表情のまま、しかし、ひどく真剣にやった。

 突然にぷっと吹き出したのは、グーロンの傍らの従卒である。しかし、従卒は侮蔑の視線を急速に恐怖の色に染めた。振り向いて従卒を眺めるグーロンの視線に憎しみが隠っている。

 グーロンは言った。

「剣を見せよ」

 その声には怒りが篭っていた。ルシュウは黙ったままだった。グーロンが追えば、獣のようにするりと身をかわして、逃げ出してしまいそうな気配があり、グーロンは目的を果たすことができないだろう。

「ルシュウ。剣を渡せ」

 兵士に囲まれたガルムがそう声をかけた。あと何人、道連れにできるか分からないが、このままではガルムもルトもルシュウも殺されてしまうだろう。殺されて剣を奪われるより、生きることを考えよと思うのだ。

「ルシュウ、剣を渡せ」

 ルトが先ほどのグーロンよりましな身振りで意図を伝えた。ルシュウは意味を理解したらしい。しぶしぶ、剣の鞘を背に固定していた紐の結び目を胸元で解いて、背中の剣を鞘のまま手にした。

 グーロンの従卒が進み出てグーロンの剣を差し出し、ルシュウの剣を奪うように取り去った。ルシュウは剣を足下においた。グーロンの剣は受け取らない。自分の剣は貸すだけである。交換しないという意志表示らしい。

 グーロンは受け取った剣をなで回した。剣の秘密が良く分からない。束は古風なムウの作りであり、当世風の装飾はなく、まして貴人が身につける宝剣と呼べる物ではない。刀身も作りはがっしりしているが、呪文が刻まれているわけではなく鋼本来の色のままで、ひどく簡素な物だ。

 しかし、人を殺傷するという剣本来の目的から見れば、これ以上の物はあるまいと思わせるほどに冷たく堅い反射光は澄んでいて曇りがない。

グーロンはその実用性に圧倒されて剣を撫で回していたが、やがて従卒にルシュウの剣を渡し、何か耳元でささやいて去らせた。そして、ルシュウを制して言った。

「今しばらく」

 グーロンが見たところ、ルトという大男がルシュウの通訳らしい。グーロンはルトに続けた。

「今しばらくお待ちあれ、チムガ様の裁量を得る」

従卒が去った後、残された人々の時間が止まった。依然として、ガルムはルトと背中合わせで剣を構えたままである。その二人と剣三つ分ほどの間を空けて、十数名の兵士が取り囲んでいるのである。流れる汗が額を伝って目にはいるのだが、剣を下ろそうとする者がない。死臭に引き寄せられた蝿がうるさく飛び回っているのみである。その幾匹かは目を開いたまま死んでいる男たちの顔にたかっていた。

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