第30話 チムガの虐殺2
様々な人々がそれぞれの時を過ごしたが、地鳴りは公平にやってきた。夜が明けて間もなく、街や山、この当たり一帯を腹に響く号音に続いて地響きが襲ったのである。
「御山(ン・ハム)山がお怒りだ」と人々は叫びあった。
昨夜の出来事は既に人々の噂で広まっていた。街の一郭が火に包まれて消滅したのである。ただ、その噂話の中でさえ犯人を問う者はいなかった。消滅したとは言え、彼らの生活にたいした影響があるわけではない。消滅した者はただ、彼らの生活を脅かすだけの流民にすぎないと考えるのである。
そしてまた、この早朝の地震はここ数カ月の間に繰り返し起きているもので、街はすぐに平静を取り戻した。物売りが街路を行き交い、商店の客引きの声がいつもと変わり無く飛び交った。チムガの館でも同じ事で、昨日と変わらない時間に、カルムの元に食事が届けられた。
ガルムは足踏みするほどに焦っている。この館に入って以来、昨日の火事場見物以外は外に出る事も無く、半ば、ここに幽閉されているのである。手柄を立てる事が出来ない。
食事の席には、グーロンがいた。ガルムはグーロンに詰め寄った。
「近々、よい話も有りましょう」
そう言ったグーロンに、ガルムは更に詰め寄った。
「私はチムガ殿のために命さえ捨てる覚悟。早く手柄を立てる機会を下され」
(命を捨てる覚悟だと? 捨ててもらわねば困る)
グーロンは腹の中で密かにガルムの言葉を笑ったが、それを表情に出すことはなかった。彼は最もらしくガルムの要求を聞き、御着せがましく約束をしただけである。
「貴殿の熱意に答えられるように、骨を折ってみましょう」
もちろん、チムガから命じられて、会わせる手はずになっている。
約束は、その日のうちに実行された。昼過ぎに別邸にチムガが供の物を一人連れただけの軽装で、ガルムの下へ訪れたのである。チムガの演出の一つに過ぎないのだが、ガルムは領主が自分の元にわざわざ足を運んだという事実に感激した。
「明日、都より視察司の方がお越しになる」
チムガはガルムに語り始めた。視察司というのは、中央から地方の統治状態を監視するために派遣される者のことである。チムガはガルムの意思を確認するように、その肩を親しげに叩いて言葉を継いだ。
「昨夜、盗賊どもを根絶やしにしたとは言え、未だ、不遜なやからが居るやも知れず、視察司には護衛をつけてお迎えする。貴殿にはその護衛の一隊に加わっていたたけけまいか」
「貴族の護衛につく」
ガルムは興奮して呟いた。普通、都では近衛兵団の兵士をその任に当てる。そんな重要な任に当たると言うのである。ガルムは自分に下された評価の正しさにうなづきながらもやや緊張し、神妙な顔で言った。
「ご助力つかまつる」
そして、この日一日をガルムはひどく機嫌良く、練兵場を兵士を引っ張り回して過ごした。
「単純な男だ」
チムガもグーロンもあのガルムという辺境者の事をそう考えている。利と名誉によって動く。これほど扱い易い人間はいない。しかし、チムガもグーロンも手抜かり無く手配を整えた。既に、先触れの使者がマニの街に着いており、迎える人物が、明日の正午前に街に着くことを彼らに知らせた。その視察司の迎えに出る兵士が、配下の中から五十人、既に選抜してある。そこに辺境者ガルムが率いる一隊が加わるのである。
その夜、兵の教練を終えた後、ガルムはやや酒の度を過ごしたと思いつつ、兵士たちの部屋を訪れて念を押した。
「槍も盾も良く磨いておくのだ。このガヤン・ガルムの兵である事を忘れるな」
いよいよ、明日は都からやってくる貴族の護衛につく。ガルムは想像たくましく心の中に自分の未来像を描いた。貴族に武勇を認められ、王宮の武術指南役を仰せつかるという妄想である。
同じ日のことである。ウスル山系の幾つもの低山の連なりの中。昔、猟師だった山の民が、避難小屋として使用した小屋がいくつかある。水の便等を考えると定住する事は出来ないが、雨露をしのぐ程度の宿泊と、干し肉など非常用に蓄えられた食料で腹を満たすことが出来る。ルシュウはネアに導かれて、そんな小屋の一つに居た。特に会話らしい会話は続かないのだが、時折、ネアの笑い声が響いていた。この少年と居るだけで心がくつろぎ、少年の異邦人らしい妙な仕草がネアの明るい笑いを誘うのである。ルシュウもまた、そんな笑い声から少女の体力が回復している様子を窺い知って、安堵の笑顔を浮かべていた。
時々、ネアが黙って、じっとルシュウの姿を眺め、その顔を見つめる事がある。ルシュウがそんな彼女に気づいて首を傾げる仕草をすると、首を横に振ってなんでもないと伝えた。そんなことが何度か繰り返された後、ネアはポツリと言った。
「どうして、私たちはあなたのように生きられないの?」
何事にも束縛されず、自由に生きるルシュウがうらやましいというのである。ただ、ルシュウは疑問の理由が理解できぬと言うように黙って首を傾げた。誰でも自由に生きられるのに、どうして貴女はそうしないのか。そう問い返しているようにも見えた。
バンカが二人の元に姿を見せたのは、もう夕刻に近い頃だった。バンカは腹の底から一言だけ絞り出すように言った。
「生き残ったのは、ここにいる者だけだ」
その短い言葉が事の顛末のすべてだった。それ以降は思い詰めたように黙りこくってなにも言わない。ネアは全てを察したように顔を伏せて黙りこくった。
「ルシュウさん」
バンカはようやく口を開いて、街で集めてきた情報と、彼の決意を語り始めた。
「明日、都のお偉いさんが来るんで、チムガが出迎えに出るらしい。その時にあんたの弓でチムガを射殺してはもらえないか」
「いころす、何?」
ルシュウが聞き慣れない言葉に首を傾げたため、バンカは矢をつがえ弓の弦を引き絞る真似をした。
「チムガにその矢を命中させてくれ」
「チムガ、死ぬ?」
「そうだ、殺せ」
「チムガ、何?」
「チムガは護衛を引き連れている、俺がその護衛に切り込めば、隙が出来るはずだ。目標のチムガは俺が指さす。あんたは、そのチムガに矢を射込んでくれ。もちろん俺は死ぬ。しかし本望だ」
バンカは身ぶりを交えてそう言った。ルシュウは少し考えていたが、首を横に振って、バンカの申し出を断った。
「バンカ死ぬ。良くない」
「死ぬのは恐くねぇ。みんなの仇を討つ迄は、死にきれねぇ」
「バンカ!」
たしなめるネアを突き飛ばすようにして、バンカはルシュウに言葉を続けた。
「なあ、あんたは遠くから弓を射るだけさ。それだけだ。あんたなら仲間の仇が討てるんだ」
ルシュウはうなずかない。断定的にぽつりと言った。
「バンカ、生きる」
「もう頼まねぇ」
バンカはもう暮れてしまった夜道へ飛び出そうとしたが、ネアとルシュウが引き留めた。
「ネアとバンカ、山を下りる。でも、それ、明日」
そういう表現で、ルシュウは暗いから危ないと言った。ルシュウはやおら剣を抜き、むき出しの鋼に何か尋ねでもするように、何かをささやいたが、それはムウの言葉ではない。ネアはルシュウが何か魔法の呪文でも唱えたのかとも考えたが、目の前の少年は呪術師であるにしては、行動が素直で単純でありすぎる。
もちろん、剣が少年に返事をするはずも無いのだが、少年はややがっかりしたような表情で考えていたが、やがて名案でも浮かんだ様に言った。
「オレ、ガルム、話しする。ルト、話しする」
ガルムとルトに相談をするという意味だろう。ガルムとルトの名は、バンカとネアの二人に効果があった。意図はともかく、二人を救ったと言う実績がある。バンカはチムガ殺害の仲間が増えればと考え、ネアは彼にそれを思いとどまらせる人物がいればと考えた。
この夜は、幾人かの人々にとって、非常に長い夜になったが、やがて、全ての人に公平に朝が来た。
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