第18話 鏡の秘密

 バンカは目を血走らせて、一晩中歩き回っていたのだが、仲間を救い出す名案が浮かぶはずもなかった。曲がりくねった道と薄汚れた町も、元の色と活気を取り戻し始めている。いつの間にやら日がさして、町はいつもの喧噪を取り戻し始めているのである。こうしている間にも、時間ばかりが過ぎていた。

 何か大声でよばわって歩く者がいる。ンガビスであった。片手に抱えている黄色い布告板が彼らの証で、領主ら支配者の布告を町を声高く宣言して歩く役割の者である。文字の読めない者たちのために、こうやって領主の布告を伝えるのである。

 通りかかる者が足を止めて、ンガビスの布告を聞いている。ンガビスは彼ら特有の長く伸ばした言い方で語った。

「き・の・う。チ・ム・ガ・さ・ま・のぉー・お・や・し・き・にぃー・し・の・び・こ・ん・だぁ・と・お・ぞ・く・はぁー」

 バンカはンガビスに駆け寄ると胸ぐらをつかんでわめいた。

「もう一度言え」

 ンガビスはバンカの余りの剣幕に驚いて、普通のしゃべり方をした。

「昨日、チムガ様のお屋敷に盗賊が二人侵入し、捕らえられた。今日と明日、広場でその盗賊の処刑を行う」と、言うのである。昨日侵入したというのは、もちろん嘘である。バンカが館に侵入して鏡を盗み取ったのはずいぶん前のことだ。そして、侵入者を捕らえたというのも違う。ネッタの区画にやってきた兵士たちは、勝手に居住者に盗賊だと言いがかりをつけて連れ去った。その人数は四人である。バンカはンガビスに詰め寄った。

「捕まったのは四人じゃねえのか、残りの二人はどうした?」

「知らぬ」

 ンガビスは首を締められるように胸ぐらを捕まれ、背後に目配せをした。市民を装った兵士が三名、背後に隠していた剣を抜いて飛び出してきた。

「ちっ。罠か」

 ンガビスに同行し、その布告に慌てる者を捕らえるように命令を受けているのである。領主らがよく使う手だった。バンカは兵士に追われた。しかし、迷路のような路地に入ってしまえば、バンカに利がある。彼は息をさほど切らすまもなく兵士達をまいてしまった。

「今日の夕刻か」

 バンカはネアの顔を思い起こし、何としても救いたいと考えたが、救い出す算段が浮かんでくる訳ではなかった。彼は街をうろついて、うろつくということに疲れ切って、道ばたに腰を下ろした。往来を行き交う人々は、この目ばかりギラギラさせた青年を見えない振りを装った。

 バンカはなすところ無く、傍らの水瓶に口を付けて水をすすった。水面にバンカの焦燥した顔が映って揺らいでいる。

「か、鏡か?」

 バンカはそう思いつき、駆け出した。駆けながら考えた。盗んだ鏡を持って名乗り出れば、ネアは放免されるのではあるまいか。考え抜いたバンカの結論である。

 戻ってみると、何やらひどく騒がしく荒らされた跡がある。方々の家で、戸口の水瓶が割れており、兵士達がよくやる嫌がらせの一つだった。そして、人々がバンカを見る目が妙によそよそしい。

「バンカ」と、背後から呼ぶ声がある。

 長老の声である、いつもの親しみのある声ではない、怒りと悲しみが隠っている。バンカは振り返りもせずに長老の声を聞いた。

「バンカ、チムガの兵士がやって来て、荒らして行きおった。お前の行く先と、盗品の在処を探して行きおったわ」

 バンカは長老を振り返った。長老の脇に、昨日の事件を長老に伝えた、ドムが小さく縮こまっている。

「事情は、ドムから聞いた。たわけた事をしくさって」

 長老の怒りの声にバンカは一言呟いただけである。

「長老」

 長老はなすすべがないというように言葉を繰り返した。

「たわけた事を」

「長老、ネアが……」

 バンカは連れ去られた少女の名を口にした。それをきいた長老は怒りを吐き出した。

「馬鹿め。ネアだけか。ラムグ、ジュッグンとニアリを忘れたか」

 いつの間にか長老とバンカを囲む厚い人垣が出来ており、その視線が冷たく憎しみが籠もっていた。

「おい、みんな。仲間を助けに行くんだ。ついて来い」

 長老が怒鳴った。

「たわけ! まだ、死人を出すつもりか」

 長老は突然に握り拳の力を抜き、力無く言った。

「あきらめよ」

 スクルが妹のネアの身を思って泣き始めた。声を押し殺した泣き方で、人々は気が重く、一人二人と人垣が薄くなって行った。

「みんな……」

 バンカがこの場を立ち去る仲間を呼び止めたが、応じる者がない。

「オレは鏡を取りに来た」

 バンカはうめくように続けた。

「それを持って名乗り出ればネアも放免だ」

 長老も苦渋に満ちた言葉を吐いた。

「バンカ、それで仲間を救えるというなら、やってみれば良かろう」

「チビ。鏡のある場所を知っているだろう、掘り出してこい」

 バンカはチビのバンカに言いつけた。チビのバンカがよろける足どりで駆けて行った。

「スクル、泣く。オレ、悲しい」

 現れたのはルシュウである。今日もやって来ていたのである。しかし、兵士たちが荒らした直後で、人々の心が乱れていて居心地が悪いらしい。ルシュウの戸惑い気味の表情がそれを現していた。

 チビのバンカが土を払って鏡を持ってきた。バンカはチビから鏡を受け取り、更に指先で出るように土を払って言った。

「みんな、迷惑をかけたな」

 この時、バンカの指先が落ちつきなく震え、鏡を取り落とした。丸い薄い円盤が転がった。良く磨かれた青銅の鏡だが、裏を削って薄い円盤をはめ込んであったものらしい、鏡本体と外れた円盤、その二枚の金属板の間に樹皮を薄く削ったものがある。長老がぽつりと言った。

「聞いた事がある。鏡は真実を語るという。高貴な身分の連中は鏡の中にドウークの木の樹皮に書いた約定書を取り交わすとか」

 バンカがそういう長老の言葉に、樹皮を手にしてみると、確かに文字が書いてある。バンカは文字の読める長老に樹皮を渡して、金属板を元のように鏡にはめようとした。急がなければネア達の命が危ないと思うのだが、あせりが指の震えに出て思いのままにならない。

 長老は樹皮の文字を読んだ。彼とて片言の単語が読めるに過ぎないが、その内容の重要性が分かったらしく、表情が変わった。

「バンカ、行ってはならん。皆の衆、すまぬ。捕らわれた者の命、諦めてくれい。この鏡の事も決して口外するな」

 それだけの事を長老は言いきった。

「どうして?」

 バンカが長老に食ってかかった。

「オレは死ぬ事なんかへでもねぇや。ネア達の命が助かるかもしれねぇ」

「忘れよ。鏡がある事も忘れよ」

 人々は長老の態度と書簡の内容が何か関係あるのだろうと思った。

 彼らは今までそうしてきたように、黙ってその場を去った。長老はバンカの手から鏡を奪い取り、繰り返した。

「鏡があった事は忘れよ」

 ルシュウはそう言う混乱の中で状況が全く理解できないらしく、ただ首を傾げて悲しそうに言った。

「悲しい顔、オレ、悲しくなる。怖がる顔、オレ、怖くなる」

 人々の言葉はよくわからないが、悲しみや恐怖の感情が伝わってきて、共感を覚えているというのだろう。


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