第2話 ある空き地の記録
君は知らないだろう、この街も当然、高度成長期を経験している。中心街、バブル時代に建てられた林立するビルは今も健在だ。
しかし、少し歩いてみると当時の盛況さは感じられない、それは君もきっと肌で感じていることだろう。実を言えばかつてのバブルと呼ばれた時代からその場所は存在していた。
ビルが立ち並ぶ中心街、少し見た限りでは空いた場所など存在しないように思える、けれども、そんなビル街の真っただ中に広い空き地が存在しているのを、君は知っているだろうか。
恐らく知らないだろう、かつてその場所はある自殺サークルで利用されていた。いつの時代も自殺を願う者はいるが、君に自殺願望はないだろうから、きっとその場所を知らないはずだ。もっともこんな時代だ、どこかで噂として聞いていてもおかしくはないだろうが。
舗装されたアスファルトに囲まれた街並み、空きテナントの目立つビル群、古びて色あせたコンクリート、ひび割れた外壁が申し訳程度に修復され、長年の内にできた壁のシミがどこか奇妙な模様を描き出している。
継ぎはぎの建物ばかりが立ち並び、廃墟となる寸前で辛うじて息をしている。それなのに看板ばかりが真新しく光り輝いて、でかでかと広告や社名を掲げて自己主張をしていた。
そんなビル群の隙間に、外され、錆び付いた巨大な看板が立てかけられている。宗教的な団体の名前が記されていたのだろうか、薄れ切った教の字だけが辛うじて見て取れる。その看板の隅に「2棟水灯一木中」と真新しいインクで鮮明に文字が刻まれていた。
交差点の電柱で目にした「四面部ら方赤鍵」という文字が思い起こされる。しかし、未だ意味が解らない。その看板の裏にひっそりと、影にまみれた「道」が隠されていた。
一見何もなさそうに見える一メートルにもならない程のビルとビルの境、ゴミがちらかり、人の踏み入りを拒んでいるように見える。しかし、よく見るとそこかしこのゴミが踏み固められているのが解る。
両側に位置するビルの窓は何故か、この隙間をみまいとするように板が打ち付けられていた。私は慎重に足元に注意を向け、ゴミの山を乗り越え、薄暗いビル間を数メートルほど進む。
するとやがて、暗がりに陽光が差し、視界が開けた。500平方メートル程の空間、中心に胸の高さほどのブロック塀が四角型に積まれ、僕から見て正面の位置だけが空いている。
ひざ丈の草がそこかしこに生い茂っていて、その草が折られ、獣の通るような道ができていて、塀の周りだけは綺麗に刈り取られている。不思議と空間にはゴミが全く見当たらない。そんな中に何本もの杭が立っていた。
いや、違う、杭は人だった。影がさした顔、生気の感じられない表情、そして立ったまま微動だにしない。まるでマネキンのようだ。それらの人達が空を仰ぎみて、或いは屈んで地面を見下ろし、ただ何をするわけでもなくその場で留まっている。
ブロック塀の中心に何か穴のようなものが見えたので僕はそこに向かって歩いた。穴の周りには人が四人、近づいても誰も僕に気を止めもしない。徐々に見え始める穴の底には沢山の黒く、丸い物体が並んでいた。半ば土に溶けるようにして消えかけるもの、真新しく硬そうな個体など、どれもあるものを彷彿≪ほうふつ≫とさせる。それはさながら、鳥の巣の中で温められる卵のようだ。
風の向きが変わり、嫌な臭いが鼻をかすめたため、僕はそこから目を外らす。どちらにしても誰かに話を聞かなければ、そう思い、四人の中の一人に話しかけた。長い前髪から覗く目は色を失い、意識がどこか遠くをさ迷っているのがわかる、くすんだワンピースを着た若い女性に。
「すみません、少しお話を」
反応がうかがえない女性に根気良く話しかけ続けていると、不意に首の向きがこちらに変わる。
「埋めるんです」
か細い声がその唇から漏れ出した。一瞬戻ったと思った瞳の輝きが、再び失われてゆく。
穴がね、あるんだよ、その空き地の中心に。君は卵封じを知っているかな。恐らくそれも知らないだろう。呪いに興味があれば別だが、一般的にはあまり知られていない。
それでも案外有名な呪いの方法なので耳にしていたら申し訳ない。まあ、念のためだ、説明させてほしい。簡単な呪いの方法だよ。
卵に呪いたい人間の名前を書き込み、それを地面に埋める。卵の中身が腐り始めると名前を書かれた人物に何らかの変化が起こるというものだ。けれど様式が簡単なものだから、効果は薄いと言われている。
しかしね、私は呪いというものはかける人間の恨みの強さによって変わるもので、やり方はあまり関係ないと思っている。形式はあまり関係ない、想いの強さでどんなに下らなく、いい加減な呪法であれ、強力になりうるのだ。まあ、知名度の高い形式を取った方が、結果をイメージしやすくなるので成功の可能性が高まる、具体的な結果の像を描ければ、より呪いやすい、そういうものだろう。
それはさて置き、あの空き地の呪いは少々形態が異なる。彼らが呪いたいのは「自分自身」なのだから。
「違うんです。私はただ、あの人が何をしていたのかが知りたくて」
僕は色のない瞳を直視していられず、目を逸らしながらそう答えた。何かを埋めるためにここに来たわけではないのだから。すると突然、塀の周りに佇んでいた人々が僕を取り囲むように動き始めた。草が踏まれ、かさかさと音を立てる。
本来なら生卵を埋めるんだ。腐るまでが早いものだから、効果が早く見たい、という人間向きの呪い、と言うわけだ。
この空き地はね、かつて良く人が落ちる場所だった。わかるだろ、いわゆる名所だね。だからこの空き地の周り、特に一階は窓が塞がれている。余りに自殺者が多いために持ち主が塞いだんだろう。そこで自殺サークルのある人物が目を付けた。最初は飛び降り目的だったらしい、けれども飛び降りは確実性に欠ける。もし生き残ってしまえば障害が残り、生き地獄が待っている。
だから別の方法を編み出した、謳い文句は死ぬなら出来るだけ楽に、というものさ。主催者が唆≪そそのか≫したのだろうな。飛び降りよりももっと楽に死ねる方法があると。
壁のように一列に並び、怯える僕を囲みながら、体を左右に揺するだけで彼等は何もしない。するとその中の一人が閉じた唇を開いた。
「私達は、感謝している」
「そう、感謝だ。死ななくても良いと分かったのだから」
「私達、あの人に死ななくてもいい方法を教わったの」
「来たのか、ついに来たのか。あの人はどこだ」
「埋めるんです。そう、埋めるんですよ。あなたもどうですか、埋めると楽ですよ」
「辛いことなんてなくなるんだ、辛いことなんて」
「切り離すのよ、切り離すのよ、そう、切り離すのよ」
ここもまた、相当な澱みが存在していた。簡単な呪いでもここでは効力が違う、念を乗せなくてもあちら側に引き込もうとする力が強いからだ。落ちた者たちの感情がこごっている、それが呪いの助けになっている。彼等はここに自分の指に針を刺し、血を垂らした生卵を埋めた。
するとどうだろう、数日後、突然彼らの願いが成就し始めた。仕事場で、家で、街角で、車の運転中で。痛みのない唐突な死、それが彼らの望みだった。なんら終わりの恐怖を感じさせることもなく、日常の中で不意に電源が落とされるように死んでしまう。本人はそれでいいかもしれないが、周りはどうだろう、それにより、大きな惨事が起こりうるのではないか。
自分さえ楽に死ねればいい。そんな考えは余りに利己的過ぎる、気に入らないから殺す、そう言ったテロリズムと何が違うだろうか。そんな事が私がここに足を向けるまで、ずっと続けられてきていたのだ。
しかし、おかしいとは思わないか、全員に死が訪れたならば、これは続けようがない。次に死にたいと思っている人間が現れるまで、今すぐ死んでしまいたいと思っている人間が耐えられるだろうか、全てを捨ててもいいとまで考えている人間が、無理だろう。
そうだ、これを続けさせていた人物がいた。例のサークルの主催者だよ。彼は人が簡単に死んでしまうことを喜んでいた。サイト上では声高に自殺をしよう、どうせこの世の中は生きていても良いことがない、苦しみからの開放を望むなら死ぬべきだと叫んでおきながら、彼自身はずっと死のうなどとは思っていなかった。しかし、自殺を望む者は絶えず存在していた。求めるものが存在し続ければ終わりは無い。彼の元に人は集まり続けていたんだ。私は一部始終をこの目に収めて、彼だけが土から再び自分の卵を掘り起こすのを見た。
僕は口々に呟く、影のような彼らの中に、一人だけ目に光を湛え続けている人物を見つけた。彼だけは体を揺すらず、棒立ちのままずっと私を見つめていた。不意に、「あなたはこれをやりに来たのでは無い、そうでしょう? あの人の遣いですか」それだけを言い、再び口を閉ざし、他の人達と同様に私に視線を向け続けている。
僕は彼に向かってこう、一言返した。
「彼は居なくなってしまいました」
僕のその一言を聞いて、彼は目の色を変え、崩れ落ちた。
他の人間は私への興味を失ったように視線を外し、ずっと意味の無い言葉を投げかけ続けている。
「苦痛を感じなくなったんだ、感じなくなったんだよ」
「楽しくもないけど、辛くもないの。いいでしょ、いいでしょ」
「忘れちまった、なんだか何もかも忘れちまった」
「戻りたくなるの、偶にここに戻りたくなるの。あたたかいの、ここってあたたかいのよ」
「呼ばれるんだよ。自分に呼ばれるんだ」
卵封じには隠された使い方がある。生卵を使えば体に変化が起こるが、茹で卵を使えばどうなるか、呪法には必ず表と裏があるものだよ、呪い返しがあるように。形式も長らく続けられていれば力を持つ、信じていなくてもどこかに信じている人間がいれば、何かしらの力を発揮する。これはそんな形式の一つだよ。
私は説得に応じない彼の魂を少しだけ卵に封じた、彼は喜びを失ったんだ。人の死を望んだものの末路として相応しい結果だとは思わないか。そして私は彼に完全に人の魂を卵に封じる方法を教えた。
血を一滴湯に入れてそれで卵を茹でる。最後に封じたい人間の髪で殻の周りを巻けば裏卵封じの完成だ。それを澱みのある場所に埋めれば、彼等は魂の抜けた状態でも生きて行ける。土に溶けた卵と魂は二度と元には帰らない。しかし、埋めた彼等は感情に左右されることなく生き続けられる。
どうだろう、生きる喜びが人の死だった彼が、今度は人の命を繋ぎ止めるために活躍している。こんな素晴らしいことはないだろう。私がその場所で確かめて欲しいことは、彼が死んでしまっていないかどうかだ。彼が生きている限り、自殺志願者がどれだけ増えようと、自殺者が増えることはない。
突然崩れ落ちた彼が立ち上がり僕に掴みかかる。そして両手で肩を捉えると揺さぶりながら叫んだ。
「もう、勘弁して下さい。なまじ自分が残っているから、耐えられないんだ。欠けた魂の隙間に何か気味の悪いものが入り込む、なあ、嘘なんだろ。あの人、生きてるんだろ。俺、自殺しようとすると意識がなくなるんだ。ここに戻される。こんなことって。なぜこんなことを俺が強要されなけりゃならない。白いのも黒いのももう嫌だ、触りたくないんだ」
感情の爆発が起こり、真っ赤になった顔から怒りが見て取れた。彼は僕の肩から手を離すと近くのガラスの破片を手に取った。そしてそれを振りかぶる。
僕が恐ろしくて動けずにいると、唐突にその顔から表情が抜けた。腕から力が抜け、抜け落ちたガラスが音をたてて割れる。脱力して彼の両膝に手が落ちた。前を見つめたまま足が不自然に後ろに引いてゆく。交互に足が後方に引いて、彼は白い人形のような顔のまま穴の中へと足を引いた。
くしゃり、と、何かが潰れる音が響く。途端に傍にいたワンピースの女性が痙攣をはじめ、泡を吹いて倒れた。
大丈夫なのかと不安になり、顔を覗こうとすると彼女は突然立ち上がり、表情を失った陶器のような顔でこの空き地から去っていった。
ふと、先程穴に足を踏み込んだ彼の存在を思い出し、そちらに顔を向けると、彼は両手で顔を覆い、涙と涎を垂れ流しながら泣いていた。僕は静かにその場から身を引くと、元来た道から外の世界へと帰る。喜びも悲しみもない人間が生きていると言えるだろうか、肉体だけの生が生きていると言えるだろうか。強制されている生が生きていると、あの空き地にはもう、死人しかいない。
あの場所で新たな死人が出ることはまずないだろう。飛び降りようとする人間もあの空き地に吸い込まれてしまうからね。彼らの世界はあの場所で完結している。今のこの生きにくい世の中で彼等には悩みがない。
それはある意味で幸せなことだと思わないか。私は時折、どんなものにも左右されず生きて行ける彼らが羨ましくなることがあるよ。それが現実的な死を意味する生き方であれ、死の瞬間まで苦しまずにいられるのならそんな幸せなことはない、そう思わないか。
もっとも私は、全てを捨ててまで現実から逃げ出したいとは思わないがね。死を覚悟している私がこんな事を考えるのを、君は滑稽だと思うかな。それでは次の場所を紹介しよう。
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