私の幸福の王子様

@kazuya

私の幸福の王子様

彼はいつも優しかった。

見せかけの優しさではなく、

彼の性格から来る本物の優しさだった。


あまり恋愛経験のない私にも、それはよく分かった。

幸せだった。

この生活が永遠につづくことを願った。


彼は家族を捨てていた。

私の中には、常に彼の家族に対するうしろめたさがあった。

鎌倉の家に、奥さんと娘さんが二人いるらしい。


友人たちから、彼のよくない噂が耳に入って来た。

借りた金を踏み倒している。

詐欺まがいの金儲けで、大勢の知り合いをだました。

過去に暴力事件を起こし、人も殺しているらしい。


等々・・・信じられないような噂だったが、私は気にしなかった。

彼は優しく、二人は幸せだったから。

私の元へ来た時に乗っていた愛車ベントレーを売り、

腕時計のロレックスを売り、ダイヤ付きリングを売り払った。


彼は定職を持たなかったが、

OLをしている私の給料でも、何とか二人の生活を維持できた。

彼の物が次々と消えて行くことに私は心を痛めた。

私にお金を要求したことは一度もない。


ある日、思い切って自分の物を売り払うのをやめるよう頼んだ。

彼は笑って受け入れた。

二度と自分のものは売らないと約束した。


その月の末、私は定期検診で子宮がんと診断された。

すでにかなり進行していた。

迷う私を説き伏せ、彼はアメリカの最高の病院への入院を決めた。


手術は成功し、私は無事に退院帰国することが出来た。

彼はまるで自分のことのように喜んだ。

かなりの費用がかかったはずだが、出所は不明だった。


いくら問いただしても

「君のためなら、僕はなんでもする」と答えるだけだった。

その捨て身の生き方が、私には怖くもあり不安でもあった。

彼は自分には未来がない、と考えている節があった。


ある日、彼の留守中に二人の男が部屋を訪ねて来た。

彼が巨額の借金をしていて、

その返済期限が過ぎていると言うのだ。


額は二千万円を超えていた。

私は直感的に私の入院治療費だと思った。

実家から借りるよりなかった。


父は定年退職して年金暮らしをしている。

その夜から、彼は部屋へ帰って来なかった。

二週間目の明け方、崩れ込むようにして彼が戻って来た。


別人のようにやせ衰え、口も効けない状態だった。

すぐに救急車を呼び、近くの病院へ緊急入院した。

そこで私は、担当医から驚くべきことを告げられた。


彼の体には内臓を摘出した大きな傷跡があり、

事実複数の臓器がないと言うのだ。

私はその場に卒倒した。


フィリピンか香港か、彼はアジアのどこかで自分の複数の内臓を売っ

て来たのだ。

恐らくは、私の入院費の借金の支払いのために。


翌日、彼は死んだ。

私の部屋までたどり着いたその執念と生命力に、医師は驚嘆した。

それが、彼が私のために振り絞った最後の力だった。


三日後、近くの寺で彼の葬儀が行われた。

彼の家族は遺体の引き取りを拒否し、葬儀にも出なかった。

彼は家を出る時、家族に鎌倉の屋敷と土地を残して来ていた。


かなりの額の資産も、すべて家族の名義だった。

葬儀は友人葬とし、喪主は私がなった。

彼と私の数少ない友人たちが集まってくれた。


出棺の時、私は参会者に向かって挨拶した。

「お忙しいところを故人のためにお集まり頂き、御礼申し上げます」

雨が降って来た。


参会者が散り始めた。

「彼は生前、家に居るときはいつも私から離れませんでした」

本降りになった来た。


しのつく雨の中で、私は話し続けた。

霊柩車の運転手が、警笛を鳴らして出棺を促したが、私は無視した。

「私の肩を抱いて髪を撫で、首筋にキスをするのが好きでした。いつもいつも優しかった」


雨が涙を洗った。

もう、参会者は誰もいなかった。

「二人に残された時間を惜しむように、彼の愛は性急でいて静かでした。彼が私のためだけに生きているのがよく分かった」


誰かが投げ捨てたずぶ濡れの彼の遺影を拾って、抱きしめた。

土砂降りの中で話しつづけた。

「もう一度会いたい、あなたに!私の幸福の王子様に!!」


慟哭の声は激しい雨音にかき消されたが、確実に彼に届いたのが分かった。




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