無機質な恐怖

神大矢 啓

深夜

 ズーーーーーッ……


 と、淡い光を放つパソコンが、静かな音を漏らす。

 その画面は、白をバックに、黒い文字が並んでいた。

 それは陳腐なホラー小説。

「くそっ……」

 そのパソコンに向かって悪態をつく男がいた。その悪態は、静かな室内の中に虚しく響き、暗闇に消えていく。

 時刻は深夜一時。分厚いカーテンによって外の明かりは遮断され、電灯もテレビを点いていない。汚れた部屋を照らすのは、無機質なパソコンの光のみ。


 ズーーーーーッ……


 と陰気な音を出しながら、画面はただ文字を移す。


 カタカタッ、カカカカッ、カタッ、カタンッ――。


 男がキーボードを叩いても、画面は動かない。

「フリーズかよ……」

 男は汚れた頭をバリバリと掻き、背もたれに乱暴に体を預けた。


 ギィ、


 と、椅子が、悲鳴のように軋む。それに構わず、男はパソコンを睨みつける。


 ズーーーーーッ……


 そんな彼に対し、パソコンはあくまで機械的に、機械的で陰気な音を立てて固まっている。

 フリーズ。もう中古で何年もたつそれは、いつ壊れてもおかしくないものだった。

「データは保存しといて幸いだったぜ……」

 男はパソコンからUSBメモリを抜き、それを乱雑に物が置かれた机の上に適当に置く。

「しかし、静かなもんだな……」

 不潔な格好の男は、頭からフケを落としながら立ち上がる。頼りになる明かりは、もうフリーズして動かないパソコンの光のみ。


 ズーーーーーッ……


 とパソコンは、光と音を弱弱しく漏らし続ける。

「このパソコンももうだめだな。処分しちまった方がいいかもしれねぇ」

 男は椅子に座り直すと、先ほど置いたUSBメモリを手探りで探す。

 だが、弱弱しい光しかない上に、大小さまざまなものが乱雑に置かれた机の上から、それを探し出すことは難しかった。

「くそっ、どこだ、くそっ」

 悪態をつきながら探す。パソコンを少し傾け、手元を照らす。

 瞬間、


 ヒューン――……


 と、気の抜けるような音を立て――世界から光が失われた。

 ビグンッ! と男の肩が跳ね上がる。いきなり真っ暗闇に放り込まれたら、さすがの彼とも言えど驚く。

「くそっ、ついに勝手に落ちるようになったか」

 男はパソコンを乱暴に置き、完全な暗闇の中、目当てのものを完全な勘で探り当てようとする。


 ガサッ、ガササッ、ザザザザッ、


 と、大小さまざまなものが動かされる音。

 それと、男の呼吸の音、心音。

 聞こえるのは、それだけのはずだった。


 ズーーーーーッ……


 男の耳に、陰気な音が入りこんでくる。聞きなれたパソコンの音だ。ずっと聞いているうちに、耳に残ってしまったか、と男は首を振りながら、なおも手探りで探そうとする。


 ガサッ、ザザザッ、ズズズッ、


 ズーーーーーッ……


 二種類の音はなお、男の耳を支配する。


 ガサゴソッ、ザザズゾッ、ガサッ、


 ズーーーーーッ……


 ガザゴソ、ザッ、ガサッ、


 ズーーーーーーッ……


 いつまでたっても、パソコンの陰気な音が頭から離れない。

「鬱陶しいな、くそっ」

 男は悪態をつき、パソコンを八つ当たり気味に叩く。

 瞬間、気づいた。


 ――パソコンが、『小さく振動していること』に……。


 ズーーーーーッ……


 音は、未だに聞こえてくる。パソコンの、小さな振動に連動して。

「……。…………」

 電源は、勝手に落ちたはず。ならば、なぜ『振動している』? なぜ、『音を出してる』?

「…………」

 薄気味悪い。そう感じた男は、そっとパソコンから手を離し、逃げるように探し物をする。


 ガサガサッ、ガササッ、


 ズーーーーーッ……


 ゴソゴソッ、ガサガサッ、


 ズーーーーーッ……


 ガサッ、ガサッ……ガサッ、


 ズーーーーーッ……


 逃げるように、夢中になれるように探しても、見つからない。そして、音は止まない。


 ズーーーーーッ……


 ズーーーーーッ……


 ガサッ……ガサッ……コツッ、


「……ほぅ……――」

 ようやく、USBメモリを見つけた。

 男は安心したように一息つき、それを掴んで引き寄せる。



 ゴソッ、



 と、何か、柔らかい、たわんだものに当たる感触がした。鈍い音が響く。

 男はそれを手触りで確認する。なめらかで、細くて、柔らかい。どうやら、パソコンのコードのようだ。それは、『小さく振動している』。


 ズーーーーーッ……


 また、男の脳裏をパソコンの音が支配した。

 とっさにコードから手を離すも、音はなり続ける。


 ズーーーーーッ……


 手のひらに染みついた、小さな振動が消えない。


 ズーーーーーッ……


やることがなくなり、その音から気持ちを逸らせない。

「ああっ、もう!」

 男は恐怖を振り切るように首を横に振ると、生唾を飲み込んだのちに、意を決して、忌々しいパソコンを掴んだ。


 瞬間、


 ブゥーン……――


 『光が戻る』。

「――っ!?」

 パソコンの画面が『点いた』。

 男は画面に触れただけ。古い型であるため、タッチパネルではない。

 ならば、なぜ? 

 なぜ、『点いた』?


 ズーーーーーッ……


 音は響き続ける。

 画面に表示されているのは、無機質な白をバックに、無機質な黒い文字の羅列。

 男がさっきまで書いていたホラー小説だった。

 男は、一度驚きで離した手を、再び画面に向ける。


 ――――ペタンッ、


 瞬間、伸ばした手は、ひんやりとした、のっぺりとした、湿った掴まれ――――――――…………。

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