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 夏の家は街道沿いにあって、たまに吉右衛門は縁先を借りて一休みすることがあった。そのような時、母の志都(しず)は茶を出し、しばし吉右衛門と世間話を交わすのであった。夏の家は炭焼きで、家の裏に窯があり、煙突からは毎日白い煙を出していた。

 夏は父の顔を写真でしか知らない。父、茂三は炭焼きの傍ら山仕事をしていた。このあたりは北山杉で有名なところで、北山杉は磨き丸太として、数奇屋造りや茶室の床柱として重宝されたのである。この山仕事で、茂三は木から落ちて命を落としたのである。命綱など使わない時代であった。

 茂三亡き後は、志都は茂三から教えられた炭焼きを生業として、夏と二人で暮らしてきた。


 この炭を近在の女たちが買いにやってくる。女たちはあの大原女の衣装で頭に炭や薪を乗せ、京の町に売りに行くのであった。志都の焼く炭は火持ちがいいと、評判であった。冬などは、窯の傍が、女たちの井戸端会議ならぬ、窯端会議の場となる。

「志都さん、茂三さんが亡くなって何年になるや?」

「夏が二つの時やから、三年になる」

「ずーと、後家さん通すつもりかえ。志都さんは別嬪やから、後妻の口ならいっぱいあるやろぅが」

「こんな炭で汚れた年増には、そんなもんあらへん」

「なんの、まだまだ若いから、寂しかないかい」

「夏がいるから、寂しくあらへん」

「たまに縁先で休む、吉右衛門は志都さんに気がありそうやがね」

「悪い冗談はやめてーや、なんぼ歳が違うと思うねん」

「色恋は歳じゃなかろぅて。そういえば吉右衛門、茂三さんに似とらんか」

「似とらん、似とらん。亭主の方がなんぼか男前やてぇ」

「えろう、ご馳走さん」と女たちは答えたが、志都の顔が紅くなったのを見逃さなかった。


 その日、やんちゃ坊主たちは山でチャンバラごっこに忙しく、夏一人であった。

「今日は夏一人か。お前に渡しておくから皆に分けてやっとくれ」と、吉右衛門は夏に袋に入った飴を手渡した。「それとこれは夏にだ」と、吉右衛門は赤い珊瑚玉の簪(かんざし)を懐から出して、「ようにおとる。夏は大きゅなったらベッピンさんになるよ」と、頭に挿してくれたのである。幼くても、女は綺麗になるという言葉は嬉しいものである。この日、夏は吉右衛門を強く意識した。「お父はんに似てる」と思った。

「お母ぁ~に、キッチェもんから貰ったとゆうたらええ」と笑って、吉右衛門は帰りの道を急いだ。


 志都に見せると、「おお、綺麗なこと。夏にだけか、妬けること」と言って、夏の頭から抜いて自分の頭に挿した。

「どうやね。お母ぁ~も似合うかね」

「お母ぁ~、顔を洗わんと、炭の顔じゃ似合わんてぇ」と、夏は言ったが、その時の母は綺麗だと思った。


 その簪を呉れた翌日から吉右衛門の姿は街道に見えなくなった。年頃だから兵隊に行ったのだろうと人々は思った。戦争が終わって、吉右衛門は例の行商姿で街道に現れた。元気な吉右衛門の姿を見て村人たちは安心し喜んだ。夏も嬉しかった。夏は尋常小学校の五年生になっていた。

 しかし、一年ほどしたら吉右衛門は再び姿を見せなくなった。今度は戦争でないし、どうしたのだろうと、人々は行商仲間に聞いたが、誰も「わからん」「知らん」であった。いつしか、吉右衛門の話は忘れられた。

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