全力で逃げたい僕と追いかける彼の契約ゲーム

水瀬潮

第1話 逃げたい、と僕は真っ先に思った……

 そもそも、僕は自分の容姿があんまり好きではなかった。

癖のある茶色の髪は猫っ毛で、櫛でとかしてもとかしても

くるくるとまるで巻いたかのように跳ねる。

 顔の色は白くてまるで女みたいだし、髪と同色の大きな

目は媚びていると勘違いされてしまいがちだ。

 それになにより、ちびで男にしては細い体つき。

だから、いつも僕は女性と間違われてはくどかれる。

 まあ、誘いに乗った事は一度もないんだけどね。

大人しいと思われがちだけれど、僕はケンカっ早くて辛辣

で何より小柄だから足も速い。

 向かってくる奴なんて薙ぎ倒して進むくらいの気概な僕

は、僕より強い奴がいるなんてあいつに出会うまでは全く

知らなかったんだ。

 だから、自分の人生が変わるなんて僕は思いもしなかった

んだ。本当にあいつに出会い、少し、いやかなりの失言をして

しまうまでは――。



 そんな僕は、とあるお菓子屋に務めている。……暇だけど。

店主のエリーナ=レンが相当に乱暴者なのに加え、唯一の接客

店員(僕)がケンカ騒ぎをやらかすからだ。

「くぅ……」

「……起きなさい、トール」

 ……いて! 眠りかけた僕の頭をエリーナが小突いた。

きらきらとした月の光のような長い髪を波打たせ、猫のように

愛らしい銀の瞳をした彼女はとても可愛い。

 童顔なので赤いエプロンドレスと花模様のカチューシャが似合

うのだが、僕以上に凶暴なのでくどいた男は大抵投げ飛ばされる。

「暇だからって寝るの止めなさい……」

「痛い痛い……、ってば。入ってる入ってる!」

 寝たのは僕が悪いけど、頭を小突かれた挙句がっ、と強く掴まれ

て吊り上げられるのってどうなんだろう?

 エリーナは僕、トール=フェイラスより背が高いからそうなると

本当に勝てない。

 っていうか、暇なのはエリーナの接客態度にあるだろう、と自分の

事を棚に上げて僕が思っていると、彼女は表情で僕の想いを読んだら

しく容赦なく手を離してくれやがった。

 ……おかげで僕は、強かに腰とお尻を地面にぶつけたさ。

滅茶苦茶痛かった。思い切り涙目になったよ。

「くそぅ、いつか泣かせてやる……」

「もう一回痛い目に遭いたいなら、遭わせてあげるけど……?」

「……ごめんなさい」

 痛い目に遭わされる事は多いけれど、僕はエリーナの事は好きだった。

といっても、恋愛としての好きではない。

 エリーナも僕の事は男としては見ていないし、男と女という違いがあっ

てもとてもよく性格が似ている僕らは一緒にいると気楽なのだ。

 朝起きて食事を取り、買い物をしてから彼女の店で店番しつつ、ケンカ

したり軽口を言い合ったりしながら過ごし、家に帰る。

 これが僕の人生で、僕はそれがずっと続くのだと思っていた――。



「いっ。ててて……」

「ごめん……ちょっと吹っ飛ばすぎた」

 そんなある日、僕はエリーナとの口ケンカ中に「冷血女」という

言ってはいけない言葉を口走ってしまい思い切り放り投げられた。

 無表情無感情無愛想な彼女が、一番気にしている事だったのに

失敗だったと僕は痛みに呻きながら歯噛みする。

「いや、僕こそごめん……傷ついた、よね?」

「平気……。トールが本気で傷つけようとして言ったのではない、

って分かるから」

 彼女の得意技、『相手の表情から言わんとしている事が分かる』の

おかげで僕は彼女との友情を失わずに済んだようだ。

 いてて、と呻きながら起き上がろうとすると。

「大丈夫か?」

 横合いからいきなり手を伸ばされた。低い声は男の物だから、彼女

ではない事は確かだ。

 客かもしれないので、すみませんと頭を下げてその手を取った僕は、

目の前の男に劣等感を感じた。

 まず、かなり背が高い。あれ、180cm以上あるぞちくしょう……。

見た目も短い金の髪に緑の瞳で、整ってはいるけれど男らしい美貌という

か女には見えない顔立ちである。

「……? あの……」

「お前、俺の物になれ!」

「――お断りします」

 全力で、と僕は心の中で告げる。本気で、僕は思ったんだ。

こいつから、この場から逃げたいと――。

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全力で逃げたい僕と追いかける彼の契約ゲーム 水瀬潮 @minaseusio

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