月曜日
「なあ、こんな都市伝説があるのを知っているか?」
ギラギラと目を輝かせて話すこの友人を、便宜上Dと呼ぶことにする。
Dは退屈な授業の合間にある昼休みに、そんな前口上を入れて話を切り出してきた。
「町外れにある祠跡地の石に触ると死ぬってやつ」
「ああ、聞いたことはあるな」
俺たちが住むこの町の外れには、祠があった小さな敷地がある。木の葉は辺りに散らばり、木々は松食虫などにやられてひどく荒れている場所だ。その敷地内には石があるのだが、これは元々祠の土台だったようだ。風化か人的かで上部分が無くなって、そこだけが残された状態になっている。
その場所には、こんな噂がある。その祠の石に触れると、数日以内に死ぬというものだ。
この学生という界隈にはよくある、取ってつけたような噂話だ。大方誰かが暇つぶしに作った話だろうと俺は思っている。
「それで一昨日行ってみて実践したわけよ」
「で、どうだった?」
Dは首を振る。
「いや、何も変化はなし。あれから二日経ってもなんのこともない」
「まあ心霊スポットなんてこんなもんだよ。何もなかったで終わるのが関の山さ」
「そうだな。ああ、つまんねえな」
そう言うとDは前を向いた。
高校二年の夏は思った以上に暇だった。確かに授業や課題などはあるが、それは忙しいに含まれない。
受験まであと二年を切ったが、全く実感が湧かない。入学した時の緊張感からも解き放たれる、魔の中盤の期間。そして三階建ての建物の二階、そのちょうど真ん中にある教室。ここにどうしようもない堕落した自分が宙ぶらりんになっていた。
やはりその中で過ごすというのも飽きがくる。だから、Dと一緒にその場所に行きたかった。噂話だと高を括ってはいるが、もしかしたら、なんて期待の心もある。そこにあった非日常に、手を伸ばしたかった。
しかし、話に聞いたものは単なる日常だった。何の事件もない、面白みのない日常。
Dには特に異常はない。幽霊なんているわけがないし、ただ単に石に触れるだけで死ぬなんてあり得ない。目の前にいる、噂通りならば死ぬかもしれないDは今、気怠そうに右肘をついて物思いに耽っている。ん?
「おい、お前。右肘大丈夫なのか?」
俺の発言に釣られて、Dは自分の肘の方へと目を移す。そこには、体重を乗せたDの右肘がある。俺はそれに疑問を抱いた。
「あ? ああ、痛くねえな。今更治ったのかもな」
そんな馬鹿な。当時の出来事を知っているからわかる。あれは放置して勝手に治るものじゃない。
その後も何食わぬ顔で右肘をついていた。それを再度聞いても、何度もはぐらかすような、上の空のような返答を投げ返すばかりだ。
今日のDは、なぜかぼんやりとしていることが多かった。午前の授業だけで何度注意されたことか。名指しで注意されても、一拍置いてから体を急に正し、粛々と謝っていた。
元来勤勉とは言えないが、彼は授業を真面目に受けているほうだ。ほとんどの人間がそうであるように、注意はされたくはないから授業態度も人並み通りのはずだ。
何かが変だ。いつものDとは違うような、そんなことを午前の間に考えた。
それは、光の点を携えて夜空を滑空する飛行機や、遠洋の海に浮かぶ帆船のように小さいものだ。しかしどんなに小さくとも、普遍の中にある変化はすぐ目に付く。自然と視界の中に入って、その変化を感じ取れる。
Dの違和感もそういった類のものだった。小さな変化ではあるが、中学から付き合いのある俺にはすぐにわかるものだ。そして何よりも右肘。これに関しては、特に目につく大きな変化だった。
疑問をぬぐえないまま、午後の授業となる。そしてその現国の途中、俺はDについて考えていた。
Dは中学時代、野球部に所属しており、そこでレギュラーに選ばれるほどの実力があった。一年からレギュラーだ。強豪校というわけではなかったが、それでも一年からスタメンに入れるというのは素晴らしいことだ。しかしその輝く道は、二年の春に閉ざされることになる。
(ドッ、ドッ、ドッ……)
そのときの練習試合に、相手捕手とのクロスプレーで右肘を壊してしまったのだ。ボールを投げても、バットを振っても激痛が走る状態となってしまった。それでやむなく、選手ではなく記録係として部に所属していた。
(ドッ、ドッ、ドッ……)
高校になった今は、俺と同じ帰宅部だ。本人曰く、記録係は嫌々やっていたという感じで、選手になれる可能性がないなら部活に入る必要はない、とのこと。今は完治こそしているが、ボールを投げること、そして肘を圧迫するように頬杖を突く時は痛みがあるらしい。
(ドッ、ドッ、ドッ……)
……それにしてもさっきからこの音はなんだ。ペンを進める音ではない。何か柔らかいものを突っついているような、そんな鈍い音だ。それは俺の前から聞こえてくる。
(ドッ、ドッ、ドッ……)
間違いない。Dだ。Dが何かをしている。
「静かにしなさい」
現代文の教師がようやく注意する。その薄目の睨みは、Dに向けられていた。
「すみません」
Dが一拍置いてそう言うと、右肘をついた状態から背を伸ばした。
それ以降は何事もなく時間は進み、数分後に終わりを告げるチャイムが鳴る。
「おい、お前大丈夫か? 今日はなんか変だぞ」
Dに尋ねるも、彼は返事をしなかった。俺を横目に見ながら教科書を机にしまっている。
「いや、特に何もないよ」
そう言うとそそくさと教室を出て行った。
特に変わりないのはわかる。ただ、先ほどの頬杖を突いた姿勢は隠しようもない変化だ。
ここ最近、Dは落ち込んでいた。少し前に親しい人が亡くなったということで二日ほど休み、それからというもの元気がなかった。そしてここ最近になってようやく普通の状態に戻った。
この一連の様子の変化は何らおかしいところはない。親しい人が亡くなって感情が落ち込み、最近になって元気を取り戻したというごく当たり前の感情の変化だ。
しかし、今感じている違和感はそのようなものではなく、もっと異質なものだった。
五時限目の英語が終わり、今日の授業は終了した。放課後になり、ぼちぼちクラスの連中がそれぞれの目的地へと向かった時に、教室に入ってくるやつがいた。
古賀は隣のクラスで、Dと共通の友人である。少し小太りで背が低い、丸みを帯びた体系だ。
「よう、
「もう帰ったよ」
どうやらDに用事があるらしい。あいつは現代文の授業が終わった時のように、何も言わずにぱっと教室から出て行った。
「なんか用事か?」
「いやいや、そんな大した話じゃない。祠跡地に行ったあいつの経過報告を聞きに来ただけだ」
「それなら俺が答えよう。何もなかった」
本当にそれでいいのか? 若干のしこりを心に抱えながらも、俺はそう答えた。
「なんだ、つまんねえの」
古賀は心底残念がるように肩を落とし、話を聞いた時に感じた俺の感想と全く同じようなことを言った。
「まあしょうがねえよ。都市伝説なんてそんなものさ」
都市は都市でも、都会からは離れた地方都市。その一画で発生した今回の噂。これが大して耳の早くない俺にも届いたのは、ここ一週間のことだった。しかし肝心の中身については、その内容のみでその背景を聞いたことがなかった。
「あの心霊スポットにまつわる噂を詳しく聞かせてくれないか」
思い立ち、俺は古賀に聞いた。幽霊などは信じないが、右肘の件が多少頭にあったからなのか、そういう衝動に駆られた。
「噂と言うか何と言うか。まあまずはあそこにあった祠に関する話でもしようか」
周りにはほとんど人はいなかったが、古賀は努めて声を抑えながら語った。
「実はあそこにあった祠は、戦争のときに亡くなった人を祀ったものなんだ」
「戦争? ここらへんはむしろ疎開先に選ばれるような場所じゃないのか?」
「この町にも空爆の被害はあったみたいだ。東京や名古屋のような大規模なものに隠れるけど、日本のあちこちで空襲はあった。ここもその中の一つ。あの祠のあった場所に防空壕があって、空襲によって中に避難した人たちがそこに閉じ込められたらしい。それで全員が餓死したんだって俺は聞いた」
「じゃあその防空壕で亡くなった人の霊が、その祠の石に触った人を呪い殺すということか。にわかには信じがたい」
そもそもどうして石に触っただけで呪い殺されなくてはならないのか。
「でも現実にこんな話がある。祠のある場所を開拓するということで、この町にある業者が、あそこ一帯の木を伐採しようと計画した。そして敷地内の祠を取り除こうとし、上部分をクレーンで壊した直後、その場にいた社長が心臓発作で死んだらしい。作業員もその後事故にあったりとさんざんな目にあったため、その工事は凍結されたって聞いた」
昔の恐怖番組などでよく聞いた話である。どこまで色をつけたのかわからない。
「ここまで話してはみたけど、所詮全部又聞きで中身に関しちゃあ何もわかっていないのよ」
「まあ噂なんてそんなものだろ。なんかの事件から噂が立ったに決まっている」
事件と言えば、二週間ほど前にこの町で手首を切って自殺をした学生がいたと聞いた。事件など滅多に起こらないこの土地では、そういった非日常から無理やり延長線を引っ張る輩がいるだろう。
「そうだな。あの噂は嘘だった。Dが何も変わっていないのがその証明だ」
そうだ。それが答えだ。Dは特に異常がない。あるとするなら、右肘が治った? こと。あとはそう、あの都市伝説を話し始めたときのギラギラとした目。
しかしそのどれもが、月日や自分の勘違いで片付けられることだ。だから気にするようなことではない……はずだ。
「ん? なんだこれ」
古賀がDの席の方を見てそう言った。
「あいつ変な消しゴム使ってんな」
古賀が視線をたどると、机の上にはおかしな模様の消しゴムが置いてあった。
カバーは剥がれ、裸となって露出した表面に黒の斑模様がある。一体どんなものだろうと眺めてみると、それが単なる模様ではないことに気づく。
それは穴だった。なにか細いもので突かれてできた、小さな穴だった。
「えっ? なんだこれは」
その消しゴムの隣には、少し芯の出たシャーペンがあった。それを見て、俺は先ほどの音を思い出す。
(ドッ、ドッ、ドッ……)
やたら響いていたさっきの音は、消しゴムをシャーペンの先で突いた音だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます