南越王国の最期
ははそ しげき
序
一九八三年十一月十日、中国の新華社通信は世界に向かってつぎの記事を発信した。
中国の考古発掘、またも偉大な成果
――西漢(前漢)
広州市越秀公園西側の
一九八三年六月、広東省関係機関の宿舎ビル建築中に発見されたもので、文化部(文化省)と中国社会科学院を経て、国務院(内閣にあたる)に報告、その承認をうけ、八月より文物考古部門が科学的発掘を開始した。
この墓葬は、象崗の中腹に構築されている。岡のいただきから深さ二十メートル、南北に向いている。墓室は前後両部分に分かれ、全六室、墓室の全長十・八五メートル、もっとも広いところで十二・四三メートル、墓の上部はすべて大きな石板で覆われていた。最大の石板は前室の頂蓋石で、長さ二・五メートル、広さ二・二メートル、厚さ二十四センチである。前室・後中室(後蔵室)は石の門で密閉されていた。墓室は深遠幽明のうちにあり、あたかも地下宮殿を思わせる。
副葬品は、礼器・兵器・生産工具・生活用品・装飾品と薬石などである。品質・成分で分けると、青銅器・陶器・鉄器・玉石器・金銀器・象牙器・竹木器・絹織物など十余種類になる。数量がもっとも多いのは、現在分かっている千余点だけでいえば、青銅器が多数を占め、約五百余点、そのつぎは玉器で、約二百余点である。
重要な副葬品には、銅の
被葬者は後半部中央の主棺室に安置されていた。葬具は一
墓の中から十九個の印章が出土した。これは全国の漢墓のなかでもめずらしい。もっとも大きなものは
南越国は西漢前期、嶺南地域に独立割拠した政権で、五世九十三年つづいた。その歴史は『史記・南越列伝』『漢書・
今回の墓葬発掘以来、各方面団体から現地に博物館を建設して永久保存し、国内外の学者や多くの人民の参観に供してはいかがかと打診されている。
(新華社発一九八三年十一月十日電より、著者訳)
新華社のニュースは、発掘開始直後の状況を伝えている。考古学的調査は現在なおつづけられているから、最新情報にもとづく記述と、若干の違いがある。
「西漢南越王博物館」は、一九八八年に開館され、世界の人々に開放されている。
「南越王墓遺跡」以外にも、「秦代造船工場遺跡」「南越国宮署御苑遺跡」など、南越国ゆかりの遺跡が二十世紀の七十年代以降、あいついで発掘されている。
しかし、「南越王趙佗の陵墓」だけは、いまだに発見されていない。
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