箱庭の向こうへ

尾葉 柳

第1話 箱庭の向こうへ

 太陽の光が遮光カーテンの隙間から入り込む。

 それが一定の量を超えると少女は目を覚ました。


 むくりと上体を起こした少女の目は開いているのか開いていないのか自分でも判断がつかない。

 そのまま少しの間じっとする。

 少しずつ脳が覚醒されていく感じが少女は好きだった。

 五分ほどで少女はすっかり目を覚まし、制服へ着替えて部屋を出る。


 トントントン、とリズムよく階段を下りると食卓へ。

 少し冷めてしまった朝ごはんがそこにあった。


 インスタントの紅茶を入れると少女は椅子に座る。

 一口、二口。

 ふぅ、とため息を漏らすと少女は食べるのをやめた。


 両親に良く似た濃い茶色の瞳をキョロキョロと動かしさ迷わせる。

 それはコンビニの袋を捉えてようやく動きを止めた。

 一瞬手が止まったが少女は朝食をその袋に入れゴミ箱へ捨てる。

 立ったまま残った紅茶だけを口にしてカップを流し台へ入れると指定のカバンを手にして家を出る。


 いつもの道。

 この道を通り始めて二年目となる少女は歩いて学校へと向かう。

 自転車でも良かったのだが、すぐに同じ学校の人たちで道が溢れ返り結局手で押して歩くハメになるのだ。


 もう一つの理由もあった。

 想いを寄せている先輩が途中から少女の使う道と重なるのだ。


 丁度いつも先輩が出てくる道へと差し掛かる。

 けれども少女は前だけを見て歩く。


 もう先輩がそこから出てくることはない。

 少女の心がそう言っていた。


 学校へ着き、靴を下駄箱へと入れ教室に向かう。

 友達同士の挨拶が少女の耳に入る。

 それを聞き流しながら教室へ入ると、同じことが少女にも起きた。


「おっはよー。知ってる? 三年生が事故にあったんだって!」


 その口調はまるで有名な芸能人が結婚した、という単純な驚きしか含まれていなかった。

 少女は胸にずしりと重りを入れられたような感覚に見舞われ、同時に気分が悪くなる。

 目の前のクラスメイトの神経を疑いもした。


 気づかれない程度に深呼吸をすると、声を荒げる事なく少女は生返事だけを返して自分の席へ。

 ホームルームが始まるまでの時間がとても長く感じられた。


 少女は外に居た。

 校庭から空を見上げる。

 赤い色が今日も学校が終わったことを少女に教えてくれた。


 今日は静かに思考に耽っていたかったが、周囲はそんな少女の心を知る由もなくいつも通りに騒ぐ。

 あれこれ話しかけられたような記憶はあるがどれも既に朧げとなって詳細は思い出せない。

 昼食すらも取ったかどうか分からなかった少女だが、とりあえず門を出て歩き出す。


 周囲には同じ学生が多かったが、次第にそれは変化する。

 子供、大人が入り乱れ徐々に外国人も多くなった。


 少女の住む町には元々多かった観光客が更に増えていた。

 新たに一つの建造物ができたからだ。

 高いタワーのような形をしているそれは全世界に信号を発することが出来る。

 現在では「一日一善」や「隣の人に優しくしてみよう」等の言葉を各国の言葉に変換して送信する程度だが。


 そのタワーの根元には電光掲示板が設置されており、今日の言葉が表示されていた。


『後悔しないように考えて行動しよう』


 チラりとも視線を向けず、少女は歩く。

 そして再び周囲は変化する。


 同じ市内。

 けれども先ほどまでとは打って変わってシンと静まり返っている。

 人の声も、誰かの作業の音もせずただ僅かな風が少女に音を届けているだけである。


 十数分前にまだ少し人通りのあった道を外れて以来、誰とも出会っていない。

 少女は気にすることなく歩き続け、とあるビルの前で立ち止まった。


 入り口の自動ドアは既に壊れ開きっぱなしだ。

 仕事用のデスク、椅子、壊れたパソコン。

 埃を被り地面に倒れたそれらがかつてこの場所で誰かが働いていたことを示している。


 少女はビルの中に躊躇なく入る。

 自分の足音だけが響く中、少女は今日ようやく思考し始めた。



 大好きだった一つ年上の先輩。

 まだ片想いと呼べる段階だったけれど、一緒に話しながら帰ったり食堂でお昼を一緒に食べたりした。

 面白くて、明るくて、困った時は手を差し伸べてくれる優しい人。

 そんな先輩には、たくさんの友達がいた。


 だから、気づけた。


 先輩が事故にあった時、私は丁度学校の敷地から出るところで、先輩の友達だろう三年生が驚愕を声で表すように大きな声で先輩の名前を口にしたから。


 変わった苗字に女の子みたいな名前。

 そんな人は学校に先輩しかいない。


 その三年生から続いて出てきた事故の単語。

 心臓が飛び跳ね体が硬直したような気もするが、多分違う。

 気づけば走っていたから。


 いつも別れる道。

 先輩の背中を見送る道を私は走った。

 一度だけ先輩の家の近くまで行ったこともあり必死に思い出しながら道を進んだ。


 『ここを通ると近道なんだ。歩きの時しか使えないけど』


 得意げな笑顔でそう言っていた先輩。

 昔からある喫茶店が目印で、その路地。

 一瞬通り過ぎたけれどすぐに戻り細い道を駆け抜ける。


 次に視界が開けると住宅街で、そこで私の足は止まった。

 地面や塀に黒い染みがあったから。


「また事故みたいですよ」

「救急車の音がしてたけど大丈夫なのかしら?」

「車とぶつかったんですって」

「怖いわね……子供にも気をつけるよう言わなくちゃ」


 この辺りの主婦だろう女性達がやや顔をしかめて話し合っている。


 砕けたコンクリートが地面の端に寄せられている。

 ぶつかった衝撃なのだろうかミラーがひび割れそれを支える柱も曲がって今にも折れそうだ。

 けれど私の視線はそれらではなく、地面に置かれた小さな花束に注がれた。



 気づけば少女はビルの階段を昇りきっていた。

 もう階段はこれ以上続かない。


 目の前には屋上へ続く扉。

 幸い扉は壊れているのかギギ、と錆びた音を立てて動く。

 少女は力のある方ではなかったが、扉に肩をつけ体重をかけながら力一杯押すようにすると扉は開いた。


 埃っぽい空間に外の新鮮な空気が流れ込んでくる。

 少女は屋上へ出る前にカバンを置いて身軽になった。

 というのも精神的なもので、カバンには教科書も、弁当箱も入っておらずノートが一冊入っていただけだ。


 靴も脱ごうかと思ったが、コンクリートの破片やガラスの欠片らしきものが視界に入りやめておく。

 それらを踏み音を鳴らしながら少女は真っ直ぐ進んで背の低い手すりの前で立ち止まる。


 高いタワーが目に入る。

 工事中の時から少女は見ていたが、何の愛着も感じない。

 もしかしたら以前は感じていたのかもしれないが、もう少女にも分からなかった。


 下を見る。

 心臓がギュッと締め付けられるような感覚。


 誰も居ない。

 視線を僅かに上に向けるとサラリーマン風の男が電話片手に忙しそうにメモを取っている。

 少しだけ視線を横にズラすと男子高校生が三人並んでこちらへやってきているのが見えた。


 静まり返り、車もほとんど通らない道。

 自転車の彼らにとっては通りやすいのだろう。

 少し申し訳なく思ったが、しばらく放置されるのも嫌だと思い少女は行動に出る。


 錆びが手につくのも気にせず、乗り越える。


 地面のギリギリに立つと一度深呼吸する。


 そして倒れるように、少女は飛ぶ。


 ふわりと体が浮いた感じがした。


 怖い、よりも先輩に会いたい、という感情が少女の心を占めたのか恐怖は感じなかった。


 その思いからか視界に映るのはビルの外壁でもなければ迫る地面でもなく、過去の出来事。


 楽しかった、今までの。


 何秒たったのか分からない。


 浮遊感を感じているのかそうでないのかも。


 生きているのか生きていないのかも分からなくなった。


(あ、先輩――)


 願いが叶ったのか、少女の目にその人の顔が映った気がした。




 コンクリートの地面に赤い花が咲いた。

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箱庭の向こうへ 尾葉 柳 @201603031511

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