犬勇者
吉行ヤマト
第1話 犬勇者
俺の名はアレク、アレクサンダーだ。
というのは嘘だ、本当の名前はピヨールという。あまりかっこ良くない。これから勇者になろうという男の名前がピヨールではちょっとなんだかなと思う。だからアレクにした。これは決定事項だ。
俺は今、勇者の谷に向かって旅をしている。谷には聖像があり、そこで洗礼を受けると勇者になれるのだ。なれるのだ! と言っても、絶対になれるかどうかはわからない。なれると言われている、なれるという言い伝えがある、という程度の話だ。だが他にそれらしい場所がなかったので10年かけてその麓までたどり着いた。
10年……10年だ。
最早、俺に正常な判断能力は無くなっているのかも知れない。旅立った頃の気持ちはなんとなく覚えている。最初の頃は楽しかったとついつい懐かしんでしまう。毎日、自分が強くなるのを感じることができた。装備も徐々に充実していった。まあ、最初は普段着と短めの剣だけだったがな。
今は結構な板金鎧と手に馴染んだ良い感じの長剣、そして持ちやすいのに硬くて軽い丸盾と、俺の装備で一番凄い兜を被っている。この兜はかぶっていると疲れにくいのだ。なんだか特別な効果があるらしいが詳しくは分かっていない。まあ、旅の途中でたまたま見つけただけなので、出所も何もわからないというのが本当のところだ。まあ、そんな感じで今の装備になったのだが、ここ3、4年はずっと同じ装備で少し飽きてきた。
勇者になる為に向かっている谷だが、谷と聞いていたのにずっと山道を登っている。谷への道はずっと一本道なので間違ってはいないはずだ。ただ山の中の一本道なので途中途中で草木に覆われていたり岩が塞いでいたりと危うい場所もあるにはあったが、道から逸れたりはしていばいはずだ……多分だが。
俺が勇者になる理由は単純だ。不老不死を手に入れる為である。勇者は死なないというのは有名な話だ。死なないと分かっていたら竜や魔王とも戦えるだろう。そうでないなら勇者という奴は只の馬鹿だ。実際、馬鹿はたくさんいて無謀にも戦いを挑み死んだりしているのだが。やる前に気付けよと俺は思う。まあ、竜の眼の前まで行ってから気付いてもそうそう逃げ切れはしないだろうが。
歴史に残っている勇者の数はそんなに多くない。俺が知っているのは2人だけ。他にも居るらしいが、ここ数百年は居ないらしい。谷にある聖像に神が降りて来るのが200年から500年毎だと言うからそれが原因だろう。それにしても、誤差300年って……多すぎるだろ! 神って言うのはあまり仕事熱心では無いのかも知れないな。
山道を登り続けた俺は山頂に着いてしまった。目の前には広大な森、森、森、森だらけだ。あれ? 谷はどこだ? 少し不安になって来た。どこかに谷が隠れていないかと目を凝らして森を見つめていたら急に背後から話しかけられた。
「あんた、ゆうしゃになりにきたんか?」
振り返るとそこには声からは想像つかない程幼い少年が立っていた。
「あんた、ゆうしゃになりにきたんか?」
少年、と言うか子供がもう一度聞いてきた。
怪しい、怪し過ぎる。こんな山奥の山頂に子供が居るなんて。魔物か? 人里離れすぎて人に化ける時の常識を分かって無いのかも知れない。逆に神の使いかもしれんが? 子供って神の使いっぽいからな。困ったな、正直に言うべきか、誤魔化すか。いきなり黙って斬り捨てるのもありだが……。
子供を見下ろしていると、子供も俺を見つめている。
「そうだ」
久しぶりに声を出した、俺は自分の声をかみしめる。すると子供はにっこり笑う。
「あんた、ついてくるんか?」
俺は即答する。
「行こう」
子供は俺の返事を聞くと満面の笑みを浮かべて歩き出した。
子供の後ろ姿を見つめながら俺は後をついて行く。よく見ると子供は服を着ていない。毛皮を羽織っているのかと思ったら、そうではなくてただ毛が生えているだけだった。
これは魔物だな、魔物。お尻から黒くて細い尻尾が生えてるしな。
斬るか。
斬るかなぁ……斬るしかないか……なんだかなぁ……別に魔物だから斬るのはいいのだが、子供はちょっと嫌だな。そう言う意味ではこいつの化け姿は俺には有効なのかも知れない。そう思うとちょっと負けた気がしたので俺は考えるのやめた。
斬ろう! 斬ってしまおう。
ずっと右手に持ったままの長剣を握り直して、片手のままそっと胸の前で構える。
その間も子供は前を歩いて行く。山頂から少し下った細い山道は俺が登って来た道と反対側にクネクネと斜面に沿って続いている。だから少し前を歩く子供の姿は、時々茂みに隠れて見えなくなったりする。
斬るなら早く斬らないと面倒なことになるかもな。逃げられて仲間でも呼ばれたら堪らない。などと考えていたら先に手を打たれてしまった。子供が消えたのだ。今通り過ぎた大き目の茂みにでも隠れたのかも知れない。
とすると待ち伏せか?
俺は構えたまま辺りの様子を伺った。
「あんた、とおりすぎたんか?」
子供の声がした。見ると子供を見失ったと思っていた茂みとは道を挟んで反対側の茂みから子供が顔を出していた。
「あんた、こっちくるんか?」
子供が寂しそうに聞いてきた。いや、怯えているのかも知れない。俺は斬るのをやめて構えを解いた。
「行こう」
子供の問いに返事する。すると子供は再び満面の笑みを浮かべた。
子供は茂みの中に戻り草木を掻き分けて進んで行った。俺は今度は見失わない様に子供のすぐ後ろをついて行った。山道から100mほど真っ直ぐに進んだ場所に木の枝や葉っぱを敷き詰めた鳥の巣の様な物があった。子供はその前で止まり俺の顔を見上げた。
「あんた、なおせるんか?」
そこには黒い子犬がうずくまっている。怪我をしているのか、病気なのか原因は不明だが、息が荒く目が虚ろだ。腹が減っているだけという感じでもない。
「あんた、なおせるんか?」
子供が俺の鎧の端を掴んできた。
どうしようかな。薬草使ったら治るかも知れないが子犬に使って良いのかどうか……確か馬とか牛にも使えるという話は聞いたことはあるのだが。薬草は食べるだけじゃなく塗っても効くから確か馬とかには塗って使うとかいう話だったはずだ。
しかしだ……薬草はそこそこ高い。大体、宿屋一泊分くらいの値段だ。前の村では宿屋は銅貨7枚だが、薬草は銅貨9枚だった。犬か……別に嫌いではないが俺の犬ではないからな。助ける義理は無いのだが。
「あんた、ゆうしゃなるんか?」
や、やられた! それを言われたら薬草を使うしかない。こいつ、やはり只者では無いのかも知れない。ま、俺は勇者になるのだ、不老不死にもなる。そう考えるなら薬草も今後は使わ無いだろう。よし、使ってやるか。
薬草は胸の板金の内側に仕舞っている。正直少し蒸れるが、それが乾燥防止になるのだ。元々匂いはキツイので汗の臭いなどが付くことは無い。逆に鎧の臭い消しや虫除けになるくらいだ。
弱っている子犬の胸と腹に薬草を揉んでからぬてやる。すると子犬の荒い息が収まった。
「このまま寝かしておけば元気になろだろう」
そう言って後ろを振り返ると子供の姿は消えていた。俺は再び警戒しながら辺りをうかがう。何の気配もしない。子供は消えたが、子犬も子犬の巣も消えてはいない。
なんだかなぁ。
化かされたのか? 俺は? しかし子犬はいる。この子犬は完全にただの子犬だ。
なんだかなぁ。
ため息を付いて腕を組んだ俺はやばいことに気が付いた。元の山道がわからないのだ。100mほど真っ直ぐ来ただけのはずなのに戻る方角が分からない。犬と俺の位置から元の道に戻ろうとそっちを見ると先ほどまでなかった岩壁が見えた。かなり上までそびえている。そう思って反対側を見るとこちらにも岩壁がある。壁と壁に挟まれてまるで谷底にいる様だ。
谷? ここ……谷?
谷だった。がっつり谷だった。しかも少し先になんだか社っぽいものまである。ああ、俺、着いたっぽい。勇者になれたっぽい。
俺の名はアレク、アレクサンダー。勇者だ。
と言える様になってしまうなこれは……とにかく社に行こう。
俺は社の前にたどり着いた。社は中に入るというような大きさではなく俺の身長とほぼ同じ180cm程の屋根の下に祭壇のような石があり、その奥に格子状の鉄のはめ込み扉が見えた。周りの木々の陰になっているせいで格子の奥の御神体は全然見えないが、祭壇の部分に浮彫されているのは間違いなく勇者の紋章だ。
想像してたのと違う。
なんだかしょぼいのだ。周りの雰囲気もあまり神々しく無い。本物か? 実はもっと奥に大きな神殿があるとか? と思い、社の周りを一周して見たが何もなかった。
まじか。これであれか。こんなんで勇者になれるのか。目茶苦茶心配になって来た。
そんな俺の心配を他所に前触れなくそれは始まった。降臨だ。明らかに神的な光が必要以上の明るさで社に降り注ぐ。白なのか、黄色なのか、赤なのか。明るすぎて判断つかない。直接見続けると目がおかしくなりそうだったが目を逸らすと負けた様な気がするからギリギリ薄目を開けて光を見続けた。
しばらく見続けても光に変化は全くない。最初の勢いのまま降り注ぎ続けている。
あれ? これってひょっとして俺待ちなのか? 俺が何かするんだったかな?
勇者の伝説では洗礼を受けて名を名乗ったとかいう話だった。という事は俺の名を名乗ればいいのか。とうとう来たな。俺の名は……のくだりが。10年かかったが、このあと不老不死になるんだから安いものだろう。でも本当にあったんだな。目の前の光を見てもまだ少し信じられない。とにかく名乗ろう。ひょっとすると光っている時間にも制限があるかも知れないしな。
俺は一瞬だけ目をつむり、深く息を吸い鋭く吐き出してから名前を叫んだ。
「俺の『ワンッ!』」
え? わん!? 足元を見ると、さっき薬草を塗ってやった子犬がしがみついて尻尾を振っていた。
「ワンワンワンッ!!」
凄く楽しそうだ。
「あんた、きょうからゆうしゃ」
頭上からそんな声が聞こえた。
「ワン!」
子犬が返事をする。
「え? ちょ……何が!?」
俺は意味が分からず声がした頭上に問い掛ける。するとそこには先程の子供が下を向いて浮いていた。そして降り注いでいる光と共に上空へと消えて行く。
「あんた、おしかった」
物凄い速度で上昇し消えて行く子供が最期につぶやいた。惜しかったって何? どういう事? ひょっとして俺、勇者になれなかった? 洗礼って失敗とかあるのか? それとも既に俺は勇者なのか? 何の変化も無いが。
「ワン!」
さっきからワンワンうるさいよ。なんで懐いてくるのか。邪魔な子犬だ。俺は追い払おうとして子犬を足で追い払った。
ん? なんだこの 感触は?
子犬に触れた足から熱の様なものを感じる。旅用の薄めの皮靴だが、それでも足に直に熱の様なものを感じるなんて事は無い。
なんだかなぁ。
子犬が光っている。先程の社と同じ白というか、黄色というか、赤というか、とにかく光っている。眩しさは無いがとにかくキラキラと光っている……むかつくな。
「お前、お前が勇者になったのか?」
「ワン!」
犬が勇者だと。そんなのありか? 勇者は人間でないとおかしいだろ? いろいろ困るだろ? どうやって魔王と戦うんだよ!?
斬るか。
斬って次の勇者になればいい。って、それは無理っぽいな。俺、死んでるだろ。その頃には。
こいつ……不老不死なのか?
俺は使い慣れた長剣を子犬に突き刺した。子犬は避けようともしない。長剣から確かな手応えが伝わる。刺さっている。
やっぱり……死なないか。
子犬は長剣が刺さったまま尻尾を振っている。元気そうだ。つまり痛みは無い様だ。長剣を抜いて、頭を撫でて見る。尻尾の勢いが増す。痛みは無いが、撫でたら分かるのか。傷も無いな。これは不死だな。不老かどうかは今は分からないが多分不老なんだろ。やられた。俺の不老不死が。
終わったな。
俺の人生はなんだったのか。俺の旅はなんだったのか。勇者になれず不老不死も無い。何も無いな……いや、子犬はいるが。さっきからこの子犬……なつき過ぎだ。ずっと足にしがみついている。しつこい奴だ。子犬、連れて行くか。死ななくて珍しいから何処かの貴族や王様にでも売り付ければいい。
俺の名はアレク、アレクサンダー。犬の勇者の飼い主になった。
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