第574話 太陽の王と悠久の乙女⑨

「……おお……」


 その瞬間。

 ラクシャは目を見開いた。


「おお、おおお……」


 ただ感嘆の声を零す。

 近くで控えるウォルターも、自身の遠見の宝珠を見つめて「……これは……」と、驚いた表情を浮かべていた。


「……我が師よ」


 思わず師に尋ねる。


「これはいかなる現象なのでしょうか?」


 遠見の宝珠に映る光景。

 そこには真紅に輝く鋼の鬼がいた。

 この発光現象――いや、察するに発熱現象か――自体も興味深くはあるが、これ自体は恐らくあの鎧機兵自身の機能なのだと推測できる。

 戦闘性能を飛躍的に上昇させるオーバードライブ状態といったところだろう。

 かなりのリスクを背負う機能だと思うが、ウォルターが気になるのは黒い炎だった。


 両腕に二輪。背に巨大な一輪。

 合計で三つの黒い炎輪が現れ出たのである。


 こればかりは、鎧機兵の機能とは思えなかった。

 師ならば何か知っているかと思って尋ねたが、あまり期待はしていなかった。

 元よりコミュニケーションが取りにくい人物でもあるが、今の師は食い入るように宝珠を見つめており、声が届いているように見えなかったからだ。

 ウォルターが諦めて、ふっと口角を崩した解きだった。


「……魔気だ」


 意外にも師は答えてくれた。


「あの魔王具が帯びていた魔気が、視認できるほどに強く顕現しているのだ」


「…………」


 折角教えてくれたが、ウォルターは無言だ。

 正直に言えば、内容が理解できなかったからだ。

 しかし、ラクシャは構わず続ける。


「魔王具のみでは顕現は出来ぬ。あれは主がいてこその力。おお……」


 強く宝珠を握りしめた。


「やはり、あの御方だったとは。なんという僥倖。いや、これも運命か……」


 感嘆の呟きを零す。


「……師よ」


 そんな師にウォルターは問う。


「やはりあの青年が件の人物だと? ではいかがなされます? 師にとって重要な人物ならば、このまま王獣と戦わせるのはまずいのでは?」


 相手は固有種。

 それも激戦を生き抜いた大魔獣だ。

 本来ならば鎧機兵がたった一機で挑んでいい相手ではない。

 このままでは殺される可能性も充分に有り得た。


 しかし、ラクシャは、


「いや。構わぬ」


 そう告げて杖をつき、ウォルターを一瞥した。


「黒き太陽の君を侮るな。あの御方ならば王獣相手でも遅れなどはとらぬわ。まあ、ここまで手間をかけた器たる王獣を失うのは惜しくはあるが……」


 そこで水が溢れる杯に目をやった。


「最も重要な核は手に入れた。王獣候補となる固有種はまだいる。器はそれこそ手間をかける程度で用意はできよう」


「……ふむ」


 師の言葉にウォルターはあごに手をやった。


「あの青年の勝利を確信していると。しかし、固有種は……ましてや、あの王獣は決して侮れない怪物だと思われますが?」


「……ふん」


 尋ねるウォルターに、ラクシャは鼻を鳴らした。


「確かに侮れぬ。仮初とはいえ、王獣とは勇猛なる御方おんかたさまの器。お前が危惧することも理解は出来る。だがな」


 そこでラクシャは双眸を細めた。

 そうして、


「お前は太陽の君を知らぬのだ。例え強大な相手だろうと関係ない。あの御方は……」


 少し懐かしむように口角を崩した。


「いかなる状況でも勝利を掴む。我が主の盟友はそういう御方なのだ」



       ◆



 静かに。

 とても静かに。

 沈黙がその場を包んでいた。

 おもむろに。

 巨大な蛇は鎌首を仰け反らせた。

 ギシギシ、と全身の筋肉を軋ませて力を溜める。

 それは蛇特有の構え。

 獲物を捕らえて喰らう構えだ。

 一方、黒炎を背負う真紅の鬼は、右の拳を腰だめに構えた。

 真紅の拳が高熱を放ち、景色さえも歪ませる。


 ――《黄道法》の操作系闘技・《虚空》。

 全恒力の七割を収束させた破壊の剛拳。《朱天》の切り札である。


 あらゆる物質を塵に変える必殺の闘技。

 しかし、《業蛇》の繰り出す捕食に対し、これをぶつけることは出来ないだろう。

《朱天》と《業蛇》のサイズがまるで違うからだ。

 恐らく拳が触れる前に、全身をアギトに呑み込まれる。

 そのまま拳を繰り出す隙もなく、牙で全身を噛み砕かれるに違いない。


 同時に攻撃を繰り出すのは悪手である。

 ならば《朱天》としては《業蛇》の一撃をかわし、その後に《虚空》を叩きつける。

 それがベストだった。


 だが、それは容易い話でもない。

 いま、《業蛇》は全身の力を収束させている。

 次なる一撃はまさに全力全霊。最速最強の攻撃となるだろう。

 あの馬鹿げたほどの筋力から繰り出される一撃は、下手をすれば視認さえも難しいかも知れない。そんなことを想像させるような威容だった。

 かといって、先に動くのもまた悪手だった。

 わずかにでも跳躍すれば即座に鎌首は動き、《朱天》を喰らうことだろう。

 一度でも宙に浮けば、もう回避は不可能と言っても過言ではない。


 先に動くのは《業蛇》でなければならない。

 その上で回避するのだ。


 極めて高難度な条件だが、それをしなければ勝機はない。

 拳だけは構えて《朱天》は静かにその瞬間を待った。

 十秒、二十秒。

 時間だけが経過していく――。

 そうして、


 ――ギュンッ!

 大気を切り裂いて、《業蛇》の頭部が掻き消えた!


 本当に視認できない速さで動いたのである。

 そして次の瞬間。


 ――バクンッ!

 巨大なアギトは大地ごと標的に喰らい付いた!


 ――バギンッ、グシャリッ!

 閉ざされたアギトから硬いモノが砕き潰される音がする。

 その牙の間からは、未だ発光したままの金属製の竜尾が見えていた。

 それが地面に落ちる。

 その直後だった。


『……惜しかったな』


 上空から声がする。

 それはアッシュの声だった。

《業蛇》の頭上。

 そこに右の拳を構える《朱天》の姿があった。

 バチバチッと。

 食い千切られた竜尾から火花を散らしているが、それ以外は健在だった。


『その尾はくれてやるよ。餞別だ』


 言って、落下する《朱天》が迫る。

 そして、


『あばよ。今度こそ往生しな。《業蛇》』


 真紅の拳を振り下ろした――。

 巨大な頭部に直撃する剛拳。

 互いのサイズ差を鑑みれば、大したことのない一撃に見える。

 だが、そこに秘めたる威力はまるで星の収束だ。

 衝撃波が大気と木々を震わせた。

 鉄壁だった鱗も鎧の役割も果たせず、そこに虚空が生まれる。


 ――ズズウゥン……。

 その威力に胴体とアギトは分断された。

 濛々と立ち昇る土煙。

《朱天》は、大地に伏せる怪蛇の巨体の上に着地した。


 かくして。

 最後の王獣はここに倒れたのである。


「…………」


 アッシュは数瞬ほど、《業蛇》の遺体を見つめていた。

 首を落とされては流石に絶命だ。


「……ギャワ! カッタナ! ヘンジン!」


 と、オルタナが騒ぎ出す。


「……仮面さん」


 ルカも、ぎゅっとアッシュの背中にしがみついた。

 アッシュは苦笑を浮かべた。

 確かに《業蛇》との決着はついた。

 しかし、これで終わりではない。


『……出て来いよ』


 アッシュは告げる。


『どうせ、どっかで見てんだろ?』


 続けてそう指摘する。

 すると、ややあって《朱天》の数セージル先に闇が生まれた。

 そこから二人の人物が現れる。

 ラクシャと、ウォルターである。


(……さて)


 アッシュは双眸を細めた。

《業蛇》との戦いで《朱天》の消耗は深刻なモノになった。

 未だ恒力値こそ赤熱発光するほどに溢れ出ているが、すでに機体は限界だと言える。

 現状の戦闘能力は、並みの鎧機兵程度だろう。

 かなり危機的な状況である。


(どう凌ぐか)


 アッシュがそう思案していると、

 ――すうっと。

 おもむろに、ラクシャが頭を深々と垂れた。

 師に倣ってか、ウォルターまで気取った仕草で一礼する。


「お見事でございます」


 ラクシャはそんなことを告げた。

 アッシュは怪訝そうに眉根を寄せた。

 その様子が分かる訳ではないが、ラクシャは構わず言葉を続ける。


「不敬にも試すような真似をして申し訳ありませぬ。そして、御身の大切な悠月の乙女を不肖の弟子が攫ったこともお詫びいたします」


 一拍おいて、


「されど、そのお力の片鱗。確かに見届けさせて頂きましたぞ」


『……なに言ってんだよ? お前は?』


 アッシュはますます眉をしかめた。

 しかし、やはりラクシャは気にしないようだ。


「御身ご自身にはまだご自覚はなき模様。ですが、御身は確かにこの地に御座される。我が主もお喜びになられることでしょう」


 そこで、ラクシャは顔を上げた。


「そのためにも我が主にもご帰還して頂けねば。黒き太陽の君よ」


『……いや、誰だよそれ』


 アッシュはそうツッコむが、もはや薄々理解できていた。

 この男とは話が通じないと。

 そして案の定、


「我が主がご帰還された暁には再び。ではこれにて」


 そう告げて、ラクシャは再び闇を生み出して消えていった。

 アッシュとしては妨害も出来たが、相棒の消耗が激しいことと、あの男の存在が不気味すぎて動くことに躊躇ってしまった。

 闇は未だ虚空にある。

 ウォルターだけは残っていたが、


「では、私もそろそろお暇しよう」


 肩を竦めてそう告げる。

 闇が未だ消えていないのはお前もついてこいという師の意志だろう。


『お前も逃げ帰る気か?』


 アッシュがそう告げると、


「そう挑発しないでくれ。青年」


 ウォルターは苦笑を浮かべた。


「私は昔から師には頭が上がらんのだ。一応は命の恩人でもあるからな。だが、師も詫びた以上、私も詫び代わりに伝えておこう」


『……何をだ?』


 怪訝げにアッシュは眉をひそめて尋ね返す。


「今回に関しては本当に詫びの情報だ」


 ウォルターはふっと口角を崩した。


「君が倒した《泰君》。あの巨象のことだが、あの象の腹を開けて見るがいい」


『……あン?』


「固有種の遺骸は大金になる。しかし、その中でも《泰君》は別名『国堕とし』とも呼ばれていてな。あの象は奇妙なことに金銀財宝といった貴金属が好物なのだ」


 ふふっと笑う。


「国を襲ったのも腹を空かせてとのことだ。そのくせ、ほとんど消化は出来ない。かの大魔獣の生息地ではあの魔獣の糞を集める者もいたそうだ」


 そこでウォルターは一礼した。


「あの大魔獣は言わば生きた宝物庫ということだ。これは王女殿下に対する詫び金として受け取ってくれ」


 そう告げて。

 ウォルターも闇の中へと消えていった。

 闇はすぐに閉じる。もう近くに人の気配はなかった。


「……何だったんだ? あいつら?」


 一戦を覚悟していたアッシュとしては肩透かしを食らった気分だ。

 結局、奴らの目的も分からずじまいだった。


「……終わった、のですか?」


 ルカも困惑した様子で尋ねる。


「まあ、そうみたいだな」


 アッシュとしては、そう答えるしかなかった。



 果たしてこの騒動は何だったのか。

 奴らは《業蛇》まで復活させて何をしたかったのか。

 そんな多くの謎を残しつつも――。

 王都までも震撼させた王獣闘争は、こうして幕を閉じたのである。

 ただ、一つだけ大きな成果も残していた。



「け、けど……」


 ルカが、ぎゅうっとアッシュの背中にしがみついて言う。


「あのお爺さんの言うことが本当なら……」


 ルカは微笑む。


「私の花嫁資金が入手、できました」


 そんなことを言う強かな少女に、


「……はは」


 アッシュは、ただただ苦笑いを浮かべるのであった。











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