第553話 それぞれの胸中④
一方、その頃。
ジェシーの操る《アッカル》は樹海を彷徨っていた。
左腕には手に持つ円盾。右腕にメイスを構えて慎重に進んでいる。
どこかで魔獣の唸り声を聞くたびに彼女は肩を震わせた。
広大な大樹海を一人で捜索。
周囲は大樹に囲まれて、どこから魔獣が来るかもしれない。
全体のスケールがあまりに大きすぎるため、自身が人よりも遥かに巨大な鎧機兵に乗っているという感覚がなくなっていくようだった。
ある程度は覚悟していた。
しかし、これは想像以上の緊迫感である。
(……けど)
ジェシーは喉を鳴らしつつも捜索を止めない。
何としてでも王女殿下を見つけなければならない。
出なければ、サンクとエイミーの未来が閉ざされてしまう。
そんな想いでジェシーは自分自身を追い込んでいた。
ズシン、ズシンと。
大樹海を《アッカル》は進んでいく。
と、その時だった。
不意に《アッカル》の足元の影が広がったのだ。
ジェシーはハッとして《アッカル》を後方に跳躍させた。
直後、
――ズズンッッ!
空――大樹の枝から巨大な何かが降ってきた。
ジェシーが目を見開いた。
地面に半分ほど埋まったそれは、鎧機兵並みの大岩だった。
(……な)
続けてジェシーは頭上に目をやった。
大樹の枝。そこには一体の魔獣がいた。
黒い体毛に覆われた六セージル級の大猿。《暴猿》と呼ばれる魔獣だった。
この大樹海では、かなりメジャーな魔獣である。
特に手強さにおいて有名だった。
鋭い牙や爪、さらには剛腕。
戦闘力は高く、岩を武器に使うほどに知能も高い。
幼い子連れの個体を除けば群れを成さないことが救いではあるが、出来れば、単独では遭いたくない相手である。
「があぁああああああああああああああああああああああああ――ッ!」
咆哮を上げる《暴猿》。
次いで激しくドラミングをする。
明らかにジェシーの《アッカル》を敵と見なしていた。
「……く」
ジェシーは唇を噛みつつ、《アッカル》を身構えさせた。
無駄な戦闘はしたくないが、この大樹海で大猿型の魔獣から逃げ切るのも難しい。
出遭ってしまった以上、もう倒すしかなかった。
「があぁあああああああッ!」
大猿はまだ隠し持っていたらしい小さな石を投石した。
小さいと言っても砲弾並みの大きさだ。まともに受けては盾が陥没してしまう可能性もある。《アッカル》はさらに後方へと跳躍した。
その隙に《暴猿》は自分が投げた大岩の上に着地した。
流石は猿というべきか、巨体からは想像も出来ない静かな着地だった。
《暴猿》は唸り声を上げて大岩から降りた。
対する《アッカル》も円盾を前に、メイスを強く握った。
桜色の鎧機兵と黒い大猿は、互いに睨み合う。
そうして、
「があぁあああああああッ!」
右腕を振りかぶり、《暴猿》は飛びかかってきた!
勢いよく振り下ろすが、それは《アッカル》の円盾で防がれる。
ガリガリガリ、と盾の表層が削られた。
『この……ッ!』
ジェシーが唇を強く噛む。《アッカル》は盾で大猿の腕を大きく撥ね退けると、流れる動作でメイスを打ち込んだ。
それは《暴猿》の肩を強く殴打した。
しかし、
『……くゥ!』
ジェシーは《アッカル》を大きく後退させた。
渾身の一撃だったが、さほど手応えがない。
流石に痛みを感じてはいるようだが、出血などの負傷は見られない。
分厚い筋肉が衝撃を吸収してしまったようだ。
(相性が悪い……)
ジェシーは愛機の武器に舌打ちする。
これが長剣か大剣ならば、もっとダメージを負わせられたはずだ。
少なくとも出血を伴う負傷は与えられたはず。
――そう。エイミーの斧槍や、サンクの大剣だったら……。
「…………」
ジェシーはさらに強く唇を噛んだ。
ここでも自分は二人から
そんな想いを抱くが、かぶりを振った。
色々と考えるのは後だ。
今はこの危機をどうにかしなければならない。
思考をそう切り替えて、再び愛機にメイスを構えさせたその時だった。
(……え?)
ジェシーは目を瞬かせた。
いきなり不自然なモノを目の当たりにしたのだ。
《暴猿》の頭上。
そこに黒い巨大な石臼のようなモノが浮かんでいたのである。
木々の奥から伸びる強大な黒い大木らしきものに支えられた石臼だ。
それが蹄であると気付いたのは、振り下ろされてからだった。
――ズズンッ!
大地さえ揺らして、それは落下した。
下にいた《暴猿》をも巻き込んで。
打撃に対しては圧倒的な耐久力を持っていたはずの大猿は無残に潰される。
その血は盛大に四散すると、離れていた《アッカル》の装甲を赤く染めた。
(………………え)
ジェシーは茫然としていた。
すると、
……ズズン、ズズン。
その蹄の主が大樹海の奥から現れ出た。
その全貌にジェシーは言葉を失った。
それは巨馬だった。
それも途方もなく巨大な馬だ。
鎧機兵でなお、見上げなければならない馬だった。
だが、その馬は全身が傷だらけだった。
小さな傷から深い裂傷まで。
古傷などではなく、どれも真新しい傷である。
中には大きく肉が抉られ、骨さえも見えているところまである。
ゴホッ、ゴポッ……。
恐らく肺もやられているのか。
巨馬は絶えず滝のような吐血もしていた。
その場に立っているだけで大地がどんどん赤黒く染まっていく。
どう見ても重篤な状態だった。
いや、たとえ固有種であっても生物であるのならば、とっくに死んでいなければおかしいレベルの状態である。
だが、それでも巨馬は生きていた。
そして憤怒している。
激怒している。
巨馬は再び前脚を上げると、《暴猿》の死骸を踏みつけた。
さらに血が四散にジェシーはビクッと肩を震わせた。
――五体の王獣の一角。《王馬》。
それは草原の王者の矜持か、意地なのか。
《王馬》は未だ倒れることを由としていなかった。
このまま死ぬつもりはない。
一体でも道連れにする。
狂気を帯びた眼差しがそう告げていた。
そして、
――ヒヒイイイィィンッ!
まるで断末魔のような雄たけびを上げて。
血塗れの王者は、ジェシーの前に立ち塞がるのだった。
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