第549話 原初の炎④
十分後。
アッシュは一通りの旅支度を済ませていた。
食料などを詰め込んだサックを足元に置いている。
両膝をつく相棒の傍で、軽くストレッチをしていると、
「……アッシュ」
ユーリィが近づいてきた。
彼女は顔を上げてアッシュに問う。
「……私も付いて行っちゃダメ?」
「今回はダメだって言ったろ」
アッシュはそう返した。
「オルタナの伝言だと、ルカ嬢ちゃんを取り戻すにはこの大樹海にいるらしい五体の固有種を倒せってことのようだしな」
オルタナの伝言は片言ではあったが、解読することは出来た。
要約すると、重要な点は三つだ。
一つ。今回のこの魔獣騒動の黒幕はウォルター=ロッセンであること。
二つ。現在、ドランには五体の固有種がいて殺し合っていること。補足としては、その内の一体は死んだはずの《業蛇》であること。
三つ。ウォルターはその巨獣大戦にアッシュの参戦を望んでいる。勝者になった時、ルカを解放するとのことだ。
「どうやって固有種を集めてきたのか。殺し合いをさせる理由はなんなのか。《業蛇》をどうやって復活させたのか。分かんねえことはまだ多いが……」
アッシュは双眸を細める。
「あのジジイが俺を誘ってんのは嫌がらせか面白がってるかだろうな。偶然、俺とルカ嬢ちゃんを見つけて悪戯心でも騒いだってところか」
遭ったのは一度きり。
しかし、あの老紳士の質の悪さは身を以て知っていた。
「……ルカは大丈夫なの?」
ユーリィが両手を胸元で組んで呟く。
「大丈夫だ」
そんな不安がる愛娘の頭を、アッシュはポンと叩いた。
「俺が奴の誘いに乗る限り、ルカ嬢ちゃんに手は出さねえだろ。じゃねえとあのジジイにとっての面白味が欠けちまうからな」
ただ、と言葉を続ける。
「今回はとんでもねえ強行軍になる。想定されんのは固有種との連戦……最悪の場合は混戦もありえる。荷物や食料は最小限に。そんでルカ嬢ちゃんを連れ戻した後のことを考えると、《朱天》じゃあ三人乗んのはきついからな」
だからこその単独行動だ。
アッシュ一人で赴くことはサンクやシャルロット、ハックたちも反対したが、全力で移動するアッシュについて行くには《七星》クラスの実力と機体が必要になる。
アッシュが別格だということは、サンクたちもよく理解していた。
渋々だが、サンクたちも承諾してくれた。
まあ、せめてもの気休めでオルタナだけは同行することになったが。
サンクたちは今、撤退の準備をしていた。
ハックたちとも協力して大樹海を脱出し、王都にこの事態を報告するためだ。
アッシュは機体整備をするサンクたちを一瞥しつつ、
「ユーリィはシャルたちと一緒に樹海を出るんだ」
「…………」
アッシュの台詞に、ユーリィは泣き出しそうな顔をした。
「大丈夫だ」
アッシュは、ユーリィの足に腕を回して抱き上げた。
「必ず生きて戻る。俺もルカもな」
「……ん」
ユーリィはアッシュの首に抱き着いた。
そして、
「ルカを助けてあげて。アッシュ」
「ああ。分かっている」
ポンポン、と彼女の背中を叩いた。
それからユーリィを降ろすと、今度は神妙そうな顔のシャルロットが傍に来た。
「……シャル」
アッシュが名を呼ぶが、彼女は一向に元気がなかった。
「……シャル」
もう一度名前を呼ぶと、シャルロットは視線を逸らした。
そして「私は……」と唇を動かした。
「やはり、私の失態です。ルカさまを守れなかった。その上、あるじさまにまでこんな危険すぎる強行軍をさせるなんて……」
「……シャル」
アッシュは嘆息した。
それから、彼女の腰に腕を回して抱き寄せた。
「あ、あるじさま?」
目を丸くするシャルロットの後頭部に手を添え、コツンと互いの額を合わせた。
「シャルは俺の嫁さんなんだ」
一拍おいて。
「今回のこと、どうしてもシャルが自分の失敗だって言うんなら俺が支えるよ。夫婦なんだから当然だろ。だから別のことで俺が失敗した時はシャルが支えてくれ」
「……あるじさま」
頬を微かに朱に染めてシャルロットは呟く。
アッシュは苦笑を浮かべた。
「出来れば、シャルにもアッシュって呼んで欲しんだけどな」
未だ普段では『クライン』と呼ぶことの多いオトハにも言っていることだが、シャルロットの呼び方は色々と誤解を招きそうだ。
すると、
クイクイっと。
腰辺りを引かれた。
目をやるとかなり不機嫌顔のユーリィがいた。
「シャルロットさんばかりズルい」
そう言って、両腕を広げた。
「ここにも未来の嫁がいる。ギュッとして」
と、抱っこをご所望された。
アッシュは苦笑を浮かべつつ、ポンポンとシャルロットの頭を叩いてから、ユーリィをかかえて抱きしめた。
「……ん」
ユーリィも力一杯、アッシュを抱きしめる。
ややあって、ユーリィを降ろすと、
「そんじゃあ、行ってくるよ」
アッシュは二人に告げるのだった。
「ルカを取り戻すために」
そうして………。
………………。
……………。
(……久しく忘れていたな)
黒い竜尾を揺らして風を切り。
大樹の枝から別の枝へと飛び移る《朱天》の操縦席でアッシュは想う。
(……どうして忘れていた?)
胸を灼くこの炎。
あの日に生まれた絶望の炎。
(始まりはオトに出会ったからか?)
彼女と出会い、学び、共に過ごして心が少し安らいだ。
(次にユーリィに会ったからか?)
旅に出て、彼女と出会った。
失った大切な存在と重ね合わせて彼女と共に生きることに決めた。
最も長く傍にて、これからもいると誓ってくれた少女。
ユーリィの存在はやはり特別だった。
(……シャル)
彼女とも出会った。
初対面では、いきなり斬りかかれたことは今もはっきりと憶えている。
あの哀しい水晶の都のことも。
(ミランシャにアルフ。団長。副団長。ブライ……)
その後も様々な出会いがあった。
背中を任せられる者とも一緒に戦った。
中には別れもあった。
そうして一つの結末を迎えた。
だが、その時さえもこの胸の炎が消えることはなかった。
(そしてこの国に来た……)
この国では、サーシャと出会った。
後に愛する女性となる少女。
妹のように可愛いアリシアとも出会い、世話のかかる弟のようなロックやエドワードとも出会った。弟と言えば、この国では実の弟とも再会した。
弟同様に故郷を思い出させてくれるレナとも再会したのもこの国だった。
気の合う友人とも多く出会った。
そして、
(……ルカ)
おっとりとした彼女とも出会った。
彼女は、まるで平和の象徴のようで傍にいてくれるだけで安らいだ。
この国に来てからは、トラブルも多くあったが、常に穏やかな心でいられた。
だが、その安らぎの最も大きな理由としては――。
(……サクヤ)
強く操縦棍を握りしめる。
アッシュにとっての始まりの少女。
もう二度と逢えないはずだった、愛する女性。
今の安らぎは、何よりもサクヤ自身を取り戻したからか。
(取り戻せない存在を取り戻した。だからか)
そのために
失う恐怖を忘れていた。
かつて、この国で一度ユーリィを失うという失態をしたというのに。
運命は容赦なく残酷で。
いつ襲い掛かってくるか分からないというのに。
だからこそ、この胸の中の炎が生まれたというのに。
「……初心に還れたか」
苦笑を浮かべる。
――いや、それは嘲笑と呼ぶべきか。
どこまでも腑抜けていた自分自身への嘲笑だ。
全く自分自身の間抜けさに嫌気が差す。
かつて失った少女を取り戻し、なおかつ大切な者が多くなった今こそ、この想いは決して忘れてはいけなかったのである。
「このお礼は存分にしてやるよ。クソジジイ」
原初の炎をその胸に。
凶悪な双眸で、そう呟くアッシュだった。
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