第542話 ザ・ランペイジ➂
……ズズン。
ズズンッ、ズズンッ、ズズンッッ!
巨獣は巨躯を大きく揺らして加速し始めた。
そして想定外の初手を繰り出してくる。
四十セージルにも届きそうな巨体で宙を跳んだのである。
それも十セージルにも及ぶ大ジャンプだ。
理外の脚力である。
(――マジかよ。おい)
流石にアッシュも驚いたが、動揺まではしない。
即座に《朱天》を後方へと跳躍させて回避行動に移る。
直後、
――ズズゥンッッ!
周囲の遺跡は崩れ、地面には放射状の亀裂が奔る。
巨獣の一撃は遺跡を大きく陥没させた。
まるで隕石の落下のような衝撃は退避した《朱天》の機体も揺らした。
『……チィ』
アッシュは舌打ちしつつ、《朱天》の態勢を立て直した。
だが、脅威はすぐ目の前に迫っていた。
まさしく《朱天》の眼前。
そこに巨獣の鼻が迫っていたのだ。
まるで砲撃のような速度の突きに《朱天》は咄嗟に重心を落とすことで回避した。
しかし、巨獣の鼻は上空へと持ち上げられると、そのまま打ち下ろされる!
対する《朱天》は腕を十字に交差させて巨獣の一撃を受け止めた。
凄まじい衝撃が地面に奔る。
《黄道法》操作系闘技――《衝伝導》。
それを用いて両足から衝撃を大地に逃がさなければ圧壊されている重撃だ。
(この象――)
アッシュは双眸を鋭くした。
と、同時に《朱天》の姿が巨大な影で覆われた。
息を呑む。
巨獣が再び宙を跳んだのだ。
「――《朱天》!」
アッシュは愛機の名を叫び、《雷歩》を使わせた。
雷音と共に黒い鎧機兵の姿がかき消える。
直後、再び巨体の一撃で遺跡全体が揺さぶらされた。
崩れ落ちる遺跡。縦横無尽に奔る亀裂。
そんな崩壊の中で巨獣は泰然と君臨していた。
「……アッシュ」
《朱天》の操縦席。
後ろに座るユーリィが緊張した声でアッシュの名を呼ぶ。
「……あの象……」
「……ああ」
アッシュは頷く。
「……強えェ。とんでもなく」
下手をすれば《業蛇》や先程の大蜘蛛よりも。
アッシュがこれまで遭遇した固有種の中でも群を抜いた個体だった。
「あの見た目であの速度はねえだろ……」
元々象という動物は以外なほどに足が速い。
本気で走られると人間では追いつけないとのことだ。
だが、あの跳躍力はあり得ない。
そして着地の衝撃をものともしない頑強さ。
果たして、あの巨躯を支える骨格とはどれほどのモノか。
それを覆う筋力はどれほどの力を秘めているのか想像も出来なかった。
「そんであの伸縮性の高い鼻か。速く小回りも利くあれは厄介だな」
これで遠距離攻撃も備えていたら、本当に完全無欠だ。
そう考えた矢先のことだった。
突如、巨獣の鼻がこちらを向き、大きく膨れ上がったのだ。
アッシュはハッとした。
「マジかよ!」
そして《朱天》を横に回避させる。
一瞬後、先程まで《朱天》がいた後方で破壊音が轟いた。
巨獣の鼻は元のサイズに戻っていた。
が、すぐに再び膨れ上がる。
「お前、何でもありか!」
アッシュは《雷歩》を用いて《朱天》を疾走させた。
巨獣の鼻が細くなる。途端、破壊音が遠方で轟く。
ユーリィが目を丸くした。
「アッシュ! あいつ、まさか!」
「ああ! 鼻から圧縮した空気を撃ち出してやがる!」
まるで城砦のような姿だと思っていたが、これでは本当に城砦からの砲撃だ。
その上、鼻は常にこちらを追尾して次弾も早い。
一撃で鎧機兵を大破させるほどの破壊力はなさそうだが、それでも装甲を陥没させる程度の威力は持っている。直撃したらマズいのは確実だ。
巨獣は空気砲を連射してくる。
当てるまで止めないつもりか。
だが、
「……舐めてんじゃねえぞ」
《朱天》は足を止めた。
次いで右腕を突き出し、不可視の恒力を撃ち出した!
《黄道法》放出系闘技――《穿風》だ。
恒力の砲弾は、空気砲と射線が重なった。
そして、
――ドンッ!
空気砲を弾き、《穿風》は巨獣の鼻を直撃した。
それで巨獣が傷つくことはなかったが、少し驚いたような様子だった。
そんな中、
――ズンッ!
おもむろに《朱天》が地を踏み抜いた!
亀裂が奔り、それは巨獣の足元にまで届く。
巨獣は動きを止めた。
一方、《朱天》は竜尾を揺らして、悠然と歩き出す。
一歩ごとに地を打ちつける力強い闊歩だ。
もはや逃げも隠れもしない。
それは王者の進行だった。
そうして《朱天》は巨獣の間合いで立ち止まった。
赤い眼光が巨獣を見据える。
『好き勝手にやりやがって』
――ズズンッ!
竜尾を大地に叩きつけ、《朱天》――アッシュは吠える。
『こっからは小細工なしだ! ぶちのめしてやっから覚悟しやがれ!』
その宣言と同時に《朱天》は拳を固めた。
「バオオオオオオオオオ――ッ!」
言葉が通じた訳ではないだろうが、巨獣も鼻を高々と上げて咆哮を轟かせた。
そして――……。
◆
場所は変わって大樹の枝の上。
深淵の魔術師は、遠見の宝珠で見つめていた。
宝珠には、黒い鬼と巨象の姿が映し出されている。
彼は、最初からずっとこの戦いを観察していた。
ややあって。
「……ふむ」
鷹揚に口を開いた。
「これは驚いたな」
正直な感想を吐露した。
「よもや単独で《泰君》と渡り合う人間がいようとは」
不肖の弟子の進言で認めたことだが、これは意外だった。
黒い鬼のようなカラクリ鎧と《泰君》は互角の戦いを繰り広げている。
確かにこの実力ならば弟子が進言する気持ちも分かる。
「まあ、それでも所詮は人間だろうがな」
ラクシャは口角を上げた。
今は互角でも人間と固有種では体力に差がありすぎる。
その上、耐久力の差も歴然だ。
攻撃の手数においては黒い鬼の方が勝っているようだが、どれほど攻撃を受けても《泰君》は歯牙にもかけない。
一方、黒い鬼は数撃でも受ければ大破する。
黒い鬼の体力、集中力は削られ、いずれ拮抗は崩れるだろう。
「それまで《泰君》に少しでも痛手を残せれば重畳か」
どうやら最低限の成果は期待できそうだ。
不肖の弟子にしては良き進言だったと言わざるを得ない。
「褒美に下術の一つでも伝授してやるか。しかし……」
そこでラクシャは眉をひそめた。
この遠見の宝珠は弟子にも渡している。
だが、この宝珠が使用されている気配がなかった。
「あやつが進言したというのに見物しておらんのか?」
ラクシャは戦闘の周辺に遠見の宝珠の効力を広げた。
直接、観戦しているかと思ったが、周辺にも弟子の気配はない。
果たして、あの弟子は一体――。
「……ふん」
ラクシャは双眸を細めて呟く。
「あの不出来な弟子は何をしておるのやら」
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