第539話 悪意、再び➂

 同時刻。

 とある大樹の枝の上にて。

 灰色の紳士服を纏う老紳士が宝珠を手に目を細めていた。

 遠方を見ることが出来るその宝珠には一人の人物が映し出されている。

 年齢は二十代前半ほど。

 白いつなぎを着た毛先のみが黒い白髪の青年だ。

 老紳士にとって見覚えのある青年である。


「いやはや、これは……」


 思わず苦笑を零す。


「まさかこのような場所で会おうとは」


 あの青年とは意外と縁が深いのかも知れない。

 それに加えて、


「……ふむ」


 宝珠が別の人物を映し出した。

 年の頃は十五、六ほどか。

 淡い栗色のショートヘアに、長い前髪の奥から時折見せる澄んだ湖のような水色の瞳が印象的な美しい少女だ。今は勇ましくもあり、煽情的にも見える山吹色の密着型スーツらしき服を纏っている。

 彼女とも顔見知りだった。


「よもや王女殿下までいらっしゃるとは」


 老紳士は笑う。

 特に王女の方は以前よりもさらに美しくなったように感じる。

 以前は幼き少女という印象が強かったが、今は女性らしさが強く表れていた。


 果たして恋でも知ったのか。それともすでに男に愛されたのか。

 やはり相手はあの青年だろうか?


「……少女はいつまでも少女ではないか」


 そんな感想を抱く。

 だが、知り合いはその二人までだった。

 他にも王女のスーツを同じタイプの服を着た美女や、白髪の青年と同じつなぎを着た美しい少女。または傭兵らしき男たちなど目を引かれる人物はいるが、老紳士にとって商売敵と呼べる男や、その息子の姿はない。


「……彼らだけなのか」


 少し残念にも思う。

 老紳士はあごに手をやった。

 数瞬ほどの沈黙。


「……ふむ」


 あごから手を離し、老紳士は首肯した。


「ここは師に進言してみるか」


 そう呟く。

 そうして場所は移って――。


「…………」


 長い静寂が続く。

 顔の右半分を髑髏の仮面で覆った深淵の魔術師。

 西方天・ラクシャは天を突く大樹の幹で座禅を組んでいた。

 樫の木の杖を横にして膝の上に置き、瞑目している。

 そうして微動だにせず数分ほど経った時。

 ……ゆっくりと。

 ラクシャは瞳を開いた。


「……ウォルターか」


「……は。我が師よ」


 ラクシャの声がけにその人物は応じる。

 くすんだ藍色の髪に、赤い眼差し。五十代半ばほどの男性。

 樹海には似つかわしくない先程の老紳士である。


 ――ウォルター=ロッセン。

 悪魔を志す狂気の男だ。


「瞑想のお邪魔をしてしまいましたか?」


 そう尋ねるウォルターに、


「ふん。構わん」


 ラクシャは表情を変えずに返す。


「それよりどうした? 貴様にはあ奴らの観測を命じていたはずだぞ」


「ええ。それですが……」


 ウォルターは苦笑を浮かべつつ、『遠見の宝珠』を取り出した。


「定期報告です」


「……ふむ」


 座禅を組んだまま、ラクシャは視線を弟子に向けた。


「申せ」


 簡潔に命じる。

 ウォルターは「は」と首肯した。


「師が放たれた五体の王獣。その内、《猿羅》と《王馬》。《死蜘蛛》と《業蛇》は戦闘に入りました。ですが、未だ決着がつく気配はありません」


 一拍おいて、


「最後の一体は《死蜘蛛》と《業蛇》の元へ向かおうとしたようですが、かの王獣たちが戦場を変えたため、遭遇することはないでしょう。未だ彷徨っております」


「…………」


 師は無言だ。

 いや、師も遠見の宝珠は持っている。ここまでは知っていてもおかしくない。


「師よ」


 ウォルターは尋ねる。


「私とて魔術師の端くれ。この儀式が最強の一体を生み出す術式であることは察しております。失礼ながらこのままでは一体、余力が残るのでは?」


「力のみならず、幸運、不運、戦術もあってこその儀式だ。だが」


 ラクシャは瞑目した。


「貴様の言う通り、これはいささか都合が悪い。ましてや未だ彷徨うあ奴は五体の中でも最も強いのだからな」


「やはりあの巨獣は……」


 ウォルターは神妙な声で呟く。


「オズニアの悪夢。かの『国堕とし』ですか」


「……ふん。知っておったか」


 と、再び瞳を開いたラクシャが弟子を一瞥して言う。

 一方、弟子は肩を竦めた。


「こう見えても、私は商人ですので。オズニアにも訪れたことはあります」


 そこで、すっと双眸を細める。


「十年前。オズニアの南西にあった草原の大国・フローリア。セラ大陸より鎧機兵も輸入していたかの大国をたった一日で滅ぼした大魔獣の名は聞き及んでおります」


「ふん」


 すると、ラクシャは鼻を鳴らした。


「無駄な知識だ。そのようなことにかまけておるから貴様は未熟なのだ」


「おお。これは手厳しい」


 ウォルターは肩を竦めてかぶりを振った。


「しかしながら師よ。いかなる経験も宝でございます。そうですな……」


 一呼吸を入れて。


「我が経験から師にご提案いたしたく存じ上げます」


「……何だ?」


 視線以外ほぼ微動だせずにラクシャは問う。


「申せ。聞いてやる」


「……は」


 ウォルターは恭しく一礼した。


「師もお気づきかと思われますが、今この大樹海には多くの人間がおります」


「……………」


 師は無言で弟子の声に耳を傾けている。


「彼らが何者であるかまでは分かりませぬ。しかし、恐らくこの大樹海に訪れた調査団の類であると推測いたします」


「……………」


 師は未だ無言だ。

 レスポンスがないことに苦笑をしつつも、ウォルターは言葉を続ける。


「つい先程のことです。《業蛇》と《死蜘蛛》の観察中、実はその中に知り合いたちの姿を見つけまして。いやはや本当に驚いたものです」


「……それがどうした?」


 聞き手に徹していたラクシャが初めて口を開いた。


「よもや知人がいるから儀式を止めよと申す訳ではあるまい」


「まさか」


 ウォルターはかぶりを振った。


「これほど面白そうな……失礼。これほどの儀式を止める気などありませぬ」


「では、何が言いたい?」


 ラクシャが率直に尋ねると、ウォルターは嬉しそうに双眸を細めた。


「私の知り合いとは、美しき姫君と、その騎士でございます」


 かつての自身が演出した事件を思い出しつつ、ウォルターは告げる。

 先程の青年。

 そして王女殿下はその舞台の主演たちだった。


「師に進言いたします」


 ウォルターは大仰に頭を垂れた。


「かの騎士を六番目の王として参戦させてはいかがかと」


「……なんだと?」


 ラクシャは眉をしかめた。

 が、すぐに皮肉気に口角を上げた。


「何を言い出すかと思えばくだらん」


 樫の木の杖を手に立ち上がる。


「この王獣闘争にたった一人の人間如きを参戦させてどうするのだ」


 至極真っ当な指摘だ。

 だが、ウォルターは笑みを崩さない。


「確かにそうですな。勝ち抜くことは厳しいでしょう。ですが私の見立てでは」


 人差し指を立てる。


「恐らくは一体。かの騎士ならば倒すことも可能でしょう」


「……なに」


 再び眉を動かすラクシャ。

 その瞳には興味の光が浮かんでいた。


「お前がそこまで見込むのか。それほどの人間か?」


「……は」


 ウォルターは苦笑を浮かべた。


「かの騎士には私も肝を冷やされましたから」


「……ふん」


 ラクシャはウォルターの横を通って歩き出す。


「好きにしろ。失敗しても大局に影響はなかろう」


「御意」


 ウォルターは再び頭を垂れた。

 ラクシャはそのまま進んでいき、大樹海の奥へと消えた。

 その場に残されたのはウォルターだけだ。

 そして、


「さてさて」


 悪魔を目指す男は嗤う。


「これは久々に演出家の血が騒いでしまうな」


 そう呟き、彼の姿も消えた。

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