第523話 不変の湖④

 ルカが召喚した巨岩。

 それは、本当に家そのものだった。

 岩石に偽装した、強固な装甲で壁を覆った家だったのである。

 分厚いドアを開くと、恒力による明かりが点く。

 巨岩の内部は、全体的に四角上の整理された部屋だった。

 まず目に入ったのは、長細いテーブルと、八つの背もたれのない椅子だった。

 この距離でも鉄製なのは分かる。テーブルも椅子も、床に固定されているようだ。

 その奥に見えるのは、キッチンだ。

 簡単な調理を想定した簡素なキッチン。

 その隣には小さな部屋がある。位置的にトイレ兼シャワールームだろうか。

 部屋の両壁には、小部屋もあった。

 左右合わせて八部屋。

 下に二部屋、上に二部屋と重なっており、そこだけ二階になっていた。二階に上がる階段も左右それぞれにあり、そこから、上階の小部屋には入れる構造になっていた。

 恐らくこれらは個室だろう。


「こいつは驚いたな」


 アッシュは、素直に感嘆した。


「今日までの期間の短さで、よくここまで造り込めたもんだ」


 言って、テーブルに手を置く。

 椅子やテーブルが固定されているのは、魔獣の襲撃を考慮したものだろう。

 この巨岩に偽装したコンテナ自体も、相当な重量と装甲だった。

 特に装甲に関しては、鎧機兵以上だ。

 恐らく、十セージル級以上の魔獣の襲撃も想定してある。

 元傭兵でもあるアッシュは、改めて感嘆した。


「すげえな。ちょいとした砦に近いぞ」


「元々、アイディアはあったん、です」


 ルカが、はにかんで告げる。


「こういったのがあったら、キャンプも安全かな、って。今回使うとは、思ってなかったけど、前から着手はして、ました」


「へえ」


 アッシュは、ルカを見つめた。


「それが、今回、間に合ったってことか?」


「はい」


 ルカは、頷く。


「けど、転移陣で召喚できるのは、この『ハウス』だけ、です。転移陣は水や食べ物までは運べないから、それは自分で持ち込む必要があるけど……」


「それでも充分です。殿下」


 と、遅れて部屋に入ったサンクが言う。


「まさか、樹海でこんな場所で休めるとは思ってもいませんでした」


 その意見には、ビレル姉妹も同意見だった。


「そうね。安心して休める場所は貴重よね」


 ジェシーがそう呟き、ルカに目をやった。


「ありがとうございます。殿下」


 王女殿下に頭を垂れる。


「い、いえ、そんな大したことは……」


 ルカは、パタパタと両手を振った。

 と、その時、


「……ところで殿下」


 エイミーが両壁にある小部屋の一つを指差した。


「あれは個室ですか?」


「あ、はい」


 ルカはこくんと頷いた。


「この『ハウス』は八人用なん、です。あれは個室で、中にはベッドもあります。着替えぐらいなら出来る広さもあり、ます」


「そう、ですか……」


 エイミーは少し考え込み、「あの、殿下……」と王女殿下に尋ねた。


「あの個室は、防音なのでしょうか?」


「あ、はい」


 ルカは、ポンと手を叩いた。


「あの部屋だけじゃなくて、この『ハウス』自体が完全防音仕様、です。岩に偽装してあるから、外の魔獣に音が一切届かないようにして、ます。個室の音も聞こえない、です」


「そ、そうなのですか……」


 ルカの回答に、どうしてか、エイミーはおどおどし始めた。

 盛んに、サンクの方に目をやっている。

 その視線に気付いたサンクは一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐにハッとして、直立不動の状態になった。

 同時に、顔を真っ赤にするエイミー。

 二人は、互いの視線を逸らした。


「あ、あなたたち、まさかっ」


 二人の様子に、ジェシーが、顔色を青ざめさせていた。

 一方、ルカの台詞に、顔色を変える者が他にもいた。

 シャルロットである。


「……防音……」


 口元を指先で抑えて、下に視線を逸らす。


「こ、ここは、樹海内ですので、ボレストンならともかく、流石に機会はないかと思っていたのですが……」


 耳まで赤くして、そんなことを呟いている。


「え?」「あ……」


 シャルロットの呟きに、声を零したのはユーリィとルカだった。

 サンクたちの事情はまだおぼろげだが、シャルロットの方は明白だ。

 ルカとユーリィは、どちらともなく、互いの傍に寄った。


「(シャ、シャルロットさん、本気です……)」


「(シャルロットさんは、もう確定しているから。元々今回の件で、相当期待していたみたいだし。けど……)」


「(……うん)」


 ルカとユーリィは、眉をひそめた。

 シャルロットの未来は、すでに確定済み。

 機会があるのならば、それ・・は必然とも言える。

 しかし、まだ十代の少女であっても、二人もまたアッシュを愛する女なのである。

 気分的には複雑で、実に不満だった。


「(……ムム)」


 思わず、ユーリィが頬を膨らませた時だった。


「(……ううん。ここで退いたらダメ、です。ユーリィちゃん)」


 ルカが言う。


「(むしろ、私たちも頑張らないと。そう。目指すなら)」


 王女殿下は、大きく息を吐いて告げた。


「(三人とも、ここで『ステージⅢ』に行く気で、行こう)」


「(え、ル、ルカ……?)」


 肩を震わせながらも、そう提案する友達に、ユーリィは驚いた。

 穏やかで大人しい性格のルカだが、彼女は時々大胆になる。

 とんでない行動力を秘めているのは、周知の事実だ。

 けれど、この宣言は――。

 いや。それだけの覚悟を、すでに彼女もしているということか。


「(……私は、特に遅れているから。頑張りたいの)」


 ルカは、緊張を隠せない声でそう告げる。

 ユーリィは、数瞬ほど瞳を閉じて、


「(……うん。分かった)」


 しっかりと、ユーリィはルカの手を取った。


「(私も確約に胡坐はかかない。ここは一気に攻勢に出る)」


「(う、うん。出よ。ユーリィちゃん)」


 と、二人の少女は決意を固めた。

 一方で、


「まあ、ルカ嬢ちゃんのおかげで、安全な寝床は確保できた訳か」


「……ウム! アンゼン! アンゼン!」


 当人であるアッシュは、オルタナと呑気にそんなことを話していた。

 次いで、


「ありがとな。ルカ嬢ちゃん」


「ひうっ!?」


 少々――どころか、かなりピンク色な未来を想像していたところに、いきなり頭を撫でられて、思わず跳び上がってしまうルカのことも気にせずに、


「そんじゃあ、とりあえず荷物を部屋に入れるとすっか!」


 アッシュは、そう告げた。

 その後、アッシュたちは、食料などの持参した荷物を『ハウス』の中に運んだ。

 この『ハウス』には、ろ過装置付きのタンクも備え付けてあり、そこに、エルナス湖から汲んだ水も補給した。これで、飲料水と生活水も確保できた。

 終わった頃には、日も随分と暮れており、そのまま夕食となった。何故か、メンバーの半数以上が、やけに緊張していた夕食となったが。


 何はともあれ。

 こうして、アッシュたちは、『ドラン』の大樹海での、最初の夜を迎えたのである。

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