幕間二 夜に響く声

第515話 夜に響く声

 その夜。

 ズン、ズゥン……。

 重い足音が響く。

 月や星さえ隠す巨大な木々。

 獣が潜む息が聞こえそうな、静かな世界。

 そこに今、幾つかの光条が差し込んでいた。

 恒力による人工的な光だ。

 鎧機兵の肩に設置されたライトである。


 足音が響き続ける。

 深い森の中、そこには四機の鎧機兵がいた。

 全高は五・三セージルほどの平均サイズ。四機とも軽装型の機体であり、手には手斧を構えている。背中には大きなコンテナを背負っていた。


『おい。もう少し急ぐぞ』


 そう告げるのは、先頭を進む機体だ。

 操縦席には、三十代後半の男性が操縦棍を握りしめていた。

 少し肥満が目立つ人物だった。


 彼の名は、オット=セダス。

 ラズンで鎧機兵の職人をしていた男だ。

 ラズンの工房の中でも、最大規模クラスの店に務めていた。

 しかし、彼はその店を、三か月ほど前に解雇されていた。

 職人としての腕は決して悪くはない。恐らくラズンはおろか、アティス王国内でも屈指の腕を持っているのだが、彼は職務態度に難があった。

 腕が良かったため、態度が大きく、重役出勤は当たり前。

 私生活面でも、ギャンブル好きで女好き。娼館通いが趣味だった。

 職場内でも、その態度は如実に表れていた。

 後輩にはパワハラ。数少ない女性職人には、セクハラを繰り返していた。

 腕だけは良かったので、上司もある程度は目を瞑ってくれていた。

 しかし、それも、流石に限度があったのだろう。

 当然の結末というべきか、オットは解雇へと至ったのである。


(――くそが!)


 オットは舌打ちする。

 しかも再就職しようにも、オットの悪名はその界隈に伝達されていた。

 ほとんどの店で、面接にさえこぎつけられなかった。

 オットは、酒と娼館に溺れた。

 わずかにあった蓄えも底をつき、多額の借金で首も回らなくなって、いよいよ……といった時にこの話だ。


(けどよ、まだ女神は、俺を見捨ててなかった)


 操縦棍を強く握り直して、オットはニヤリと笑う。

 ――『ドランの大樹海』の大調査。

 しかも、発見した資源の二割は、オットのモノとなる。

 悪名も込みだが、オットも名を知られた職人だ。

 鉱物に対する目利きには自信がある。

 ここで銀鉱でも発見すれば、一気に人生逆転である。

 今回の調査は、まるでオットのために用意されたようなイベントだった。

 この話を耳にした時、オットは即座に参加を決めた。

 さらに借金をして、鎧機兵をレンタルし、護衛として三人の騎士崩れを雇った。

 オットの呑んだくれ仲間でもある。

 彼らも、オットと似たような生活をしていたので、二つ返事で乗ってきた。

 四機の鎧機兵は、参加の必須条件の一つだった。主催側の推奨は六機以上なのだが、移動速度を重視するのなら四機の方がいい。

 まあ、予算的に四機が限界だったというのもあるが。


 そうして現在、オットたちは『ドランの大樹海』内にいた。

 しかし、今の時刻は夜。

 調査解禁日の前夜だ。


 ――そう。オットたちはフライングをしたのである。

 今回の調査で重要なのは拠点の確保だ。

 比較的に安全な場所。なおかつ森の深奥部で、長期間、『ドラン』に滞在する。


(重要なのは、どこに拠点を置くかだ)


 事前のミーティングでは、候補として『エルナス湖』も挙がっていた。

 あの場所は、水源ともなる。

 しかし、水源だけあって魔獣や獣も近づいてくる可能性はある。腕に自信があるか、相当な大人数でもない限り、リスクも高い。今回は候補から外した。

『ドラン』には川もあるはず。水源としては川が好ましい。

 大部分は未開であっても、『ドランの大樹海』の調査自体は、騎士団によって、これまで何度も行われている。ごく一部ならば地図もあった。


 川にほどよく近く、安全な場所。

 さらには、深奥部近くとなると限られてくる。

 候補としては、三か所ほど挙げられた。

 だが、そこは誰もが狙うだろう。

 まともに競争しては、ごろつき程度の戦闘力しか持たないオットたちでは、大きな時間がかかってしまう。到着する頃には、そこは別のチームに奪われているに違いない。

 拠点の確保の失敗は、致命的な出遅れになる。


 だからこそ、フライングしたのだ。


(まあ、こんぐらいなら、しれっとしとけばバレねえだろうしな)


 オットは、ふふんと鼻を鳴らした。

 魔獣も蔓延る大樹海の夜間の強行軍。

 かなりリスクのある決断だが、人生がかかっている以上、やむなしだ。


『今んところ、魔獣とは出くわしてねえが、いつ現れてもおかしくねえ。急ぐぜ』


 オットが仲間にそう声を掛ける。と、


『はン。そう緊張すんなよ。オット』


 後列の一機が、斧の柄で肩を叩いた。


『いざとなったら、元上級騎士の俺が腕前を披露してやるよ』


 そう告げる彼は、自称、元上級騎士。

 前回の大暴走も経験した猛者だと、自分で言う男だ。

 同僚に嵌められて首になったと言っているが、真実は定かではない。

 今はただの呑んだくれである。彼も中々の肥満体だった。

 他の二人も似たようなものだ。


『頼りにしてるぜ。お前ら』 


 オットはそう答えるが、内心では溜息をついていた。

 こんな連中に頼るしかない自分の財力の無さが恨めしい。

 やはり、人生は金だ。

 金が無ければ、話にならない。

 逆に言えば、金さえあれば、何だって出来る。


(そう。ギャンブルも、酒も、女もな)


 オットは、にんまりと笑う。

 今回の調査に成功したら、まずは女だ。

 娼館を丸ごと貸切り、様々な美女を侍らすのだ。

 それから、借金取りどもに金貨を投げつけてやる。自分を解雇した奴らにも見せつけてやるのもいいかも知れない。


(はは、今から楽しみだぜ)


 腹の脂肪を揺らして、オットはニタニタと笑みを零す。

 そうして四機は樹海の中を進んでいった。

 多少浮かれていても、ここは危険な大樹海。

 オットたちは、慎重に行軍を進めていた。

 警戒の疲労も考慮して、何度か先頭の順番も入れ替える。

 そして、エルナス湖まで、後半分ほどまで来た時。


『……おい』


 その時、先頭を進んでいた元上級騎士が、緊張の声を発した。


『流石に、お客さんなしとはいかなかったようだぜ』


 言って、手斧を構える。

 彼の前には、一頭の魔獣がいた。

 大きさ的には三セージルほど。虎より少し大きい程度だ。

 それが七体いる。《餓狼》と呼ばれる狼に似た小型魔獣である。

《餓狼》たちは「グルルル……」と唸り声を上げていた。


『ち。面倒くせえな』


 元騎士の一人が吐き捨てる。

《餓狼》は、それほど強力な魔獣ではない。

 無論、生身で出くわしたら致命的だ。

 人間など、抵抗も出来ずに捕食されることだろう。

 しかし、鎧機兵ならば戦力差は歴然だった。《餓狼》の牙も爪も、鎧機兵の装甲を貫くほどの威力はない。群れを成す魔獣だけあって、流石に殲滅までしようとすると時間はかかるが、一機でも充分対応できる程度の魔獣だ。


『さっさと片付けようぜ』


 もう一人の元騎士も言う。

 四機は手斧を構えた。対する《餓狼》たちも牙を剥いた。

 しばし、睨み合う両勢。

 と、その時だった。


(……あン?)


 オットが眉根を寄せた。

 不意に、《餓狼》どもが首を上に向けたのだ。


『……? どうしたんだ?』


 それには仲間たちも気付いた。

 魔獣の表情など分かるはずもないが、《餓狼》どもは茫然としているように見える。

 と、その内の一体が、突如、吠えだした。

 他の六体も次々と吠えだす。まるで犬の威嚇のような声だ。


『あン? 何だ?』


 流石に困惑するオットたち。

 すると、不意に、上空に影が差した。

 ここは、わずかに月明かりが射し込む場所だ。

 その月光が遮られたのである。

 オットたちはギョッとした。同時に《餓狼》たちは後方に跳んだ。

 直後、

 ――ガシィ……。

 オットの仲間の一人が、宙に浮いた。

 最後尾を守っていた元上級騎士の機体だ。


『は? うわッ! うわあああああああああああああああああ―――ッッ!?』


 機体ごと宙に浮く、元上級騎士が悲鳴を上げた。

 機体はどんどん上昇する。

 そして、

 ブオン、と。

 元上級騎士の機体は、凄まじい勢いで地面に撃ちだされた。

 鎧機兵の巨体が、まるで礫のように投げつけられたのである。

 元上級騎士の機体は、地面に叩きつけられてバウンドした。

 それに怯えて《餓狼》たちは一斉に逃げ出した。

 オットたちは、唖然として顔を上げた。


 そして――見てしまう。

 大樹の間。

 遥か頭上にある二つの瞳を。

 夜の中でも赤く輝く、その眼差しを。


『あ、あ、あ……』


 言葉が出てこない。

 他の二機も同様だった。石像のように完全に固まってしまう。

 その巨大すぎる双眸は、静かに三機を見据えていた。

 そうして、


『うわあああああああああああああああああああああ――ッッ!』


 オットの絶叫だけが、夜の大樹海に響いた――。

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