第489話 二人の未来➄

「おい、おっさんよ」


 暗いVIPルームにて。

 アッシュは、隣に陣取るゴドーを睨みつけた。


「フォクス選手の《極光石》。もしかして、あれもてめえの仕業かよ?」


 ――S級 《星導石》である《極光石》。

 大国である皇国でも《極光石》の数はかなり限られている。

 いかに侯爵家の令嬢であっても、そうそう手に入れられる代物ではないのだ。

 仮に、あれを手に入れられるとしたら……。


「いかにも。その通りだ」


 両肘を背もたれにかけたゴドーが、ふてぶてしく告げる。


「あれは、シェーラ君の勝利を願って俺が用意したモノだ」


 ゴドーは、さらに言葉を続ける。


「それだけではないぞ。短期間ではあるが、彼女には戦闘の手ほどきもした。まあ、実際に訓練をしたのは、そこのラゴウだがな」


 言って、親指で背後に立つラゴウを指差すが、ラゴウ本人は無言だった。


「……なんでだ?」


 アッシュは表情を険しくしたまま、率直に尋ねる。


「裏組織の社長さまが、なんで彼女に加担する?」


 一拍おいて、


「まさか、彼女までお前の嫁だとか言い出す気じゃねえよな?」


 フォクス選手は、アッシュの目から見ても相当美しい女性である。

 同じ系統であるアリシアやミランシャ相手でも、見劣りしないほどの美女だ。

 それほどの美女ゆえに、この男の琴線に触れたのかもしれない。

 そもそも、準決勝において、彼女自身、そのようなことを匂わせていた。

 もしや、その相手とは、この男なのだろうか……。


「いや、違う」


 しかし、意外にもゴドーは否定してきた。


「確かにシェーラ君は魅力的だ。しかし、俺としては――」


 そこで、ゴドーはレナに目を向けた。

 アッシュの隣に座ったレナは「……う」と眉をしかめた。


「やはり、俺としてはおっぱい派なのだろうな。ミランシャのような例外もあるが、好みとしては大きいのに心奪われる。本大会では、スコラ選手とレナ選手が一押しだ」


 言って、邪悪なおっさんは、わしゃわしゃと片手の指を動かした。

 ゴドーの後ろで、ラゴウが深々と嘆息していた。


「……アッシュ」


 レナが、ギュッとアッシュの腕にしがみつく。


「このおっさん、何なんだ? なんか嫌だぞ」


 彼女は、ソファに座ってから、ずっとアッシュの腕にしがみついていた。

 怯える少女のように、決してアッシュから離れようとしない。

 恐らく、この部屋が息苦しいのだろう。

 なにせ、ゴドーにしろ、ラゴウにしろ、まごう事なき怪物だ。

 危険に鋭いレナにとっては、猛獣と一緒に檻の中にいるような気分なのだろう。


「……大丈夫だ」


 アッシュは苦笑いを浮かべつつ、レナの前髪に手をやった。

 レナが「……ん」と声を零して、少し目を細める。


「俺が傍にいる。このおっさんに好きにさせるつもりはねえ」


「……うん」


 レナは、こくんと頷いた。

 若すぎる見た目もあって、本当に少女のように見える。


「……ほほう」


 その様子を見て、ゴドーが興味深そうに呟く。


「なるほど。オトハだけではなく、レナ選手もすでに落としているようだな」


 ニヤリと笑う。


「ふむ。貴様は、傭兵になるような勝気な娘が好みなのか? 俺に似ているな。ふふ、貴様も、少しは自分の『本性』を受け入れるようになったか」


「……うっせえよ」


 アッシュは、眉間にしわを寄せた。


「俺のことはどうでもいい。それよりもフォクス選手のことだ。自分の女でもねえのに、なんで、てめえは彼女に力を貸してんだよ」


「ふむ。それはだな」


 ――ガギンッッ!

 互いの武器を交差させる二機に目をやって、ゴドーは告げる。


「すべては、シェーラ君が愛しい者と結ばれるため。彼女を、俺の友――アランの花嫁にするために手を貸したのだ」


 一拍の間。


「………………は?」


 アッシュは、キョトンとした。


「は? アラン? いや、確かその名前は……」


「うむ。その通りだ」


 ゴドーは、舞台で戦う白い機体の方に目をやった。


「アラン=フラム。俺の友であり、サーシャちゃんの父親だ。そう」


 ゴドーは舞台に掲げるように、グッと拳を固めた。


「この決勝戦は、奇しくも、未来の継母と、義理の娘の戦いなのだ」


「――おォい!? 待てェ!?」


 流石にアッシュも、手を突き出してツッコんだ。


「待て待ておっさん! サーシャの親父さんだって?」


 レナも驚き、パチパチと目を瞬かせている。


「いやいや、フォクスさんって確か二十歳だろ!?」


 出会ったことはないが、サーシャの父親は、ガハルドや目の前の男と同世代だと聞いている。ならば、四十代半ばぐらいのはずだ。


「年齢が違いすぎんだろ!? マジの話なのか!?」


「ふん。年齢がなんだ」


 そんなアッシュの動揺を、ゴドーは鼻で笑った。


「最も重要なのは、シェーラ君が本気でアランを愛していることだ。生涯を共にしたいほどにな。そして少なからず、アランもあの子を想っている」


「お、おう……」


 ゴドー相手に、珍しくアッシュは言い淀んだ。

 確かに、こればかりは二人の意志によるものだ。

 愛に年齢は関係ないのかもしれない。


「そんじゃあ、フォクスさんは、この大会で優勝したら、メットさんの親父さんと結婚する約束をしてんのか?」


「いや、残念ながら、そうではない」


 ゴドーは、かぶりを振った。


「その最初の一歩といったところだな。あとはシェーラ君の頑張り次第だ」


「……そうか」


 驚いた。

 確かに、これには驚いたが――。


「……そんで、てめえは二人のために力を貸した訳か」


 ――《黒陽社》の社長・ゴドー。

 かつて、アッシュの故郷を焼き払った組織を統べる男。

 今も人身売買を行っている輩の長である。

 疑いようもない外道だった。

 しかし、その外道な男も、身内には、随分とお優しいことである。

 そんなアッシュの心情に気付いたのか、ゴドーは「ふん」と鼻を鳴らした。


「犯罪組織の長であっても大切な者はいる。命の価値は平等ではない。俺にとって、アランとガハルドは、やはり友であり、特別なのだ。幸せを願って何が悪い」


「……そいつは、同感ではあるな」


 ――命の価値は平等ではない。

 それは、やはり一つの真理だろう。

 誰にとっても、愛しい者と、見知らぬ他人では価値が違うものだ。

 だが、それを奪った側の人間に言われる筋合いはない。


「……………」


 アッシュは、無言でゴドーを睨みつけた。

 隠そうともしない殺意が、部屋中を満たした。

 ラゴウが警戒するように、片眉を上げ、レナが微かに震えた。少し顔色が青ざめるが、それでもアッシュの腕を離さない。


「……アッシュ」


 ただ、不安の声だけは上げた。

 アッシュは、ハッとして、レナを一瞥した。

 男勝りな彼女が、今はとても怯えているように見える。


(……何してんだよ。俺は)


 アッシュは、小さく息を吐いた。

 守るべき者が、こんな近くにいるというのに何をしているのか。


「……悪りい。レナ」


 言って、彼女の頭に手を置いた。

 しかし、それだけでは、レナの不安は払拭されなかったようだ。

 少し理解する。レナは意外と怖がりなのだ。


(臆病なのも、傭兵には必要な素養だしな)


 ――危機を察知する。危険を警戒する。

 それは、ある意味、戦闘能力以上に傭兵に問われる資質だった。

 アッシュは目を細めると、彼女の頬に、そっと片手を添えた。

 レナは、ビクッと肩を震わせた。


「……大丈夫だ。レナ。心配すんな」


 アッシュは、彼女の頬をポンポンと軽く叩いた。


「お、おう」


 レナは、コクコクと頷いた。

 普段の勝気で元気なレナも魅力的だが、大人しい時の彼女にもまた別の魅力がある。

 何というか、無条件で守りたくなるようなオーラを出しているのである。

 実のところ、これはレナ自身、今まで一度も見せたことのない仕草でもあった。

 ここまで不安になるのも、レナ自身初めての経験なのである。


(……むむむ)


 レナは内心で唸った。そんな自分の心境の変化に困惑しつつも、今は、ぎゅうっ、とアッシュの腕にしがみつく。


「……おお」


 そんなレナの仕草に、ゴドーは感嘆の声を上げた。


「現役の傭兵の娘と聞いて、オトハ以上に勝気なイメージがあったのだが、これはこれで男心をくすぐるな。う~む、これは、さぞかし夜は甘えん坊ではないのか? そこんところはどうなのだ? 《双金葬守》よ」


「……マジでうっせえよ」


 アッシュは心底うんざりした様子で、そう返した。

 それから、レナをゴドーの視線から守りつつ、アッシュは舞台に目をやった。


「それよりも、決勝戦だろうが。わざわざ、そのために俺を呼んだんだろう」


 言って、アッシュは白い鎧機兵に目にやった。

 紫色の鎧機兵の猛攻を必死に凌ぐ、愛弟子の愛機を見据える。


「てめえが望んでんのは、要は『代理戦』の見物ってことだろう。てめえが加担したフォクス選手か。それとも俺の愛弟子か」


 一拍おいて、アッシュは告げる。


「どちらが勝つか。その決着を見届けるためによ」

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