第455話 導かれる者たち③

 一方、その頃。

 アッシュの実弟であるコウタは、途轍もない気まずさを感じていた。


(……どうしよう、これ)


 どうして、こんな事態になってしまったのか……。

 考えれば考えるほどに混乱してくる。

 コウタが今いるこの場所は、市街区の一角にある店舗の一つだった。

 酒も出すが、どちらかと言えば大衆食堂寄りの飲食店である。

 ふと、周囲に目をやってみる。

 騒々しい店内。客層は大人の男性客が多かった。

 店内は少々酒の匂いがキツイ。程度の差はあるが、全員が酔っている。

 時間帯が夜のため、今は酒場としての側面の方が強いようだ。


 名前は《獅子の胃袋亭》。

 エドワードたちや、サーシャたちがよく通っている店である。


 今、その場所には少年たちが集まっていた。

 丸テーブルの席には、まずコウタ。親友であるジェイク。そしてこの国で出会った友人であるロックとエドワードの姿があった。

 ただ、全員がほんのり赤い顔をしていた。

 エドワードが、景気づけとか言って発泡酒を注文したのだ。


 結果、コウタ以外の人間が酔っ払いと化した訳だ。


「ジェ、ジェイク……」


 コウタは、とりあえず発泡酒の四杯目を呑み干す親友に声をかけた。


「それぐらいにしておいた方がいいんじゃないかな?」


「ヒック、シャルロットさん……綺麗だったなあ……」


 しかし、赤い顔のジェイクは聞いていない。


「おっぱいがさ。もうゆっさゆっさと揺れるんだよ。正直、ガン見しちまったよ」


「あ、うん……」


 普段は男同士でその手の話をしても、基本的には硬派なスタンスを維持する親友の直球すぎる意見に、コウタは顔を強張らせた。


「……ああ、オレっちのシャルロットさん……」


 ジェイクはヒックと喉を鳴らした。


「あのおっぱいに触ってみてェ。きっと死ぬほど柔らかいんだろうな。思いっきり顔を埋めてさ、色んな角度から揉み下すんだ。そんで――」


「うん。ジェイク。君のキャラが壊れるから、それ以上の発言は控えよう」


 親友の将来を案じて、コウタがとりあえず止める。

 すると、


「ふん、何がおっぱいだ」


 ヒックと。

 別の方向から声が聞こえた。

 一際大きいジョッキを両手で掴んで呑むロックだった。


「お前の目は節穴か? ジェイク」


 普段はジェイク並みに硬派なロックが言う。


「お前は、エイシスの美しさに気付かなかったようだな。あの美脚こそ至高。いや、脚から続く腰。胸までのライン……」


 ロックは、ドンっとジョッキを丸テーブルに置いた。


「何よりも絹糸のヴェールのごとき、長き髪の間から現れる美しき背中! あの時、俺は確信したぞ! エイシスには女鹿の衣装こそがよく似合うと!」


 グッと右手を掲げて拳を作る。


「ならば、俺は一頭の虎となろう。美しき女鹿を背後より獲らえる。決して逃がさん。その首筋に喰らい付く! そう! 俺は虎になるのだ!」


「うん。ロック。君も大概ヤバいこと言っているから自粛しようね」


 コウタは頬を引きつらせつつ、ロックをやんわりと止めた。

 と、今度は、


「――なに言ってやがる!」


 エドワードが、赤い顔で叫んだ。


「至高と言えばユーリィさんじゃねえか!」


 ガタンと椅子を倒して立ち上がり、腕を横に薙いだ。


「あのエロ衣服スーツだって、ユーリィさんにこそ一番似合うはずなんだ! エロワードの名において断言するぜ!」


「いやエド? なにその名前?」


 思わずコウタがツッコみを入れるが、エドワードは聞いていない。


「しかも、最近のユーリィさんは絶賛成長中なんだ! つなぎ越しでも、腰がきゅっと引き締まってきてんのは分かるし、おっぱいなんて膨らみかけなんだぞ! そう! 絶妙な感じの膨らみかけなんだ!」


 そこでエドワードは、わしゃわしゃと両手の指を動かした。


「きっと触ったら、少しコリってした感じがするんだよ! 知らんけど! そんでユーリィさんは少し不安そうに『……ん、少し痛い。エド』って言うんだ! 俺は『大丈夫。すぐに痛みなんて忘れるさ』って言ってさ! そっから俺は、ユーリィさんのちっぱいを丁寧に解して、じっくりと堪能しながら、時々、彼女の少しだけアバラが浮いた脇をなぞったりして、そんで――」


「そこまでだよエド!? 言ってる内容も妄想の相手も凄くヤバいよ!? 色んな意味で君が一番危ない人だからやめるんだ!?」


 こればかりは、コウタも全力で止めた。

 万が一にでも兄の耳にでも入れば、即座に塵にされることが確定な妄言だ。

 エドワードは無念そうに叫ぶ。


「妄想ぐらいさせてくれよ! ちくしょう! せめてエロ衣服スーツ姿だけは見たかった! なんでユーリィさんは出場してねえんだよ!」


「……いや、ユーリィさんは操手じゃないし……」


 深々と嘆息するコウタだった。

 ジェイクたちは、ずっとこんな感じだった。

 延々と、自分の想い人がどれほど魅力的なのかを語り続けるのだ。

 そして――。


「「「あんまりだぁ……師匠おォォ」」」


 不意に、兄に向って、三人揃って泣き出すのだ。

 何故か、普段は兄を「アッシュさん」と呼んでいるジェイクまで「師匠」と呼んでいる。

 ただ、泣き出す気持ちは分かる。

 なにせ、彼らの想い人たちは全員、兄に想いを寄せているのだから。

 恋敵の強大さに、絶望しても仕方がないだろう。


「何故だ! どうしてなんだよ!」


「あんた、モテるだろ! なら義娘は別にいいだろ! 大人しく嫁に出しとけよ! 他にも女はいっぱいいるじゃねえか!」


「おのれ! おのれェ、師匠めええェェ!」


 それぞれが怨嗟の声を上げる。

 こればかりは、コウタも沈黙してしまう。

 実の弟としては、何とも気まずい時間だった。

 と、その時だった。


「分かるぞ……分かるぞ、少年たちよ!」


 唐突に。

 その声は上がった。

 コウタが「え?」と驚いて視線を向けると、そこには三人の男性がいた。

 三人とも私服のようだが、かなり酔った様子の青年たちだ。

 一人だけはしっかりとした足取りで立ち、完全に酔っぱらった二人に肩を貸していた。

 コウタには、彼に見覚えがあった。


「……え? あなたは……」


「ああ、こんな場所で奇遇だな。師匠の弟さん」


 その大柄な青年は、苦笑じみた笑みを見せた。


「どうしてあなたがここに……って」


 そこで、コウタは気付く。

 大柄な青年が肩を貸す一人にも見覚えがあることに。


「ええっと、確か、チェンバーさん?」


 記憶を探りつつ呟く。

 ――ライザー=チェンバー。

 第三騎士団所属の騎士で、兄の友人とも聞いている青年だ。

 以前、自己紹介程度に顔を合わせたことがある。


「分かるぞ、分かるぞ、少年たち……」


 と、その時、ライザーが赤い顔で呟いた。

 その声、その内容から、どうやら最初に声を上げたのは彼のようだ。

 ライザーは大柄な青年から離れると、グッと拳を掲げてジェイクたちに告げた。


「敵は果てしなく強大。されど、愛しき人の心はその敵に握られている。その絶望、その苦難、その悲嘆、痛いほどによく分かる」


「………あんたは」


 ジェイクが、少しだけ正気を取り戻して尋ねる。


「……何者なんだ?」


「俺も君たちと同じさ」


 そう言って、彼は固めた拳を広げた。それを頭上に掲げる。


「届かない太陽に、手を伸ばす者……」


 ライザーは呟く。


「太陽とはここまで遠いものなのか……ミランシャさん」


「――えええッ!?」


 思いがけない名前に、コウタは目を剥いた。


「チェ、チェンバーさんって、ミラ姉さんのことを……」


 コウタは、もう一人の知り合いに視線を向けた。

 大柄な青年は「ああ」と頷いた。


「本気の本気。ガチのようだぞ」


「……そう、なんですか」


 コウタとしては、盛大に頬を引きつらせるだけだった。

 まあ、ミランシャもまた群を抜いた美女だ。

 しかも、事情はよく分からないが、この国にまでファンがいるらしい。本気の想いを寄せる男性も、それこそ数えきれないほどにいてもおかしくはない。

 しかし、コウタにとっては、さらに気まずい状況になってしまった。

 これで兄を恋敵として恨む人間が四人になったのである。


(……に、兄さぁん)


 堪らず兄に文句の一つも言いたくなった、その時だった。


「一体何なんすか! あいつは!」


 突如、大柄な男性に肩を担がれていたもう一人の青年が叫んだ。

 ひょろ長い印象の、頭頂部だけが黒い黄色い髪が特徴的な青年だ。

 彼も酷く酔っているようだが、こちらには見覚えがない。


「あのハーレムクズ野郎め! 渡さねえっす! 渡さねえっすよ!」


 青年は、口角泡を飛ばして叫んだ。


「レナさんは、絶対に渡さねえっすから!」


「――レナさん!?」


 コウタは再び仰天した。

 見知らぬ青年。しかし、彼の口から飛び出したのは知人の名前だった。

 今日の大会で群を抜いた実力を見せた傭兵。

 コウタが知っている頃から、どうしてか全く姿が変わっていない女性の名前だ。

 メルティアの話では、彼女は未だ兄に強い想いを寄せているという……。


(……ええええええ……)


 何なのか、今夜の邂逅は。

 これで五人目だ。

 何かに導かれたかのように、次から次へと兄の恋敵が現れる。


(ど、どうなっているの? これ?)


 コウタは、もう目を丸くするだけだった。

 が、そこへダメ押しの事実まで告げられる。


「ちなみに、俺はアリシアさん一筋だ」


「……え?」


 コウタはそう告げてきた、大柄な男性を見上げた。

 彼は唖然とするコウタを一瞥しつつ、


「さて、と」


 ひょろ長い青年に肩を貸したまま、力強く一歩前に踏み出した。

 そして、ジェイク、ロック、エドワード。

 ライザー、ひょろ長い男性へと順に目をやって――。


「どうだ? お前たち」


 大柄な青年は、不敵に笑ってこう告げるのだった。


「俺の計画。乗ってみないか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る