第15部 『女神たちの闘祭』②

プロローグ

第452話 プロローグ

 その日。

 時刻は夜の九時過ぎか。

 シェーラ=フォクスは一人、酒場にいた。

 市街区に多くある大衆酒場ではない。

 王城区にある一人で酒を楽しむような優雅な店だ。

 暗い店内には、カウンターで呑む彼女以外の客がいない。

 いるのはカウンター内でグラスを磨く店主マスターだけだ。


「………」


 シェーラは、コツンとグラスを置いた。

 騎士服ではない、シックなドレスを着た彼女の表情はどこか暗い。


「……お口に合いませんでしたか?」


 と、店主マスターが尋ねる。

 シェーラは「……いいえ」とかぶりを振った。


「お酒は悪くありません。ただ、気分が少し優れないのであります」


「……体調が優れないのですか?」


 一拍おいて、店主マスターが心配そうに眉根を寄せる。

 シェーラは再びかぶりを振った。

 それ以上は語らない。

 客が沈黙した以上、店主マスターも沈黙する。


 ――キュ、キュッと。

 グラスを磨く音だけが店内に響く。


 シェーラはカウンターに置いたグラスを見つめて、小さく嘆息した。


(なんということでありますか……)


 シェーラは落ち込んでいた。

 その原因は、今日の昼に見た闘技場の一戦だった。 


 ――《夜の女神杯》の本戦も近い。

 だからこそ、予選の偵察に赴いたのである。


 だが、そこで見たものは……。


 グッと下唇を噛む。


(明らかにレベルが違っていました……)


 シェーラの目の前で五人抜きを達成した女性操手。

 ミズ・プロミネンスと名乗っていた彼女の実力は圧倒的だった。

 それもそのはずだ。

 王城の護衛を担う第一騎士団に所属するシェーラは知っていた。

 あの特徴的な赤毛の前では、仮面など意味がない。


 彼女の正体は、ミランシャ=ハウル。

 騎士の本場とも呼ばれるグレイシア皇国の公爵令嬢。


 かの皇国騎士団の上級騎士にして、《七星》の称号まで持つという女傑だ。

 すなわち、皇国最強の騎士の一角ということである。


 そんな彼女がどうして出場するのか……。

 困惑はしたが、それ以上に危機的なのが、彼女の実力だった。


 ――まさに別格の一言。

 対戦相手はシェーラの目からすれば、そこまで弱くなかったのだが、それでも相手にならない。きっと、予選に参加した全機がかりで挑んでも結果は変わらないだろう。


(……あれは反則であります)


 白い鎧機兵が放つ斬撃を思い出して身震いする。

 鎧機兵が、あそこまで速く動くのかと唖然としたぐらいだ。

 とてもじゃないが、勝てる気はしなかった。


「……………」


 シェーラは眉をしかめた。

 まさか、ここに至ってこんな障害が現れるとは……。

 このままでは、シェーラが優勝することは不可能だった。

 それは、シェーラがアランと結ばれることもないということでもある。


(……アラン叔父さま)


 強く拳を固める。

 そんな事実は、到底受け入れられなかった。


(けど、一体どうすれば……)


 シェーラは再びグラスを手に取って、一気に呑み干す。

 彼女は酒には強く、多少の嗜みがあるのだが、今はあまり美味しくない。

 酒が悪い訳ではない。

 気が落ち込みすぎて、酒を楽しむ余裕がないのだ。


「…………はァ」


 思わず溜息も零れてしまう。

 実力差は明白。

 今の実力で戦えば、恐らく一分持たせることさえも難しい。

 勝てる可能性に至っては、ほぼ皆無に等しかった。

 しかし、それでも諦められない。

 シェーラは険しい表情で考え込む。

 実力で勝てないのならば、どうすべきなのか。


 八百長依頼? 懐柔策? 泣き落とし?

 あらゆる手段を検討するが、どれも効果があるとは思えなかった。


 それに手強いのは、ミランシャ=ハウルだけではない。

 今日のミランシャは確かに衝撃的だったが、前日には王女殿下の試合も見ていたのだ。

 将来の主君になるかも知れない少女の、あのえげつないほどの強さ。

 まるで生き物のように敵機の頭部に襲い掛かる鉄球フレイルは、一体どんな仕組みで動いているのかも分からなかった。

 かの王女殿下は、異国に留学しておられたと聞く。


 あれは、異国の技術なのだろうか……。

 いずれにせよ、シェーラは王女殿下にも勝てる気がしなかった。

 どうして今回に限って、あんな格上ばかりが出場するのか。


 シェーラは、強く唇を噛んだ。

 このままでは、アラン叔父さまのお嫁さんになれない。

 そう思うと、涙が零れそうだ。


(……叔父さまぁ)


 ――心配しなくていい。

 家庭教師をしてくれていたあの頃のように。

 アラン叔父さまに、頭を撫でてもらいたかった。


「……どうかされましたか? お客さま」


 明らかに情緒不安定になっているシェーラを案じて、店主マスターが声をかけてくる。


「……何でもないのです」


 シェーラは目尻に滲んでいた涙を指で拭い、席を立とうとした、その時だった。


「ふむ。随分と気落ちしているようだな」


 おもむろに、第三者の声が響いた。

 店主マスターが「え?」と呟き、シェーラは少し驚いた顔をした。

 先程までは無人だったのに、いつの間にか、店のドア付近に二人の男性がいたのだ。

 一人は額に裂傷を持つ頬のこけた人物。黒い紳士服スーツを着た三十代後半の男性だ。

 そしてもう一人は、


「お嬢さん。そんな暗い顔をしては折角の美人が台無しだぞ」


 そう言って、陽気に笑う人物。

 歳の頃は、恐らく四十代半ばから後半か。

 紳士服スーツではないが、同行者の男性と同じく、黒一色の服を着込んでいる。

 顎髭が印象的な、カウボーイハットを被った男性だった。


「あ、いらっしゃいませ」


 入店に全く気付けなかった店主マスターが、遅ればせながら声をかける。

 カウボーイハットの男性は「おう」と返してニカっと笑うと、シェーラの隣にまで移動してきた。傷を持つ男も、彼の影のように追従する。


「お嬢さん。隣はいいかね?」


 そう言って、返答も待たずにカウボーイハットの男は、シェーラの隣に座った。

 一つ席を空けて、傷の男も座る。

 シェーラは訝しげに二人を一瞥してから、


「どうぞ。もう帰るところですので」


 と、ぶっきらぼうに返した。

 そしてカウンターに代金を置いて、そのまま帰ろうとしたのだが、


「まあ、少し待ってくれ。シェーラ=フォクス君」


「――ッ!」


 名を呼ばれて、思わず立ち止まる。

 シェーラは警戒しつつ、彼女の名を呼んだカウボーイハットの男を睨みつけた。


「俺は君に会いに来たのだ。そう無下にせんでくれ」


 言って、カウボーイハットの男は顎髭に手をやると、まじまじとした様子でシェーラを凝視してきた。顔から胸元、腰から足へと見定めるような視線だ。

 流石に不快感を覚えてシェーラが眉をしかめる。と、


「……ふ~む」


 カウボーイハットの男は顎髭を撫でつつ、ボソリと呟いた。


「どこかに良い候補がいないかと、ダメもとのつもりで調べさせたのだが、これはなかなかどうして……」


 そこで、にんまりと笑う。


「ここまで若かったのは想定外だったが、素晴らしい逸材だ。顔立ちは申し分なく、細身のスタイルにもしなやかな美しさがある。ミランシャに比べてもそう劣らんぞ」


「……ミランシャ?」


 シェーラは表情をさらに険しくした。

 この男は、ミランシャ=ハウルの関係者なのか?

 そう考える前に、男はシェーラの想定外の台詞を吐いた。


「アランの奴め。何だかんだで隅に置けんではないか」


「……え?」


 シェーラは目を見開いた。


「ア、アランの叔父さま? どうしてその名前を……」


「ん? ああ、すまん。自己紹介がまだだったな」


 男はカウボーイハットを脱ぐと、自分の名前を告げてきた。ちなみに一席離れた傷の男の方も紹介してきた。傷の男は静かに頭を下げてきた。


「…………」


 シェーラは沈黙する。

 二人とも一度も聞いたことのない名前だった。

 数瞬の間を空けて、シェーラは率直に聞いた。


「あなたは……何者でありますか?」


「……ふむ。俺か?」


 男は再びカウボーイハットを被ると、あごに手をやった。


「浪漫を探求する神学者。とある企業の社長。他にも様々な肩書はあるが……」


 そこでふっと笑う。


「ここで余計な肩書は無粋だな。一つだけ告げよう。俺はアランの友だ」


「……アラン叔父さまの友人?」


 訝しげな表情を見せるシェーラ。

 こんな人物は初めて見る。どうにもうさん臭い男だった。

 すると、自称アランの友人は肩を竦めた。


「信用できないのなら、明日にでもアランに聞けばいい。俺の名前、風貌を告げればアランは答えてくれるはずだ。なんならガハルドの方でもいいぞ」


「……エイシス団長ともお知合いなのですか?」


 さらに出て来た予想外の名に、シェーラは困惑した。

 ――第三騎士団を総括する、ガハルド=エイシス騎士団長。

 彼がアランの幼少期からの親友であることを知る者はそう多くない。

 シェーラ自身も、アラン本人から聞いて知ったぐらいだ。


「ああ、知っているさ」


 カウボーイハットの男は、穏やかに笑って言葉を続けた。


「ガハルドも俺の友だからな。あいつらとは騎士学校の同期なんだ。学生時代は三人でよくつるんで馬鹿をやったものさ」


「……そうでありますか」


 シェーラは、少しだけ警戒を緩めた。

 どうやら、この男性がアランたちの友人であるのは事実のようだ。

 シェーラは少し考えてから、再び席に着いた。

 カウボーイハットの男は満足げに笑った。


「うむ。話を聞いてくれるのか。ありがとう。シェーラ君」


「……シェー……コホン。私に何の用でありますか?」


 完全には警戒を解かずに男に尋ねる。

 すると、カウボーイハットの男は「う~む」と少しだけ気まずそうに頬をかき、


「なあ、シェーラ君」


 おもむろに話を切り出した。


「君がアランの部下であることは知っている。あいつの教え子であることや、仕事だけではなく、プライベートにおいてもアランと親交があることも」


 男は、改めてシェーラを見据えた。


「君はまだ二十歳だそうだな。大人びた顔立ちにもまだあどけなさがある。俺ならむしろ望むところなのだが、あいつだと流石にここまで若い娘は……」


「……何が仰りたいのですか?」


 シェーラは訝しげに眉根を寄せた。

 すると、男は、コホンと喉を鳴らした。


「いや、すまん。話が逸れたな」


 と、告げてから、


「本題に入ろう。君がアランとは親娘ほどに歳が離れていることも承知している。それでもなお君に聞きたいのだが……」


 そして、自称アランの友人はこんなことを尋ねてくるのであった。


「君は、異性として、アランの奴をどう思っているのかね?」

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