幕間二 それは心臓を撃ち抜く雷

第437話 それは心臓を撃ち抜く雷

 アティス王国・第三騎士団所属、ライザー=チェンバー。

 その日、彼は、普段は訪れない王城の庭園内にいた。

 第三騎士団の主な任務は治安維持。

 市街区に詰所があり、基本的にライザーはそこに勤務している。

 普段ならば、街中を巡回するのが彼の役割だ。従って、ライザーが王城に来るのは何か任務があるか、王城内にある第三騎士団の本拠地ベースに用がある時ぐらいだった。

 今日はたまたま上官が本拠地ベースにいたため、報告に出向いたのだ。

 それも無事に終わり、彼は市街区に戻ろうとしていた。

 ――が、その時だった。


「お、お止めください! お嬢さま!」


 そんな声が響いてきた。


(……お嬢さま?)


 ライザーは、視線を声の方に向けた。

 庭園の一角。そこには一機の鎧機兵に群がるように人垣が出来ていた。

 数人の男性たち。全員が白い騎士服を着ている。


(あれは確か……)


 現在、王城には、三家の公爵令嬢が滞在中だった。

 その一家。グレイシア皇国のハウル公爵家の私設兵団が彼らだった。

 普段は乗ってきた鉄甲船を宿にしている彼らは、日替わりで数名のみ、王城ラスセーヌに滞在していた。

 目的は王城にて宿泊する、三家の公爵令嬢の護衛である。


(公爵令嬢か。どんな人物なんだ?)


 ライザーは、その三家のお嬢さまとは会ったことがなかった。

 彼女たちと一緒に来訪してきた友人の弟とは挨拶をしたが、運悪く令嬢たちはその場にはいなかったのだ。正直、どんな美少女、もしくは美女なのだろうかと、密かに楽しみにしていた分、がっかりしたものだった。

 だから、少し気になった。

 ライザーは、人垣に近づいていった。


「お嬢さま! どうかお止めください!」


 白い騎士の悲鳴のような声が、鮮明に聞こえてくる。

 ライザーは彼らの傍に寄ると、視線を上に向けた。

 白い騎士たちが注目しているのは、鎧機兵の肩辺りだ。

 片膝を突く騎士型の白い鎧機兵。

 その肩当てに足を掛けて、一人の女性が立っていた。


「――――――ッッ!?」


 瞬間、ライザーの心に雷が落ちた。

 目を見開いて、ひたすら彼女を凝視する。

 まるで女豹を彷彿させるようなしなやかな四肢。やや小ぶりではあるが、絶妙なラインを見せる胸と、引き締まった腰つき。黒い騎士服を纏う彼女は、片手にハケの入ったペンキ缶を持っていた。

 少しだけキツく感じる瞳の色は、真紅。

 強いウェーブがかかる髪もまた、炎のような紅だ。

 気付けば、ライザーは呟いていた。


「……なんて……なんて美しいんだ……」


 全くこの場にそぐわないその台詞を。


「お嬢さま! 本気で勘弁してください!」


「それは我々の旗頭なんですよ!」


 白い騎士が、次々と悲鳴を上げていた。

 しかし、彼女は全く聞き入れない。


「うるさい! 後でペンキを剥がせば大丈夫よ! いいから黙ってみていなさい!」


 言って、赤毛の女性はハケを手に取ると、べちゃり、と白いペンキを容赦なく鎧機兵の肩当てに塗り付けた。それを何度も繰り返す。


「ぎゃあああああああああ――ッ!?」


「は、《白狼》の団章をおおおおォォおお!?」


 遂には絶叫を上げる白い騎士たち。

 どうやら、右の肩当てに刻まれていた紋章を、白ペンキで塗り潰したようだ。


「これでよし!」


 彼女は満足げに笑う。

 その笑顔にも、ライザーは見惚れていた。


「さて。あなたたち。そこを退きなさい」


 彼女はペンキ缶にハケを戻すと、右腕を振って見せた。

 白い騎士たちは、彼女が何をするのか分かったのだろう。

 蜘蛛の子を散らすように、その場から離れる。

 彼女はそれだけを見て、鎧機兵の肩から跳躍した。


 ――そう。白い騎士たちの動きだけを見て跳んだのだ。

 一人だけ残っていた人物には、全く気付かずに。


「――え?」


 空中で顔が引きつる。


「…………え」


 一方、一人だけその場に残っていたライザーは、キョトンとしていた。

 彼女が跳んだ先。

 そこには丁度、ライザーが立っていたのだ。


「ちょ、ちょっと! そこ退いて!」


 と、赤毛の女性が叫ぶが、もう遅い。

 ライザーは、ただただ唖然としたまま――。

 そこで記憶が飛んだ。



 再びライザーが意識を取り戻した時、そこは白いベッドの上だった。


「……ここは?」


 ライザーは眉をひそめた。

 上半身を起こして周囲を確かめる。

 幾つか置かれた白いベッド。

 確か、ここは王城内にある医務室のはずだ。


「俺、どうしてこんな所に?」


 見ると、自分の服も変わっている。

 黄色い騎士服ではなく、白い病衣だ。


「なんで着替えてんだ?」


 着替えた記憶などない。誰が着替えさせたのか?

 と、さらに眉をひそめた時だった。


「あ、良かった。目を覚ましたのね!」


 突如、医務室に来訪者が現れた。


「あ、あなたは!」


 ライザーが目を瞠る。

 彼女は、ライザーが見惚れた赤毛の女性だった。


「ごめんなさい!」


 彼女はライザーの元に駆け寄ると、両手を合わせて謝罪した。


「まさか人がまだ下にいたなんて、全然気づかなくて」


「い、いえ。自分も不注意でしたから……」


 ライザーは緊張した面持ちでそう返した。

 彼女を間近で見て、さっきからそわそわして仕方がなかった。


「そ、それよりも」


 ライザーは一度息を吐き出して尋ねる。


「あなたにお怪我はありませんでしたか?」


「あ、心配してくれてありがとう。それはないから大丈夫よ」


 彼女はニコッと笑った。

 それだけで、ライザーは「はうっ!?」と仰け反りそうになった。


「ただ、あの時、あなたにペンキを掛けちゃって……」


「ああ。それで自分の服が変わって――」


 と、言いかけたところで、ハッとする。

 ゴクリ、と喉を鳴らして彼女に尋ねてみる。


「もしかして、自分の服を着替えさせてくれたのは……」


「あ、それは安心して」


 彼女は、ポンと両手を重ねた。


「あなたの服は、うちの兵団のメンバーが着替えさせたから」


「……………」


「メイドさんにお願いしようかと思ったけど、女の人に脱がされるよりいいでしょう?」


「……………」


 そんな気遣いはいらない。

 どうして寝ている内に、野郎に剥かれなければならないのか。

 ライザーの瞳が一瞬だけ死にかけるが、


「けど、良かったわ」


 彼女の優しい笑みに、すぐさま蘇生する。


「怪我もないみたいだし。あなたの服は、アタシが弁償するから許してね」


「い、いえ。お気になさらず」


 少し掠れた声でそう答える。

 ライザーは、かつてないほどに緊張していた。


「いいえ。ちゃんと弁償させてね。けど、一つだけお願いがあるの」


「な、何ですか!」


 お願いという言葉に、つい身を乗り出すライザー。

 彼女は少し目を瞬かせていたが、


「えっとね。今日、アタシがしていたことは秘密にして欲しいの」


「今日って……あのペンキですか?」


「うん。そう」


 どうして秘密にするのだろう?

 疑問は抱いたが、ライザーは「構いません!」と、すぐさま頷いた。

 断わると、彼女を悲しませてしまうと思ったからだ。


「ありがとう!」


 彼女は満面の笑みを見せてくれた。

 まるで太陽のような笑顔である。

 ライザーの両眼は、もう灼かれてしまいそうだった。

 が、すぐに、彼女は表情を曇らせた。


「ごめんね。本当なら、もっときちんとお詫びすべきなんだけど、アタシ、どうしても急ぎの用があって……」


「い、いえ! お気になさらず!」


 彼女の笑顔がなくなれば、世界の灯もまた消えてしまう。

 そんなことまで考えて、ライザーは両手を振った。


「お急ぎでしたらお構いなく! 自分はもう大丈夫ですから!」


「……ありがとう」


 彼女は、微笑んでくれた。


(おお、おおおおおお………)


 歓喜で脳が爆発しそうになる。


「それじゃあ、ごめんね。アタシもう行くから」


 言って、彼女は背中を向けた。

 まるで沈みゆく夕日を見る気分で彼女の背中を見つめていたライザーだったが、


「あ……一つだけ」


 彼女の背中に声を掛ける。

 どうしても、これだけは聞いておきたいことがあった。

 ライザーは思い切って尋ねた。


「……あなたの名前は一体……」


「アタシ?」


 彼女は振り向いて笑った。


「ミランシャ。ミランシャ=ハウルよ」


「……ミランシャ、さん」


 なんと美しく、高貴なる響きを持つ名前なのか……。

 ライザーは、数瞬ほど陶然とした。


「自分は、ライザー=チェンバーと、申します」


「ライザー君か。うわっ、ごめんね。本来なら最初にアタシの方から名乗って、あなたに尋ねるべきことだったわ」


 彼女――ミランシャは、すまなそうに両手を合わせた。


「じゃあ、アタシ行くね」


 彼女は歩き出した。

 そして医務室を出る寸前で振り返り、


「またね。ライザー君」


 そう言って笑った。

 光が、世界を照らした。


(うおおおおおおおおおおッッ!?)


 ライザーは衝撃を受けて言葉を失うが、


「は、はい。またどこかで……」


 辛うじて、そう応えることが出来た。

 ミランシャは再びニッコリ笑うと、今度こそ部屋を出て行った。

 残されたライザーは、


「………………ぐは」


 ボスンッ、とベッドの上に倒れ込んだ。

 直前のミランシャの笑顔が、脳裏に焼きついて離れない。

 心臓が、危険なレベルぐらいに早鐘を打っていた。


「やっべェ……」


 ライザーは、自分の胸を押さえた。


「俺、本当の愛を知っちまったみたいだ」

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