第435話 願い事一つだけ③

「………え」


 サクヤは、唖然とした。

 目をパチパチと瞬く。


「え? なに? そんな話になったの?」


 場所は、市街区にある宿の一室。

 サクヤが借りている部屋だ。

 偶然にも同じ宿に泊まっていたレナが、キャスリンを引き連れて来訪してきたのは、二十分ほど前のことだった。

 サクヤはベッドの縁に腰をかけ、レナとキャスリンは椅子に座っていた。

 そうして、レナから近況を聞いたのだ。


「……まったく。この子は……」


 と、深々と溜息をつくのは、キャスリンだった。


「まさか決闘を挑むなんて思わなかったよ。しかも自分の身柄まで賭けて」


「おう! 名案だろ!」


 レナは大きな胸を、ぽよんっと叩いた。


「これで勝っても負けても、オレはアッシュの女になれるんだ!」


「いや。そこはともかく、負けたら君、傭兵を辞めることになるんだよ?」


「ん? そこは負けなきゃいいだけじゃねえか」


 レナは、パタパタと手を振った。


「オレは現役の傭兵なんだぞ。アッシュが弱いことなんてねえだろうけど、今は職人なんだぜ。ブランクも当然あるだろうし、負けることなんてあり得ねえよ」


「確かにそうなんだけど……」


 と、キャスリンが呟いた時、


「え?」


 サクヤが目を丸くした。


「もしかして、トウ……アッシュに勝つ気なの?」


 サクヤのその問いかけに、レナとキャスリンは振り向いた。


「そりゃあそうさ。負けるつもりで決闘を挑む傭兵なんていないよ」


「まあ、対人戦だと勝てる気はしねえけど、鎧機兵戦なら話は別だかんな」


 と、告げるキャスリンとレナに、サクヤは微妙な表情を見せた。


「一応教えとくけど、アッシュって二つ名持ちだよ」


「へえ。そうなのかい」


 キャスリンは、少し驚いた顔をした。


「それは初めて聞いたよ。どんな二つ名なんだい?」


「それは……」


 サクヤは言い淀む。


「ごめん。ちょっと私の口からは言いたくない」


 あの二つ名はサクヤも深く関わる名だ。

 彼に与えた苦悩と苦痛そのものである二つ名。流石に口には出来ない。

 キャスリンとレナは、訝しげに眉をひそめるが、


「何か事情があるみたいだね。まあ、いいよ」


「おう。それに二つ名なら、オレも持っているから気にすんな!」


 レナは、拳を突き出して言う。


「え? そうなの?」


 今度は、サクヤが驚いた顔をした。

 オズニア大陸の傭兵ギルドがどういうものなのかは知らないが、傭兵や騎士にとって二つ名を持つことが特別なのは違いないだろう。

 誰もが認める強者のみに与えられる称号。それが二つ名なのだ。

 だからこそ、少女のような可憐な容姿を持つレナが持っていたことは予想外だった。


「レナも、伊達にぼくらの団長をしている訳じゃないってことさ」


 キャスリンは肩を竦めて、そう言った。


「いずれにせよ、アッシュ君が二つ名を持つぐらいに強いのは分かったけど、それでもぼくらは、レナが負けるとは思っていないのさ」


 と、誇らしげに言葉を続ける。

 サクヤとしては、それ以上は何も言えなかった。

 サクヤは、レナの実力を見た訳ではない。無論、アッシュが負けるとは思わないが、容易い相手でもないのかもしれない。

 と、サクヤが考えた、その時だった。


「ところでサク」


 レナが尋ねてくる。


「サクは鎧機兵の操縦とか出来んのか?」


「え? 出来ないよ?」


 サクヤはキョトンとした。

 レナは「そっか」と呟くと、さらに問いかける。


「サクの得意なことって何だ?」


「私の得意なこと……?」


 唐突な質問に困惑しつつも、サクヤは答える。


「料理とか裁縫は得意かな。あとは簡単な手当ての心得ぐらいなら」


「おう! そっか! ならサクは後方支援担当だな!」


「……え?」「……レナ?」


 サクヤが目を瞬かせ、キャスリンが眉をひそめた。


「オレの直感だと、オトハは相当強いよな。なら戦闘担当で行けるな!」


「ちょっと待って! レナ、ステイ!」


 キャスリンがレナを止めた。


「まさか、君、サクヤさんやオトハさんまで団員にする気かい!」


「おう。そうだぞ」


 あっけらかんな様子でレナは答えた。

 キャスリンも、サクヤの方も目を剥いた。


「ちょっと待って! 君はうちの団をアッシュ君のハーレム兵団にでもする気かい!」


「いや、そこまでは考えてねえよ」


 レナは、少し真顔になって告げる。


「ただ、真面目な話、アッシュをうちの団に入れるに当たって、どうせならもう少し団の規模を拡大させようかなって思ってさ……」


「……拡大、かい?」


 キャスリンが、怪訝そうに眉根を寄せた。

 レナは「おう」と頷く。


「これからセラで仕事をしていく上で、アッシュ以外にも、もう三、四人は戦闘員が欲しんだよ。そんで、そこまで大きくなるのなら、支援サポート専任も二人ぐらい欲しいだろ」


 そこでサクヤの方を見やる。サクヤは、目をパチクリと瞬かせた。

 レナはニカっと笑った。


「どうせなら顔見知りの方がいいと思ってさ。サクのことならよく知っているし、オトハも悪い奴じゃないみたいだしな。あと、候補として考えてんのは戦闘担当にサーシャ。それと……ユーリィはどうなんだろ?」


 レナに目で訴えかけられ、サクヤは盟主として集めた情報をつい零す。


「あの子は鎧機兵こそ使えないけど、傭兵だった頃のアッシュに拾われた子だから、それ以外のことは大抵こなせる……と思う」


「おっ、そうなのか」


 レナは満足げに笑う。


「じゃあ、とりあえずお前ら四人は内定だな!」


「な、内定なの……?」


 サクヤが困惑した声を上げる。と、


「いやいや。ちょっと待ってよ。レナ」


 流石に、キャスリンが頭を抱えた。


「それって、やっぱりアッシュ君のハーレム兵団じゃないか。特に、サクヤさんとオトハさんは、すでにアッシュ君と男女の関係にあるんだろ?」


「いずれオレもだけどな。けど、ホークスやダインもいるから、ハーレムって訳じゃねえよ。キャスはホークスの女だし」


「それはそれで余りもののダイン君が泣いてしまいそうな状況だよ」


 キャスリンは、深々と嘆息した。

 しかし、レナは、やはり一向に気にしなかった。


「まあ、これからの《フィスト》に関しては、アッシュの件以外はまだ検討段階さ。まずはアッシュを団に入れねえとな。それよりさ、サク」


 レナは、視線をサクヤに向けた。サクヤは「え? な、なに?」と呟く。

 レナは一度、コホンと喉を鳴らし、


「なあ、サクヤ先輩・・!」


 清々しい笑顔でそう声を掛けてきた。


「なあなあ! アッシュのことを教えてくれよ!」


「え、トウ……アッシュのこと?」


 サクヤが眉をひそめると、レナは立ち上がり、腰に手を当てた。


「そう! サクもアッシュとはもうエッチをしたんだろ! 大きなおっぱいが好きなのは聞いたけど、具体的にどんな体位が好きとかさ! 聞いておきたいんだ!」


 数瞬の沈黙。


「…………………レナあぁ」


 あんまりな台詞に、キャスリンは頭を抱えた。

 だが、落ち込む親友も気にせずに、レナは通常運転だ。


「オレ、経験はまだだけど、娼婦になった孤児院の先輩から色々教わっているんだ! だから大抵のことなら知ってるし、応えてみせる自信もあるぜ! なあ、だから教えてくれよ。アッシュの好みって――」


 と、レナが絶好調な様子を見せた時だった。


「……ああ~、うん」


 おもむろに、サクヤが口を開いた。

 その眼差しは、どこか遠くを見ている。


「それ、多分、考えなくてもいいと思うよ」


 諦観の表情でパタパタと手を振る。レナはキョトンとした。


「へ? けど……」


「私も再会する前は色々と考えてはいたんだけど、結局、最初の十分ぐらいでもう考えてる余裕なんてなくなっちゃって――」


 と、そこまで言ったところで、サクヤはハッとした。

 レナとキャスリンに注目されていることに気付き、カアアっと顔を赤くする。

 慌てた様子で近くにあった枕で顔を隠して。


「わ、忘れて!? 今のは忘れて!?」


 と、懇願した。

 レナとキャスリンは、互いの顔を見合わせた。

 そして互いに苦笑を浮かべた。


「はは、うん。今のは聞かなかったことにしようか」


「あはは、サクってあんま体力がなさそうだもんな。アッシュの方はすっげえ体を鍛えてるみたいだし、そりゃあ余裕もねえだろよ」


 勝手に納得してレナは笑う。


「だから忘れてってば!?」


 サクヤが枕越しに叫んだ。もはや耳まで真っ赤だった。

 レナは肩を竦めた。


「まあ、アッシュの好みは実戦で見つけていくよ。オレはサクと違って体力には自信があるしな。長期戦でも連戦でもドンと来いだ!」


 言って、自分の豊かな胸を叩く。たゆんっと大きく揺れた。

 キャスリンは無言のまま苦笑を浮かべて、サクヤは、とても、とても小さな声で「もう体力とかじゃなくって……レナ……その自信は一番まずいよ」と呟いていた。


 そして――。


「ともあれ《夜の女神杯》だ」


 レナは、拳を天にかざした。


「待っていろよ。アッシュ。お前の女がどんだけ強いのか見せつけてやるからな!」

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