第422話 対決②

 ザッ、ザッ、ザッ……。

 そんな足音を立てて、ユーリィが近づいてくる。

 その後ろにはヘルムを片手にサーシャと、とりあえず九号も付いてきていた。


「……誰だい? 君は?」


 と、キャスリンが尋ねるが、ユーリィは無視する。

 ホークス、ダインの横を通り過ぎて、アッシュと少女の前に立った。


「……ん?」


 少女――レナが、振り向いて不思議そうな顔した。


「お前、誰だ?」


「……それはこっちの台詞」


 ユーリィは、表情を変えずに尋ね返した。


「……あなたこそ誰?」


「いや、ユーリィ。こいつは……」


 と、アッシュが説明しようとするが、


「……少し黙っていろ」


「お、おう……」


 ユーリィは、ほぼ眼力だけでアッシュを黙らせた。

 そして、未だアッシュの膝の上に乗っかる女を睨み据えた。


「とりあえず降りて。そこは私の専用席」


「む? 何言ってんだ。ここはオレの特等席だぞ」


 レナは、ユーリィの台詞を問答無用で一蹴した。

 それどころか、見せつけるようにアッシュに首にしがみつくぐらいだ。


 ――ピキリ、と。

 ユーリィはもちろん、サーシャまで額に青筋を浮かべた。


 その状況に、キャスリンは色々と察して。


「ああ~。レナ。少し彼から離れたまえ。多分、この子たちは……」


 と、レナを制しようとした時だった。

 ――ゴウッ!

 いきなり、何かが大気を弾いたのだ。

 それは、ユーリィの後ろ回し蹴りだった。


「え、ちょ、それまずい!」


 キャスリンが、ギョッとして叫んだ。

 華奢で可憐な少女が放つとんでもない速度の蹴りに、現役傭兵であるキャスリンたちも完全に虚を突かれてしまった。あまりの速さに咄嗟に止めることも出来ない。背中を向けているレナなど、蹴りが放たれたことさえ気づいていなかった。

 ユーリィの蹴りは、真っ直ぐレナの背中を撃ち抜こうとした――が、


「こら! ユーリィ!」


 ――ガシィッ、と。

 それは、アッシュの手によって防がれた。

 レナの背中に直撃する前に、ユーリィの足首を掴んだのだ。


「いきなり何すんだ! 危ねえじゃねえか! 安全靴で蹴ってもいいのは、メットさんのヘルムだけって約束しただろ!」


「……アッシュ。離して。そいつ殺せない」


 片足を掴まれたまま、頬を膨らませるユーリィ。「え? 待って。なんで私のヘルムは蹴ってもいい扱いなんですか?」と、サーシャは頬を引きつらせていた。

 一方、キャスリンは目を丸くしていた。


「え? 今の蹴りを座ったまま防いだのかい?」


「……これは、驚いた、な」


 ホークスも、驚きを隠せないでいた。あごに手をやって呟く。


「今の蹴りは……相当な、モノだったぞ」


「いやいやいや!」ダインが、ガタンッとパイプ椅子を倒して立ち上がった。「そんなことよりも団長っすよ! 団長! 大丈夫なんすか!」


「え? 何が?」


 キョトンとした様子で、レナが振り返った。

 自分に何が起きたのか、全然分かっていない顔だ。

 振り向いて、足を掴まれているユーリィと目が合い、ますますキョトンとした。


「いきなり、そこのガキが団長を蹴ろうとしたんすよ!」


「ん? そうなのか? けど、子供のしたことだろ?」


「多分、直撃したら背骨が粉砕されてたっすよ!?」


「ん? そうなのか?」


 レナは小首を傾げるが、すぐにニカっと笑った。


「大丈夫、大丈夫。オレって複雑骨折でも三日ぐらいで治るから」


「それはそれで怖いっすよ!?」


「ああ~、悪りい」


 すると、アッシュがダインたちに頭を下げた。


「うちの子が迷惑をかけた」


「……うちの子?」


 キャスリンが、ユーリィを見つめた。

 アッシュは、一旦ユーリィの足を離した。


「ああ。この子は俺の養女のユーリィだ。人は蹴んなって教えてんだが……」


 アッシュは、膝の上のレナに視線を向けた。


「いい加減に降りてくれ。レナ」


「――イヤだ!」


 ここに至っても、レナは頑なだった。

 アッシュは深々と嘆息した。

 そして、


「しゃあねえな」


 アッシュは、キャスリンから教わったことを早速実践した。

 すうっと、レナの脇腹辺りに手を添えたのだ。

「ひゃんっ!?」とレナは硬直した。確かに効果は抜群のようだ。その一瞬の隙に彼女の腰を掴んで、横に降ろした。ようやくアッシュは解放された。


「ああっ!? ズルいぞ!?」


「何がズルいんだよ」


 アッシュは脱力しつつも立ち上がり、ユーリィの前に移動した。

 そこで、ユーリィの視線に合わせて腰を屈める。


「…………」


 無言のままアッシュを睨み据えるユーリィ。

 それは数秒ほど続くが、


「…………」


 その後、ユーリィはプイっと視線を逸らした。


「……ユーリィ」


 アッシュは嘆息した。

 次いで、ユーリィの頬を両手で掴むと、自分の方へと振り向かせた。

 ユーリィは「むむむ」と唸る。

 アッシュは、真剣な眼差しで愛娘を見つめた。


「ユーリィ。いきなり人を蹴っちゃダメだろう」


「……だって」


 不満そうに目尻を上げて、ユーリィは頬を膨らませる。

 アッシュはユーリィの肩に手を乗せると、かぶりを振った。


「だってじゃない。レナに謝るんだ。俺が止めることを確信した上なのは分かっちゃいるが、それでも万が一はあり得るんだぞ」


「……だって、そいつ……」


 ユーリィはレナを指差した。未だ納得いかないようだ。

 そこで、アッシュは訝しげに眉根を寄せた。


「そもそも、なんでいきなり蹴ったんだ?」


「……それをアッシュが聞くの?」


 ユーリィがジト目になる。

 アッシュは「は?」と不思議そうな顔をするが、小声でユーリィが「今ここでまたキスしてやろうか。この野郎」と、警告してきたので流石に理解する。


「うおっ、そういうことか……いや、けどな」


 アッシュは、ポリポリと指先で頬をかいた。


「それでも、本気で蹴るのはダメだろう」


「……むむ」


「……ユーリィ。ダメなのは分かっているよな?」


 アッシュは諭すように尋ねる。ユーリィは「……むむむ」と呻いた。

 しばしの沈黙。ユーリィはぶすっとしつつも、


「………分かった」


 そう告げる。

 それから、渋々といった様子で、レナの方に振り向いて頭を下げた。


「確かに、いきなり蹴ったのは悪かったと思う。ごめんなさい」


「おう。気にすんな」


 ニカっと笑うレナ。ユーリィは淡々と告げる。


「次からは、蹴ると宣言してから蹴るから」


「おう。そっか……ん?」


 レナは小首を傾げた。

 アッシュは、額を手で押さえつつ「……やれやれ」と溜息をついた。

 ともあれ、謝罪はしたのでよしとするか。


「うちの子がすまねえことをした。悪かったな。レナ」


「おう! 小っちゃなことだ! 気にすんなよ!」


 レナは、どんな状況でも元気いっぱいだった。

 アッシュは苦笑いを零してから、サーシャの方にも視線を向けた。

 少しだけ不満そうな表情で告げる。


「……メットさんも、ユーリィを止めてくれよ」


 サーシャなら、その気になればユーリィを止められる。

 アッシュとしては、蹴りを放つ前に止めて欲しかったのだが……。


「先生なら、蹴った後でも止めてくれるって分かっていましたし」


 サーシャは、にっこり笑ってそう告げる。

 ……それに、私だって結構ムッとしたんですよ。

 と、内心では思っているのだが、流石に口にはしない。

 ただ、これでもアッシュはサーシャの師だ。愛弟子が少しだけ不機嫌になっているのを感じ取っていた。まあ、その原因までは分からなかったが。


(やれやれだな)


 どこか拗ねているようにも見える愛弟子に、アッシュが嘆息する。と、


「う~ん、なんか人が増えたね」


 おもむろに、キャスリンがそう告げてきた。

 彼女は肩を竦めながら、アッシュの方へと近づいてきた。


「これは、改めて、お互いに自己紹介でもした方がいいのかな?」


「ああ、そうだな」


 アッシュが頷くと、キャスリンも首肯した。

 次いで、サーシャとユーリィに視線を向けて。


「それじゃあ、新しくやって来た子から頼めるかな? 君」


 アッシュに、そう頼むのだが、


「「………え」」


 途端、サーシャとユーリィが、大きく目を見開いた。

 それは、とても驚いている顔だった。

 キャスリンは、「……ん?」と眉根を寄せた。


「どうかしたのかい? 二人とも?」


「え? いえ、その……」


 サーシャが困惑した様子で口元を押さえる。と、


「ああ~、悪りい」


 アッシュが、頭をボリボリとかいて謝罪した。

 キャスリン、そしてレナたちもアッシュに注目した。


「まず、俺から自己紹介しておくべきだった」


 と、切り出して。


「アッシュ=クライン。それが俺の今の名前なんだ。よろしくな」


 今さらながら、アッシュは自己紹介をするのであった。

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