第400話 《黄金》の決意③

 時は少し遡る。

 月明かりのみで照らされる、深夜の一室にて。


「……久しぶりだね」


 サクヤは、優しげに微笑んだ。


「立場的に、私は膝をついた方がいいのかな?」


「……イヤ。ソノ必要ハナイ」


 壁一面に映る影が答える。


「……ウヌノ立場ハ、カリソメノモノダ。忠義マデハ、イラヌ」


「けど、それでも私は感謝しているよ」


 言って、サクヤは頭を下げた。


「ありがとう。助けてくれて。あなたのおかげで、私はここに戻ってこれたよ」


「……フフ」


 影は笑う。


「……確カニ、ワレハ、煉獄ニテ、消滅スルハズノウヌニ、加護ヲサズケタ」


 一拍おいて、


「……ダガ、ソレデモ、狭間ヲ、コエテ、ステラクラウン二、帰還デキタノハ、ウヌノ想イガ、アレバコソダ」


「……うん。そうだね」


 と、サクヤは頷くが、その表情には陰りがあった。


「……《悠月》ノ乙女ヨ」


 影は尋ねる。


「……世界ノ狭間ヲ、コエルホドノ、想イガアルトイウノニ、マダ、タメラウノカ? 奴二逢ウノガ、恐ロシイノカ?」


「………」


 サクヤは口を閉ざす。

 影もまた沈黙した。ただ彼女の言葉を待つ。


「……私は」


 そして、ややあってサクヤは口を開いた。


「沢山の人を殺したの」


「…………」


 影は、静かに耳を傾ける。


「大人も、子供も、男の人も、女の人も、お爺ちゃんや、お婆ちゃんも。数えきれない。本当に沢山の人を殺したの」


 サクヤは、自分の両手を見つめた。


「おぼろげな記憶だけど、彼らの悲鳴だけは今も耳に残っている。私は無慈悲に彼らの未来を奪った。なのに……」


 くしゃくしゃと表情を歪める。


「私はのうのうと、こうして戻ってきた。その上、トウヤ愛しい人に逢おうとしている。図々しいにもほどがあるわ」


「……ソレガ、ウヌノ、タメライカ」


「……ええ。そうよ」


 サクヤは影を見つめた。


「私はまず罪を償うべきじゃないのか。それまでトウヤに逢ってはいけない。どうしてもそう思ってしまうの」


 それが、サクヤの足を止める最大の理由だった。

 多くの災厄をまき散らした自分は、幸せになってはいけない。

 仮にそれが許されても、それは罪を償ってからだ。

 そう思っていた。

 しかし、それに対し、影は、


「……愚カナ」


 容赦ない言葉を放つ。


「……罪ヲ償ウナド、デキルハズモナカロウ」


「……え?」


 サクヤは目を瞠った。


「……『罪ヲ償ウ』トイウ言葉ハ、加害者ノ、都合ノイイ言葉ダ。マシテヤ、命ヲ奪ッテオイテ、ソノ代価トナル償イナド、アリエナイ。命ノ代価ハ、命ダケダ。仮二、アリエルトシタラ、コロシタ相手ヲ、ヨミガエラスコトデシカ、償エヌ。奪ッタモノヲ、返スコトダケガ、唯一ノ、償イナノダ」


「……そ、そんな」


 サクヤは言葉を失う。


「じゃあ、私は罪を償えないの……」


「……ソノ言葉ジシンガ、アリエンノダ」


 影は双眸を細めた。


「……乙女ヨ。ヒトツ聞ク。ウヌハ、《聖骸主》ニ、ナッテイタ時、ツラカッタカ?」


「……え」


「……ヒトヲ殺シ、ウヌハ、ツラカッタカ? クルシカッタカ?」


「――そんなの決まっているでしょう!」


 サクヤは右腕を振って叫ぶ!


「辛かったわよ! 苦しかったわよ! 泣きたくても泣けなくて! 叫ぶことさえ出来なくて! 何より、私は何度もトウヤを傷つけたのよ!」


 あの頃の苦しみは今でも忘れない。

 決して忘れられない。

 サクヤの瞳に涙が滲んだ。


「自分が、どれだけ罪深いかなんて私が一番よく知っているわ! あの苦しみは私の罪。一生忘れない! 絶対に忘れたりしない!」


「……ソウカ」


 影はどこか優しげにアギトを動かした。


「……ナラバ、モウ、タメラウ必要ハナイ。ウヌニハ、奴二逢ウ資格ガアル」


「…………え?」


 サクヤは目を瞬かせた。

 何を言われたのか理解できなくて茫然とする。

 と、影は語り出した。


「……罪二、行ウベキハ、罰ダ。不可能ナ償イデハナイ。ウヌハ、充分、罰ヲウケタ」


「え? け、けど、私のこの罪悪感は自業自得で……」


「……自業自得ダロウガ、罰ハ、罰ダ。ソシテ、ウヌハ、スデニ罰ヲウケタ。キエルコトノナイ罰ヲナ」


 影は、さらに語る。


「……同ジ罪デ、ナンドモ罰ヲ、ウケルノハ、スジ違イダ。人ノ法モ、ソウダロウ? ウヌノ禊ハ、スデニ、終ワッテイルトイウコトダ」


 サクヤは唖然とした。

 数瞬の静寂。微かに喉を動かした。


「私は……」


 そして、サクヤは言葉を絞り出した。


「トウヤに逢ってもいいの?」


「……許ソウ」


 影は即座に応える。


「……ウヌハ、スデニ自由ダ。誰ガ、ナント言オウト、ワレガ、許ソウ」


「……あなたは」


 サクヤは苦笑を零した。


「傲慢なのね」


「……ワレヲ誰ダト思ッテイル。ダガ、ウヌノ愛スル男モ、大概ダゾ」


 と、影も苦笑じみた声で答えた。

 しばし、静寂が深夜の部屋に訪れる。

 そして――。


「……分かった」


 サクヤは微笑んだ。


「逢ってみるよ。トウヤに」


「……ウム。ソレガイイ」


 影は微笑むように双眸を細めた。

 サクヤは口元を押さえてクスクスと笑う。


「けど、もしかすると私は盟主さんを辞めちゃうかもしれないよ?」


「……ウム。ソレモ構ワヌ」


 影はこともなげに言う。


「……ワレハ、寿退位ヲ、認メル派ダ」


「……うわあ、盟主さんって教団の象徴なんだよ? うちの組織の人が聞いたら泣き出しそうな台詞」


 サクヤは、何とも言えない表情を見せた。

 目の前の『彼』がサクヤを盟主に据えたというのに何ともお気楽な発言だった。


「……元々、ウヌノ後ロダテノタメニ、与エタ地位ダ。キニスルナ」


 と、影は宣う。


「まったく。あなたは」


 呆れるようにサクヤは笑った。

 彼女のその笑顔には、先程までの気負いはなかった。

 緊張もない、とても自然な表情だった。


「……ありがとう。わざわざ来てくれて」


「……キニスルナ」


 言って、影は徐々に縮小していった。窓辺に向かって移動する。


「……幸セニナレ。デナケレバ、助ケタ甲斐ガナイ」


「……うん」


 サクヤは躊躇いながらも頷いた。


「分かった。頑張ってみる」


「……ソレデイイ」


 最後にそう返すと同時に、影は完全に部屋から消えた。

 サクヤは窓辺に寄るが、深夜の街に人影はない。


「……本当にありがとう」


 サクヤは微笑む。

 そして夜空を見上げた。

 丁度、大きな雲が月から離れるところだった。


「……うん」


 サクヤは力強く頷く。

 そうして決意を口にした。


「明日、トウヤに逢おう」

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