幕間一 《妖星》達の休日アナザー

第391話 《妖星》達の休日アナザー

「〈……むむむ〉」


 その時、オルドス=ゾーグは、とても困っていた。

 場所は三階建ての店舗の屋上。

 そこで、オルドスは膝を屈めて座っていた。

 ちらりと下を覗くと、沢山の人間が歩く姿が見える。


「〈困ったのである〉」


 顔を引っ込めてオルドスは晴天を見上げた。

 意気揚々と訪れたこの国。

 しかし、肝心の探し人の居場所までは調べていなかったのである。


「〈むむ。こうも人が多くては迂闊に動けないのである〉」


 オルドスとて、自分の姿が非常に目立つことぐらい自覚している。

 仮に街に出れば大騒ぎになるだろう。

 ゆえに、諜報活動などは、普段はシーラに任せていた。


「〈シーラにも来てもらうべきであったか?〉」


 愛しき金糸雀であり、自分の右腕でもあるシーラ。

 彼女ならば、迅速に探し人の居場所を探ってくれただろう。

 ――だが。


「〈いや。ダメなのである〉」


 オルドスはかぶりを振った。正確には円筒を左右に揺らした。


「〈シーラにこれ以上負担をかけてはいけないのである〉」


 シーラは、ほとんど働かないオルドスの役職を維持するため、本部長代理として激務をこなしてくれている。

 オルドスの悲願とはいえ、プライベートなことでまで負担をかける訳にはいかない。

 かといって、他の金糸雀達に頼むのは論外だ。

 彼女達はみな美しく、愛らしい。

 けれど、シーラ以外の戦闘能力は凡庸だった。


 ――か弱く、愛しき金糸雀達。

 そんな彼女達を、噂に聞くあの怪物に近づけることなど出来るはずもない。

 オルドスは大きく肩を落とした。


「〈あの怪物は、ガレックさえも殺したそうであるからな〉」


 そう考えると、シーラでさえ危険だろう。

 やはり、金糸雀達の力を借りることは出来なかった。


「〈しかし、どうしたものであるか〉」


 空を静かに見据える。

 夜になってから行動するか?

 ――いや、当てもなく無人の街を徘徊して何の意味があるのか。

 オルドスは「〈……う~ん〉」と唸って長い腕を組んだ。

 と、その時だった。


「〈……ん?〉」


 ふと、気付く。

 近くに何故か見知った気配を感じたのだ。


「〈これはもしや……〉」


 オルドスは翼を広げた。

 そして、人々に気付かれないように羽ばたいた。




 その日、ボルド=グレッグは、とても困っていた。

 場所は市街区にある宿の一室。

 天気は透き通るような快晴。空気も、とても清々しい。

 窓を開けて深呼吸でもすれば、さぞかし気持ちのよいことだろう。

 しかし、ボルドの表情は困り果てていた。

 原因は目の前の彼女にある。


「ボルドさま。ボルドさま」


 彼女は、ベッドに腰をかけるボルドの前で、長い髪を揺らしてくるくると回る。

 年の頃は二十代半ば。アロン大陸の衣装と聞く浴衣を、肩が見えるぐらいに着崩したスレンダーな美女。カテリーナ=ハリスだ。

 先日に初めて聞いたのだが伊達眼鏡だったらしい赤い眼鏡は壊れているため、今はかけていない。普段はしている口紅などの化粧の類も一切していなかった。代わりに彼女の美貌を彩るのは満面の笑顔だ。


「似合いますか? 似合っていますか?」


「……ええ。とてもよく似合っていますよ」


 ボルドは、やや苦笑じみた笑みを向けた。

 しかし、世辞ではない。

 東方の衣装は、とても彼女に似合っていた。その上、着崩しているため、はだけた胸元や時折見える美脚など実に煽情的だった。

 ちなみにボルドはハーフパンツを履いただけの姿だ。

 小柄で頭髪も薄い四十を過ぎたおっさん。しかし、流石は《九妖星》の一角。その肉体は傷だらけながらも鍛え上げられていた。


「本当に似合っています」


 ボルドが再びそう告げると、カテリーナは、さらに笑みを深めた。


「そうですか!」


 言って、持ち前の身体能力の高さで跳躍すると、空中で両膝を曲げてボルドの膝上に跨るように着地した。ベッドが大きく軋む。

 ボルドは目を丸くする。


「ちょ、カ、カテリーナさん!?」


「ボルドさまぁ~」


 カテリーナは、ボルドの首に抱きついた。身長差から、彼女の慎ましくはあるが柔らかい双丘がボルドの顔に、むぎゅうっと押しつけられる。


「カ、カテリーナさん……」


 ボルドは、朝からハイテンションな彼女に困惑する。

 カテリーナは、ボルドから上半身を少し離した。

 そして告げる。


「では、ボルドさま。昨晩の続きを教えてください」


「い、いや、続きとは……」


「私はまだまだ勉強不足ですから、早く教えてください」


 言って、カテリーナは童女のように笑う。

 ボルドは、彼女の勢いに完全に呑まれていた。

 この三日間もそうだったが、何というか圧倒的だ。

 よほど想いを溜め込んでいたのか、全身から活力が溢れ出ていた。

 カテリーナは元々若いが、今は本当に瑞々しい。

 まるで十代後半でも通じそうな輝きだ。

 おっさんのボルドとしては、目が眩みそうだった。


「カ、カテリーナさん」


 ボルドは、彼女の両肩を掴んで告げる。


「その、少し落ち着いてください。そろそろ、ボーダー支部長達とも合流しなければならないでしょう」


「ええ~」


 カテリーナは不満そうな声を上げた。

 意外と彼女が甘えん坊で我儘なのも、ここ数日で初めて知ったことだ。


「まだいいじゃありませんか。そもそも私達は休暇中ですし。ボーダー支部長も各自自由にしてもよいと仰ってましたし」


「それでも一度ぐらいは連絡するべきでしょう。クラインさんと戦ってから、もう三日も経つんですよ。食事と入浴の時以外はほとんど外にも出ていないではありませんか」


 そう告げると、彼女はしゅんとした。

 仕事時に見せてきた知性に満ちた凛々しさは全くない。

 ボルドは嘆息した。


「カテリーナさん」


 ボルドは、彼女の横髪を指先で梳かした。


「まだ休暇は残っています。一度挨拶するだけですから」


 優しく、説き伏せる。

 彼女は、それでも少し不満そうではあったが、こくんと頷く。


「分かりました。ボルドさま。ですが……」


 そこで、カテリーナはボルドに再び抱きついた。

 今度は体を少し沈めて、ボルドの腕の下から手を回し、二人の頭を横に重ねた。


「出かけるのは、別に昼からでもいいじゃないですか」


「……カテリーナさん」


 ボルドは嘆息しつつも、彼女の背中を抱きしめた。

 そして彼女の頭を撫でる。カテリーナは幸せそうに目を細めた。


(これも私が招いた責任ですからね)


 出かけた際には、指輪でも買っておこうか。

 そんなことを考えつつ、ボルドはふと窓の外に目をやった。

 すると――。


「………え?」


「〈…………〉」


 そこには、逆さになったシルクハットがあった。

 星が散らばったような黒い円筒に、すっぽりはまったシルクハットだ。

 ボルドは目を丸くする。

 黒い円筒は何も答えない。

 沈黙が続く。カテリーナが「ボルドさまぁ~」と甘い声を上げた。

 そうして数秒後。


「〈……昼頃に出直してくるのである〉」


 すっと円筒が上に引っ込んだ。

 対し、ボルドは、慌てて叫ぶのであった。


「ちょっと待ってください!? オルドス!? 何故あなたがここに!?」

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