第390話 神は願う④

「……お茶でも出そうか?」


 クライン工房の作業場。

 アッシュが、そう尋ねると、


「……イヤ。オカマイナク」


 パイプ椅子に乗かった零号が、そう返した。

 アッシュは苦笑しつつ、自分もパイプ椅子に座った。

 現在、工房には客がいない。受注している仕事も一段落ついたところだ。

 だから、この珍客に応答するのも悪くない。


「けど、一機だけで何しに来たんだ?」


「……ウム。ソウダナ」


 零号は、アッシュを見つめた。


「……ウムガ、ヘコンデイルト、オモッタカラナ」


「……いや、ヘコむって……」


 アッシュは頬をかいた。すると零号は、


「……コウタカラ、乙女ノコトハ、キイタノダロウ?」


 そんなことを言い出した。

 アッシュは、思わず目を丸くした。


「いや、乙女って、もしかしてサクのことか?」


「……ウム。《悠月ノ乙女》ノコトダ」


 零号は頷く。アッシュは眉根を寄せた。


「ゆうづき? 何だそりゃあ?」


 聞いたことのない単語に、アッシュが尋ねると、


「……悠久二、寄リソウ、月トイウ意味ダ」


 零号は尻尾を、プラプラと揺らして答えた。


「……王二、心カラ望レタ乙女タチ。王ノ愛ニヨッテ、カガヤキ、円環ノ月トナル。カツテハ、九人イテ、《九耀星》トモ、ヨバレテイタガ――」


 そこで零号は首を傾げた。


「……今回モ、九人ナノカ?」


「……いや、だから何の話だ? それ?」


 ますますもって意味不明なことを言う零号に、アッシュは呆れた。

 それに何やら不穏な響きの名称もあったので眉をしかめた。

 すると、それに対し、零号は静かな眼差しでアッシュの黒い瞳を見据えた。

 まるでアッシュの心の裡でも覗くように……。


「……ウム」


 零号は頷いた。


「……《悠月》ガ、八ツ。今回ハ、八人カ。ソレトモ、フエルノカ? トモアレ、ソノ内、フタツガ、特二強ク、カガヤイテイルナ」


「いや、お前、大丈夫か?」


 アッシュは少し困った顔をした。

 流石に、そろそろ零号の思考回路が不安になってくる。

 これはメルティアに伝えておくべきか?

 と、考えていたら、零号が親指をグッと立てた。


「……マダ先ハナガイ。アト六人。ガンバレ」


「いや。マジでメルティア嬢ちゃんのところに連れてってやろうか?」


 これは相当ヤバいかもしれない。

 アッシュは立ち上がって、零号を抱え上げようとした。

 が、その前に零号は素早く地面に降りた。

 がしゅん、という独特な着地音が響く。

 零号は、その勢いのまま背中を向けて走り出した。


「お、おい。ちょっと待てって」


 アッシュは零号を後ろから捕まえようとしたが、短い脚の割には足が速い。あっという間に作業場の出口付近に駆け抜ける。


「おいチビ。だから待てって」


 アッシュが追いかけながら呼びかける。

 すると、零号は振り返った。

 そして、


「……マヨウナ。友ヨ」


 再び語り出す。

 その眼差しは、遥か悠久を見据えているようだった。

 機械だと分かっているのに、強い意志を感じて、アッシュは足を止めた。


「……イマノウヌト、カツテノウヌハ、別人ダ。強欲ナチカラナド、イマノウムニハ、不要ナモノダロウ」


 零号は、淡々と語り続ける。

 と、その時だった。


(………ん?)


 アッシュは怪訝そうに眉をひそめた。

 不意に、小さな機体の影が、わずかに揺らめいたような気がしたのだ。

 室内外の光源のせいか、影が少し大きくなったような気もする。

 恐らくは錯覚なのだろうが、それはまるで獣の姿を象っているように見えた。


「……ケレド、彼女タチダケハ、別ダ。友ヨ。彼女タチ二ハ、強欲二ナレ。スベテヲネジフセテデモ、乙女タチヲ、腕二抱クノダ。《悠月ノ乙女》タチハ、必ズ、ウヌヲ幸セニ、ミチビイテクレルハズダカラナ。ワガ《御子》ノ《贄ナル花嫁》タチト同ジヨウニ」


「……お前」


 アッシュは双眸を細めた。わずかな疑念が浮かぶ。

 とても馬鹿馬鹿しい疑念だ。

 ――今、自分の目の前にいるのは、本当に鎧機兵なのだろうか。

 そんな思いが胸中をよぎった。


「……何モンだ。お前は?」


 アッシュは、率直に聞いた。

 すると、零号はグッと親指を立てて、


「……メルサマヲマモル、メルティアン魔窟キシ団ノ団長ダ。ソシテ、ウヌノ友ダ」


 そう告げた。

 どこか自慢げなご様子である。


「いやいや。いつ俺がお前のダチになったんだよ」


 アッシュが苦笑する。と、


「…‥ズット前カラダ。トモアレ、今ハ、ホカノ乙女ノ前二」


 零号は再び前を向いて、歩き出した。

 別れの挨拶のように、右の拳を突き上げながら。


「……マズハ、最初ノ乙女ヲ、スクッテヤレ」


 そう告げて、零号は作業場から立ち去って行った。

 アッシュは、しばらく零号が立ち去った場所を見つめていた。

 が、ややあって、ボリボリと頭をかいた。

 終始、訳の分からないことばかり言っていたが、結局、零号が言いたかったのは最後の台詞だけなのだろう。それを告げるために、わざわざ出向いてきたのだ。

 恐らくコウタ経由で事情を知っていたのだろうが、何ともお節介な鎧機兵である。


「ったくよ。そんなこと、分かっているさ」


 そう呟いて、苦笑を浮かべるアッシュだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る