第383話 交錯する想い③

 ――むくり、と。

 彼女は、おもむろに上半身を起こした。

 ベッドの上に座る彼女の長い黒髪が、零れ落ちるように流れる。


 年の頃は十六歳ほどか。

 黒曜石のような黒い眼差しに、腰まである艶やかな黒髪。誰もが魅入るような美貌とプロポーションまで持っている少女。

 そんな女神もかくやといった彼女だが、今はベッドの上でへこんでいた。

 いつも身に着けている炎の華紋が描かれたコートのようなタイトワンピースも、今は壁に置き、今はシーツを肩の上からかけている。


「……トウヤぁ」


 彼女――サクヤ=コノハナは情けない声を上げた。

 とても《ディノ=バロウス教団》を統べる盟主とは思えない声だ。


「……ううゥ」


 サクヤは、頭を抱え込んだ。


「流石にそろそろ気付いたよね。私がここに居るってこと」


 幾度となく、クライン工房に行こうとした。

 しかし、行けたのは停留所まで。結局、一度も工房までは行けなかった。

 それ以上は、歩き出すことも出来ない。

 勇気が圧倒的に足りないのだ。

 ……彼に嫌われていたら、どうしよう。

 自分のせいで、彼には想像を絶する苦難の人生を送らせてしまったのだ。

 今さら、自分を受け入れてくれるなんて思えない。

 行ったところで迷惑がられるだけだ。

 それに彼の傍には魅了的な女性が沢山いる。

 その内の一人と結ばれていて、自分などすでに過去の女になっていて――。


(ううゥ、嫌だよォ)


 じんわりと涙が溢れて来る。

 そんな考えが頭にこびりついて、彼女の足は止まってしまった。

 そこから一歩も動けなくなってしまったのだ。

 しかし、それは彼女の方だけだ。


(トウヤは《星読み》が使えるから……)


 自分の存在は、恐らく義弟から伝えられることだろう。

 そうなると、彼は間違いなく《星読み》を使う。

 王都がどれほど広くても、彼女の居場所を見つけることなど簡単だ。

 もしかすると、この宿の外にはすでに彼が来ていて……。

 ――コンコン。


「ひゃあっ!?」


 サクヤは肩を震わせて悲鳴を上げた。

 次いで、シーツを頭からかぶって身を屈めると、ブルブルと震え出す。

 ――コンコン。

 再びノックが鳴る。

 しかし、サクヤに返答は出来ない。

 すると、


「……サクヤさま?」


 ドアの向こうから声がした。

 サクヤの従者であるジェシカの声だ。


「じぇしかぁ……」


 サクヤは、かつてないほどに情けない声を上げた。

 とりあえず入っても問題ないと判断したジェシカは、ドアを開けた。

 年の頃は二十代半ばほど。

 男物の冒険服と、黄色い短髪が印象的な美女が入室してくる。

 彼女がサクヤの護衛兼、従者であるジェシカだった。

 ジェシカは、シーツを被って丸い物体になっているサクヤを見やり嘆息した。


「何をされているのですか。サクヤさま」


「だってェ……」


 サクヤはシーツの中から出ようとしない。

 この上なく臆病を悪化させてしまっている主君に、ジェシカはかぶりを振る。


「いつまでそうされておられるのですか。サクヤさま。もう昼過ぎですよ。昼食ぐらいお食べください」


「だって、だってェ……」


 丸い物体は語る。


「きっと、トウヤはもう私のことに気付いているよォ。もう、どこで鉢合わせするか分からないんだよォ。それに……」


 丸い物体はさらに縮こまった。


「私は《ディノ=バロウス教団》の盟主なんだよ。嫉妬でサーシャちゃんやオトハさんに嫌がらせしたこともバレるんだよォ。オトハさんに対しては怪我までさせたし」


「………」


 ジェシカは一瞬記憶を探る。

 そう言えば以前、そんなことをしたと聞いたことがある。


「まあ、あの時の目的は《悪竜の尾》の奪還。サクヤさまご自身に彼女達の殺害の意志まではなかったことですし、結局のところ、あれはハン達の行き過ぎた行動でしょう。《双金葬守》もそこまで怒らないと思いますが」


「……トウヤは怒った時は本当に怖いのよ。特に自分以外のことに関しては」


 丸い物体が逃げ出すように、ベッドの上を徘徊する。


「それに、仮にオトハさんがトウヤと、その、もうエッチとかするぐらい……その」


 言葉を詰まらせる丸い物体に、ジェシカが告げる。


「仮に恋人同士になっていたら?」


「うぐっ! う、うん。仮にそうなっていたら……」


 丸い物体は苦痛を誤魔化すように転がり始めた。


「元カノが、今カノを傷つけようとしたってことになるんだよォ」


「……そう言うと重いですね」


 ジェシカは淡々と答えた。


「しかし、ご自身が元カノであると認めておられているのですね。サクヤさまは」


「――違うわよっ!」


 ジェシカのその指摘に、サクヤはシーツをはねのけて立ち上がった。


「断じて違うわ! 私はトウヤの恋人! 今も婚約者なの!」


 サクヤは自分の豊かに胸に片手を当てた。


「他の誰にも渡さない! 正妻の座は! 正妻は私なの!」


「……ハーレムは認めておられるのですか?」


「……むぐ」


 ジェシカのツッコミに言葉を失ったサクヤは再び座り込み、シーツを頭から被った。

 それから、もぞもぞと再びベッドの上を徘徊し始める。

 再び鬱状態に入ったようだ。

 ジェシカは深々と溜息をついた。


「分かりました。サクヤさまがもう少し落ち着かれるまで待ちましょう」


 そう言って、ジェシカは退室した。

 部屋の中に残ったのは丸い物体――もとい、サクヤだけだ。

 しばし徘徊する衣擦れの音だけが鳴り続ける。

 そして……。


「逢いたいよォ」


 サクヤは、ブルブル震えた。


「けど、怖いのォ。トウヤぁ、どうしよう、トウヤぁ」

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