第13部 『冥王と黄金の姫』

プロローグ

第380話 プロローグ

「〈さてさて〉」


 キュッと。

 彼は、首元の蝶ネクタイを強く締めた。

 続けて、バケツを思わせるほど大きいシルクハットを頭にカポッとはめる。

 彼は、満足そうに頷いた。

 正確には首と呼べるものがないので頭を揺らしたのだが。

 ともあれ、彼は自分の姿にご機嫌だ。


「〈これで装いは完璧である。後は……〉」


 彼は暗い部屋の隅に、無造作に置かれていた数枚の紙に手を向けた。

 長い腕は身を屈めずとも、あっさりとそれらを拾い上げる。


「〈ついでに、これも渡しておく方がよいでありますな〉」


 面倒くさいがこれも義務だ。

 出なければ、この終の楽園から追い出されてしまう。

 それだけは勘弁して欲しかった。

 彼は紙の束を片手に持つと、空いたもう一つの手を虚空に添えた。

 すると、空間にピシリと亀裂が奔る。

 火花にも似た光と、空間の先に見える星々のような輝きに室内が微かに照らされる。

 そこには数名の人影があった。

 全員が荒い息を零していて、丸い大きなベッドの上に横たわっていた。


「……え?」「あ……」「……なぁにィ?」


 寝ぼけ眼の様子で、目を瞬かせる彼女達。

 そして彼の姿に気付いた彼女達は、ハッと大きく目を見開いた。

 その眼差しには、すぐに哀願と寂寥の光が宿る。

 彼女達はおぼつかない足取りながらも立ち上がると、彼の足や腰にしがみついた。


 彼女達は全員が裸体だった。十代後半、二十代前半、二十代後半と年齢は様々だ。彼女達は口々に「行かないで」「ど、どこに行かれるのですか? も、もしや、シーラさまのところでしょうか?」「やだやだやだァ」と悲痛な声を上げる。


 対し、彼は、


「〈案ずるでない。我が金糸雀カナリア達よ〉」


 どこか機械的な声で彼女達に告げる。

 それだけで、彼女達はホッとした顔を見せた。


「〈少し出かけるだけである。そなたらは大人しくしておくのだぞ〉」


 彼はそう告げた。彼女達は陶然とした表情で頷いた。

 彼は指先で彼女達の頬を撫でると、自らが造った空間の亀裂を見据えた。

 そして――。


「〈さあ。いざ迎えにいかん。我が花嫁を〉」


 そう言って、彼は空間の中に消えた。



       ◆



「……やれやれ」


 その時、男は嘆息した。

 続けて、どっしりとソファーに腰かける。


「まさかの入れ違いとはな」


 男はソファーの背もたれに両腕を乗せると、再び嘆息した。

 年齢は四十代半ばぐらいか。

 黒い瞳に、少し白髪も目立つが黒い髪。アロン大陸出身者の特徴だ。

 髪に繋がるもみあげから顎を覆う髭を生やしており、頭部には黒いカウボーイハットを被っている。服装は濃い茶系統の登山服に似た服――いわゆる、トレジャーハンターのような格好だ。


 ――男の名は、ゴドー。

 神学者にして、犯罪組織・《黒陽社》を統べる社長でもある人物だ。


「まったくもって運がない」


 ゴドーは、嘆くように点を仰いだ。


「わざわざ出向いて留守とはな。ああ、残念だ」


 今度はカウボーイハットを片手で押さえつけて、言葉通りに残念そうに呟く。


「今代の盟主殿は、絶世の美女だと聞いていたからな。出来れば拝見し、何なら口説き落としたいところだったのだが」


「……社長」


 そんなゴドーに眉をひそめる人物がいた。

 年の頃は二十代半ばほど。肩まである茶系統の髪に真紅の眼差し。首筋から頬にかけては樹の根のような黒い紋様が刻まれている青年だ。

 黒いスーツで身を固めた彼は、後ろ手に手を組んでゴドーの傍に控えていた。


 ――カルロス=ランドヒル。

 若くして《九妖星》の一角。《土妖星》の称号を持つ者だ。


 カルロスは、ゴドーに進言する。


「美しい女性を見ると、すぐ口説かれるのはいかがなものかと」


【まったくだ】


 その時、別の声も響いた。

 ただ、それは声ではない。思念波と呼ばれるものだった。

 カルロスの裡に宿る《悪魔》・ランドネフィアの声だ。


【お前には節操がない。一途なカルロスを見習え】


「ふん。何を言うか」


 ゴドーは、従者達を睨みつけた。


「俺とて女は選んでいる。俺がここ数年で見初めたのはオトハだけだぞ」


 そこで、ゴドーはにやつく双眸を細めた。


「あのおっぱい。あの腰つき。あのお尻。そして圧倒的な美貌。絶対に女豹のポーズが似合ったはずなんだ! しかも、俺の見立てからして間違いなくオトハは処女だったぞ。勝気に見えてその実、純情な娘に違いない! くううゥ! 早く俺色に染めたいぞ! やはり早々に夜戦を仕掛けておくべきだったか!」


「……はァ」


 主君の前で失礼だと思いつつも、カルロスは溜息をついた。


「正直に申しまして、もはや遅いのではないかと思われます。あの日、社長がけしかけたせいで《双金葬守》も本気になったようですから、すでに《天架麗人》は奴の女になっている可能性が高いかと」


 確か情報では、社長がご執心の女は《双金葬守》と同棲しているそうだ。

 カルロスがあの男と対峙した夜。最初はあの男も随分と温いことを言っていたが、最後には明確な意思を見せていた。


「あの時点で撤退した以上、もう手遅れのような気がしますが」


 と、告げるカルロスを、ゴドーは鼻で笑った。


「ふん。それがどうした」


 ゴドーは首だけをカルロスに向けて告げる。


「仮にそうだった場合、オトハの純潔を俺のものに出来なかったことは確かに痛恨の極みだ。だが、他の男に抱かれた程度でこの俺が諦めるとでも思うのか? それならそれで奴からオトハを寝取るだけだ。それもまた楽しいものだしな」


 ゴドーはふっと笑った。


「俺を誰だと思っている。俺の色は黒。すべてを染める色だ」


「………」


 カルロスは沈黙した。非常に微妙な表情を見せている。

 自分にもその剛毅さがあればとでも思っているのか、それとも、寝取るという単語にトラウマでも抱えているのか、カルロスの心情は、一心同体であるランドネフィアぐらいにしか分からなかった。


「とは言え、まだ奴に手を出されていないのがベストではあるがな」


 そこでゴドーは嘆息した。


「本音を言えば、オトハは無垢のまま、俺の色に染めたいという気持ちが強いからな。しかし、奴も本気になった以上、どうしても遅れは取るだろう。まあ、内心では、その意趣返しに奴の正妻を奪うのもよいとも思っていたのだが、留守では仕方がないか」


 と、ゴドーは語り続ける。

 彼らが今いるのは、とある豪華な宿の一室だ。

 わざわざ《ディノ=バロウス教団》の総本山近くまで赴いたのだが、使者の話では盟主は不在とのこと。肩透かしもいいところだった。


「やはり、アポイントメントぐらいは取っておくべきでしたか」


 と、カルロスが呟く。ゴドーは「そうは言ってもな」と渋面を浮かべた。


「歴代の盟主殿は、大抵は総本山に居たものだしな。総本山に入れたことは俺も代々の《黒陽》も一度もないが、こちらから出向けば別の場所で目通りぐらいは出来たものだ。まさか、総本山から盟主が気軽に出かけているとは思わんだろう」


「……そうですね」


 カルロスも渋面を浮かべた。

《ディノ=バロウス教団》の盟主は総本山に束縛されている。

 そんな思い込みがあったのは事実だ。


「いかがなされますか。社長。使者殿の話ではいつ戻ってくるか分からないようですし」


「そうだな」


 ゴドーはあごに手をやった。


「俺とて暇ではないからな。ここは出直した方がいいかもな」


 と、呟いた時だった。


【……ほう】


 不意に、ランドネフィアが呟いた。ゴドーが、カルロスに視線を向ける。


「どうした? ランド」


【……いや。これは珍しい来客だぞ。ゴドー】


「……なに?」


 ゴドーは眉根を寄せた。カルロスも自分の胸に手を当てて眉をしかめている。と、

 ――ピシリ、と。

 唐突に、空間に亀裂が入った。

 目を剥くカルロスをよそに、空間からは、がのそりと出てきた。

 ゴドーは「ほう。確かに珍客だ」と呟く。


「な、何だこれは……」


 一方、カルロスは息を呑む。

 突如、割れた空間。そこから出てきたのは人型のであった。

 身長は二セージルほどか。

 極端な撫で肩――正確に言えば、極端に肩の筋肉が発達しているため、山型になっているようだ。他の筋肉密度も異常なのが分かる。加え、異様に長い両腕。よく見れば、腕の関節が一つ多い。両足も太い腿のせいか、獣のようにひしゃげているように見える。背中に小さな蝙蝠のような翼まで持っていた。


 その上、頭部は筒だった。筒のようではなく筒なのだ。

 何やら星がまばらに散らばる黒い液体で満たされた透明な太い筒だ。


 一応人型ではあるが、間違いなく人間ではない。

 だが、それでも辛うじて人のように見えるのは身に纏う黒いタキシードと、筒にすっぽりと被されたシルクハットのおかげか。よく見れば、棟元には紅い蝶ネクタイまでつけている。右手には書類らしきものも持っていた。

 カルロスは一瞬、唖然としたが、すぐさま儀礼剣を抜き放ち、ゴドーの前に立った。


「……何者だ。貴様は」


 鋭い声でそう告げるが、


「ああ、落ち着け。カルロス」


 主君であるゴドーがカルロスを諫めた。


「そいつはお前の同胞だ。敵ではない」


「……え?」


 思わずカルロスはゴドーに視線を向けた。すると、ゴドーは大仰に肩を竦めた。


「本当に珍しいな」


 そして怪物に告げる。


「お前が本社の本部長室から出てくるとは。《冥妖星》オルドス=ゾーグ」


「―――なッ!?」


 カルロスは目を剥いた。


「《冥妖星》!? まさか本社の本部長の!?」


【ああ。その通りだ】


 愕然とするカルロスに答えたのは、ランドネフィアだった。


【我らと同じ《九妖星》の一角だ。本社では『特殊情報管理室』という特殊な部門の室長も担っている。というよりも、本部長としての仕事は一切せずそこに籠っているな。《九妖星》となって日が浅いお前でも知っているだろう。引きこもり本部長の噂は】


「そ、それは知っているが……」


 カルロスは困惑した顔でゴドーが《冥妖星》と呼んだ怪物を見つめた。

 本社を支える三人の本部長。言わば、《九妖星》の上位者達だ。ただ、その一角である《冥妖星》は滅多に姿を見せないことで有名だった。

 そのため、付いたあだ名が『引きこもり本部長』。あまりに表に出てこないので、すでにリストラされているのではないかとまで噂される本部長だった。


(……おい。ランド)


 カルロスは心の裡に語りかける。


(引きこもり以前に、あれはどう見ても人間じゃないだろう?)


【まあ、俺が言うのもなんだが、確かにな】


 ランドネフィアが苦笑を零す。


【奴は俺と同類だ。俺とはまた異なる世界の存在。異界渡りの果てに、ステラクラウンへと流れ着いた来訪者。異界の魔神だ】


(い、異界の魔神だと……)


 カルロスは、喉を鳴らした。

《冥妖星》が異形であることも合わさって流石に恐怖を覚えていると、


「〈お初にお目にかかるのである。若き《土妖星》よ〉」


 怪物が話しかけてきた。

 機械のような声。しかし、カルロスが驚いたのは、話すと同時に《冥妖星》の頭部(?)の筒に、台詞と同じ光の文字が浮かび上がったことだ。


「え、あ、はい。《冥妖星》殿」


 とりあえず、カルロスは挨拶をした。

 少なくとも、この怪物は言語が通じるようだ。


「〈小生の名はオルドス=ゾーグ。気軽にオルドスと呼んで欲しいのである〉」


 言って、握手まで求めてくる。

 本部長に握手を求められて断る訳にもいかない。カルロスはオルドスの手を取った。手の甲は猿のような体毛に覆われているが、体温をほとんど感じない。まるで鉄の塊でも掴んだような感触だ。

 その様子を見て、ゴドーは苦笑を浮かべた。


「親睦を深めるのは良いことだが、オルドス。俺に何か用があるのではないか?」


「〈うむ。そうであった〉」


 言って、オルドスは手に持っていた書類をゴドーに渡した。


「〈前回の星系会議で渡しそびれたものである。我が金糸雀達が紡いだ歌である〉」


「お前な。今頃渡すなよ。遅すぎるぞ」


 ゴドーは渋面を浮かべつつも書類の束を受け取った。

 そして、それを順に目を通していく。

 一方、カルロスは再びランドネフィアに尋ねていた。


(……ランド。歌とは何だ?)


【『特殊情報管理室』の成果物だ。未来の事柄について詩的に書かれたものだ】


 カルロスは目を剥いた。


(未来の事柄だと! あの化け物は未来視の能力を持っているのか!)


【いや。確かに未来視の能力ではあるが、オルドスの能力と呼ぶには微妙だな。奴の予見は協力者が必要だからな】


(協力者……?)


【ああ。奴は予見の際、まずは人間の娘と交わう】


(……は?)


【そして、その人間の娘が絶頂に至った時、娘の口から、オルドスにしか理解できない歌が紡がれるのだ】


(え? いや、ちょっと待って。ランドさん?)


【ちなみに予見は100%当たるのだが、予見の内容は紡がれるまで一切分からん。内容も幅広く、その予見がいつ起こるかも不明だ。過去には、どこぞの村の老夫婦に長男が生まれたとかもあったぞ】


(いや、予見の内容はどうでもいい! それより交わうって何だ!?)


 カルロスは愕然とオルドスの姿を見た。何度見ても人とはかけ離れた姿の怪物だ。


【ん? 言葉の意味が伝わらなかったのか? 生殖行為のことだが?】


 ランドネフィアは言葉を続ける。


【『特殊情報管理室』は現在、二十二人で構成されるが、全員が二十代後半以下の若い女性社員だ。その娘達全員が奴の金糸雀――女なのだ】


(何だそれ!?)


 カルロスは、思わず叫びかねないほど仰天した。

 一方、ランドネフィアは冷静そのものだ。


【ゴドーが言うところの、まさに『ハーレム』というやつだな。人数においてはゴドーさえも凌ぐほどだ。しかも一度『特殊情報管理室』に配属された女は、断固として部署替えを拒むそうだぞ。どうやらオルドスの奴は相当モテるようだな】


(いや、絶対それ、悪魔的な力か何かだろ!?)


 と、心の中でカルロスがツッコんだその時だった。


「ほう」


 おもむろに、ゴドーの呟きが部屋に響く。

 ゴドーの視線は、ずっと書類に落ちたままだ。


「何だ。オルドス。お前、これからあの国に行くつもりなのか」


「〈うむ! そうである!〉」


 オルドスが頷いた。


「〈遂に小生の花嫁を迎える時が来たのである!〉」


「ほほう。女に会いに行くのか」ゴドーは顔を上げて笑った。「だから、普段は裸族のお前がめかしこんでいる訳だな」


「〈小生とて出かける際にはめかしこむのである〉」


(……おい。ランド)


 カルロスは、再びランドネフィアに語りかける。


(あの引きこもり円筒魔神、花嫁とか言い出したぞ。生贄――コホン。慕ってくれる部下が二十二人もいるのだろう?)


【まあ、よほど気に入った美女でも見つけたのだろう。人の美醜は俺にはいまいちよく分からんが、オルドスの美的感覚はお前達と同じようだからな】


(……あそこまで姿が違うのにか?)


 カルロスは冷や汗を流す。と、


「――なにッ!?」


 いきなりゴドーが立ち上がった。

 両手で握った書類を凝視して震えていた。


「……社長?」


 カルロスは表情を引き締めた。

 もしや、予見とやらに重要なことが記載されていたのか?

 そう思っていると、


「おいおい、この歌はマジなんだな、オルドスよ!」


 ゴドーは、オルドスに向けて一枚の紙を突き出した。


「〈我が愛しき金糸雀達の歌は、外れたことがないのである〉」


 と、オルドスは歌を一瞥しつつ、自慢げに答える。

 すると、ゴドーは「ぐふふっ」と邪悪な笑みを浮かべた。

 そして――。


「よし! オルドス! 今すぐ《道》を繋げ!」


 書類を投げ捨て、前方に指を差すゴドー。


「〈……? 了解である〉」


 唐突な命令だが、相手は社長だ。オルドスは言われるがままに《道》を繋げた。

 虚空に亀裂が奔り、星に満ちた空間が開かれる。


「ではカルロス! 俺はちょっと行ってくるぞ!」


 そう言って、ゴドーは、オルドスが空けた空間に飛び込んだ。

 オルドスは少しばかり困惑した様子だったが、ゴドーの後に続いた。

 その後、空間は、数秒も経たずに消える。


「え、しゃ、ちょう?」


 カルロスは唖然とした。

 そして一拍の間をおいて。


「社長ッ!? どこにッ!?」


 愕然とした声を上げるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る