エピローグ

第379話 エピローグ

 ――その日。

 アッシュは、珍しく一人で喫茶店にいた。

 丸いテーブルが点在するシックな感じの店。

 コーヒーとケーキが美味いということで結構な人気店なのだが、今は平日の昼過ぎ。客の姿もほとんどない。


 アッシュは熱いコーヒーを堪能しながら、待ち人の到来を待っていた。

 すると、不意に店のドアが開かれた。

 アッシュと店主が目をやる。

 そこにいたのは、黒髪の少年だった。

 異国の騎士学校の制服を着た少年。

 アッシュの弟であるコウタだ。

 コウタは、アッシュを見つけると破顔した。


「ごめん。待った? 兄さん」


「いや、そんなに待ってねえよ」


 アッシュも笑う。

 コウタは、アッシュと同じテーブルに着いた。

 それから、ウェイトレスにアッシュと同じコーヒーを注文した。


「……ん?」


 その時、アッシュは首を傾げた。


「どうした? コウタ? 何か随分と疲れてねえか?」


「う、うん。色々あって」


 そう言って、コウタは溜息をついた。


「その、彼女のことで、もの凄く怒られて」


「……彼女? メルティア嬢ちゃんのことか?」


「い、や、それは……」


 コウタは、気まずげな様子で口ごもった。


「そ、その、それも後で話すよ」


「??? おう。そっか」


 アッシュは、コーヒーを一口飲んで頷く。

 時間ならある。後で話すというのならいいだろう。


「けど」


 今度は、コウタが首を傾げた。


「その、ユーリィさんって今日のこと、許してくれたの?」


 そこで、気まずげに頬をかいた。


「ボクって、少し彼女に嫌われているような気がするし」


 今日の待ち合わせは、本当に久しぶりの、兄弟水入らずの会合だった。

 再会してから、初めてのことである。


「……まあ、それはそれで色々あってな」


 アッシュは苦笑を浮かべた。


「けど、もう大丈夫だ。ユーリィはお前を嫌ってなんかいねえよ」


「……うん。そっか」


 コウタは胸を撫で下ろした。


「それは良かったよ」


 ははっと笑う。

 アッシュも「ああ。まったくだ」と苦笑を浮かべた。

 そうこうしている内に、コウタの分のコーヒーも運ばれてくる。

 それから、二人はしばし、些細な談笑を交わしていた。

 話すのは互いの近況。

 久しぶりの兄弟だけの会話だった。

 だが、これは今日の本題ではなかった。

 コーヒーを完全に飲み干して、しばらく経った頃。


(……さて)


 ようやく、アッシュは本題に入る決意をした。


「……コウタ」


 弟の名を、ポツリと呼ぶ。

 コウタも兄の様子が変わったことに気付いたのだろう。

 真剣な眼差しを、アッシュに向けた。


「これから話すぞ。クライン村のことを。あの日、何があったのか。俺の髪の色が変わったこと。そして……サクヤのことも」


 そう切り出して、アッシュは淡々と語り始めた。


 レオス=ボーダーが率いる《黒陽社》に滅ぼされた故郷。

 奴らの狙いは《金色の星神》だったサクヤの拉致にあったこと。

 サクヤと共に逃げたが、力及ばず殺されたこと。

 そして、最期の時に抱いてしまった愚かな《願い》。

 それを叶えたために、サクヤがどうなってしまったかも。


 それからの日々も。

 オトハとの出会い。ユーリィとの出会い。

 傭兵を経て、皇国の騎士となり、その後もサクヤを追って――。


 そうして、彼女を殺した。


 アッシュは、そのすべてを弟に語った。

 コウタが、サクヤによく懐いていたことは知っている。

 ここで弟に恨まれても仕方がない。

 それほどの覚悟で、アッシュは語った。


 しかし、弟は――。


「……違う。違うんだ。兄さん」


 今にも泣きだしそうな顔でかぶりを振った。


「……違わねえよ」


 アッシュは、瞳を閉じて呟く。


「俺はサクヤを守れなかった。そしてあいつを殺したんだ」


 ――それは、紛れもない事実だった。

 彼女を追い続け、挑み、幾度となく敗れた。

 死にかけたことは一度や二度ではない。

 それでも彼女を追った。


 たとえ殺してでも、この手で彼女を止める。

 それだけが償いだと思った。


 とても、とても長い日々だった。

 自分を、相棒を極限まで鍛え上げた。

 そうやって、ようやく彼女の元に辿り着いたのだ。


(……サクヤ)


 彼女の笑みが、胸の奥を灼きつける。

 ――最期。

 アッシュの腕の中で、彼女は光となって消えていった。


「あいつ、あの時、笑ってたんだ」


 最期の最期まで。

 彼女はアッシュのことを気遣っていた。

 自分は、何もしてやれなかったというのに。


「……兄さん」


 コウタは、ギュッと拳を固めた。


「違うんだ。兄さん」


「いや。コウタ。俺は――」


 アッシュが口を開こうとしたら、コウタは再びかぶりを振った。


「違うよ。兄さん。兄さんの言っていることを否定している訳じゃないんだ。ただ、その話はまだ続いているんだ」


「………?」


 アッシュは眉をひそめた。


「どういうことだ? コウタ?」


 コウタは、グッと唇を噛んで続ける。


「ボクがこのアティス国にやって来たのは、ある人が、兄さんがここにいるって教えてくれたからなんだ」


「いや、それはミランシャか、シャルなんじゃ……」


「違うよ」コウタは首を振った。


「二人は、つい最近までボクが兄さんの弟だって知らなかった。ボク達が兄弟だってこともその人が二人に教えたんだ」


「……おい。コウタ」


 アッシュは、少し面持ちを鋭くした。


「お前、何が言いたいんだ? そもそも誰なんだ? お前が言うある人ってのは?」


「それは……」


 率直に問われて、コウタは言葉を詰まらせる。

 が、ややあってグッと拳を固めた。

 覚悟を決めたのだ。


「……トウヤ兄さん」


 そして、コウタは告げる。

 とても真剣な眼差しで。


「兄さんのことをボクに教えてくれたのは姉さんなんだよ。そう。生きているんだ。サクヤ姉さんは今も生きているんだよ」





第12部〈了〉



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