第376話 小鳥は羽ばたく④

(さて。どうする気ですか? クラインさん)


 ボルドは笑っていた。

 ――この日のために編み出した《無音無響》。

 視覚と聴覚。さらには気配に至るまで。

 完全に存在を隠匿する闘技だ。

 その上、隠匿のために展開する恒力の膜は強力な防御壁も兼ねている。仮に全方位攻撃を受けても、容易くは破られない特徴もある。


 ただ、欠点が二つ。

 前後という持続時間の短さと、隠匿中は他の闘技が使用できないことだ。


(持続時間を探っていたようですが、甘いですよ。クラインさん)


 ボルドは目を細めてほくそ笑む。

 先程までの攻防。

 恐らく、探られていた。

 だからこそ、あえて持続時間を短く見せたのだ。


(申し訳ありませんが、逆手に取らせていただきましたよ。その上であなたがどう動くか見せてもらいましょう)


 仮に持続時間を誤認したままの策ならば、致命的な隙を生み出せる。

 そうでなくても、一度限りなら不意打ちが可能だ。

 その一撃をいつ実行すべきか。

 それを見極めるためにも、まずは相手の出方を見るべきだった。

 そして――。

 ――ズガンッッ!

 雷音が轟く。

 真紅の鬼が《雷歩》で跳躍したのだ。

 その動きは、ほとんど目視できない。ボルドはもはや直感だけで回避した。

 烈風が、《地妖星》がいた場所に吹き抜ける。


(相変わらずの速さ。恐ろしいことです。ですが!)


 この暴威に対抗するための《無音無響》だ。

《地妖星》は姿を消した。

 音も、気配さえも完全に消す。

 後は《朱天》が隙を見せるのを待つだけなのだが――。


(………は?)


 ボルドは、唖然とする。

 何故なら《朱天》の姿を見失ったからだ。

 ――いや、正確には姿だけが見えないのだ。

 広場では次々と雷音が轟いている。

 まるで雷雨のごとくだ。

 轟音が響く度に、地表が砕け散る。


(ま、まさか)


 ボルドは息を呑んだ。


(一切止まらないつもりなのですか!)


 雷音は《雷歩》を使用している証だ。

 信じがたいごとに、《朱天》は見えないほどの速度で動き続けているのだ。

 何という力業か。

 流石に、ボルドも茫然とした。

 と、そうこうしている内に、隠匿の効果が切れてしまった。

 直後、

 ――ズドンッ!

 凄まじく重い拳が、《地妖星》の肩を殴打する。

《地妖星》の巨体が吹き飛んだ。


(――くッ!)


 ボルドは、すぐさま《無音無響》を使う。

 追撃は来ない。だが……。


(……クラインさん)


 渋面を浮かべる。

 雷音は、一向に鳴り止まない。

 広場の至る場所で、今も不可視の落雷が続いていた。

 これでは、迂闊に動くことも出来なかった。

 そうして再び訪れるタイムリミット。

《地妖星》の姿が空間に浮き出る――その瞬間、衝撃が襲い掛かってきた。


『……ぐッ!』


 ボルドが呻き、再び《地妖星》は吹き飛ばされた。

 地面にバウンドして一回転。

 このままでは猛攻に晒される。《地妖星》は態勢を整えつつ姿を消した。


(やってくれますね。クラインさん)


 放電のように駆け抜ける真紅の鬼。

 下手に動けば、打ち砕かれる。

 もはや、雷雲の中にでも放り込まれたようなものである。

 こうなっては、不意打ちなど不可能だった。


(《無音無響》はもう使えませんね。仕方ありません)


 ボルドは嘆息した。

 そして――。


『……クラインさん』


 疾走する雷に呼びかける。


『かくれんぼや、鬼ごっこはここまでにしませんか?』


 すると、


『へえ……』


 雷音が止み、陽炎を纏う真紅の鬼が現れる。


『折角の新技だろ? もう止めか?』


『ええ。編み出すのには苦労したのですが』


 ボルトは苦笑を零す。


『ここを平地にされた時点でアウトでしたね。今日はもう使えないでしょう。ですので』


 景色が歪み、《地妖星》も姿を現す。


『今回は私の切り札を以て、相対させていただきますよ』


『へえ。切り札か』


 アッシュは、興味深そうに呟く。


『おっさんとは何度もやりあったが、切り札を見んのは初めてだな』


『ええ。まあ、少々使いにくい闘技ですから』


 ボルドがそう告げると、《地妖星》が戦鎚を天に掲げた。

 次いで、おもむろに地面に振り下ろす。

 ――ガゴンッ!

 大地に深々と食い込む戦鎚。それを《地妖星》は引き抜いた。

 食い込んだ大量の土塊ごと。


『……おい。まさか、それを投げるつもりか?』


『当たらずも遠からずですね』


 ボルドは、皮肉げな笑みで答えた。

 途端、戦鎚の先の直径五セージルはある土塊が振動し始めた。

 アッシュが、眉根を寄せる。

 すると、

 ――ギュン、と。

 土塊が圧縮された。それは二度、三度と繰り返される。その度に土塊は一回り以上、小さくなっていった。

 しかし、それだけでは終わらない。

 圧縮は戦鎚と、《地妖星》の右腕までを巻き込んで行われたのだ。


『この闘技は、使う度に武器と右腕を失うんですよ』


 と、ボルドは自嘲気味な声で告げた。

 そして右腕まで犠牲にして生まれた黒い『玉』が《地妖星》の左手の上に留まった。


『この闘技のことは《奉天玉》と呼んでいます』


 ボルドは告げる。


『操作系の闘技。見ての通り、物質を極限まで圧縮した『玉』です』


『……そいつを撃ち出すってか?』


 アッシュがそう尋ねると、ボルドが『ええ。そうですよ』と答えた。


『単純な闘技でしょう? ですが、《地妖星》の恒力で撃ち出した時の《奉天玉》の威力は桁違いです。城壁だろうがぽっかりと穴を開けますよ』


 そして、ボルドは、笑みを湛えて尋ねてきた。


『どうですか? 力比べと行きませんか?』


 それに対し、アッシュはふんと笑みを零した。


『俺の《朱天》相手にか? 舐められたもんだな』


 ――ズシンッ!

 と、《朱天》が竜尾で地を叩いた。

 次いで、右の拳を腰だめに構えた。左掌は狙いを定めるように前に突き出す。


『いいぜ』


 アッシュは、笑った。


『てめえに、そのまま打ち返してやるよ』


『怖いですね。ですが』


 ズン、と前足を踏み込み、《地妖星》は砲台のように左腕を突き出した。

 掌の先には、《奉天玉》が掲げられている。


『容易い技ではありませんよ。芯で捉えなければ打ち返すことなど不可能です』


『逆に言えば、芯さえ捉えたら打ち返せるってことだろ』


 アッシュがそう嘯くと、《朱天》の赤い発光がさらに輝いた。

 真紅の拳――《虚空》もまた輝きを増す。


『もう問答もいいだろ?』


 アッシュは告げる。


『来な。今日、ここで因縁の決着をつけてやる』


『そうですか。では』


 ボルドは沈黙した。

 静かに対峙する二機。

 そして――。

 本当に。

 本当に、何の所作もなく《地妖星》は《奉天玉》を撃ち出した。

 ――ギュンッ!

 黒い球体が唸りを上げる。

 その速度は、砲撃も真っ青なほどである。

 そこには、フェイントも何もない。

 気付いた時には、攻撃が終わっている。

 限りなく無拍子に近い一撃だった。

 だが、それを驚くべきことに、《朱天》は拳で打ち付けたのである。

 ――ズンッッ!

 重い音が響く。同時に《朱天》の両足が地面にめり込んだ。

 拳に衝突した《奉天玉》の軌道が変わる様子はない。

 ――それは、真紅の拳が《奉天玉》の真芯を捉えている証だった。


(これは参りましたね)


 愛機の中で、ボルドは苦笑を浮かべた。

 実際のところ、この勝負は力比べではない。

 事前に、二人が宣言した通りだ。

 超高速で撃ち出された《奉天玉》の芯を捉えられるかどうか。

 それこそが、勝負の肝なのである。

 そして捉えた後は、もう結果は見えている。


(ここまでですか)


 ボルドは、目を閉じた。

 その一瞬後だった。

 まるで時間でも巻き戻すように、《奉天玉》が打ち返されたのは。

 漆黒の玉は、真っ直ぐ《地妖星》に向かった。

 時間にして一秒にも満たない。《奉天玉》を撃ち出すのに全力を尽くした《地妖星》には回避するだけの余力はなかった。

 ――が、その時だった。


『――させるものか!』


 突如、割って入る者が現れたのだ。

 それは、真紅の機体――《羅刹》だった。

《羅刹》は右腕を《奉天玉》の弾道に割り込ませた。しかし、当然、受け止めることは出来ない。右腕はひしゃげて砕け散り、《奉天玉》は肩にまで直撃する。

 黒い玉は唸りを上げて《羅刹》の胸部装甲まで抉るように吹き飛ばす。操縦席にいた亜麻色の長い髪の女性の姿が露になった。

 だが、そのおかげで、《奉天玉》の弾道は大きく反れた。

 女性は、《地妖星》に向かって叫ぶ!


「――ボルドさま!」


『……ッ!』


 ボルドは、彼女の狙いを瞬時に悟った。

 そして彼女の体を《地妖星》に掴ませると、その場から跳躍する。

 その直後のことだ。

 ――ゴウンッ!

 衝撃が広場に奔る。それは《羅刹》の自爆だった。

 真紅の炎が、空を焦がす。


(……おいおい)


 それに対し、《朱天》は右腕を盾のようにかざして炎の柱を見据えていた。

 カテリーナ=ハリス。

 まさか、ここで出てこようとは……。

 いざという時の、撤退のために潜んでいたのか?


(まあ、いずれによ)


「……アッシュ」


 その時、今までずっと沈黙していたユーリィが尋ねる。


「終わったの?」


「……ああ。そうだな」


 アッシュは周囲を見渡した。

 すでに《地妖星》の姿はどこにもない。

 爆発と爆炎を隠れ蓑にして、逃走したようだ。


「もう終わりみてえだ」


 アッシュはそう答えてから、「ユーリィ。前においで」と告げる。

 ユーリィは「うん」と頷いて、アッシュの脇から前へと移動した。同時にアッシュは少し後ろに下がり、ユーリィのスペースを確保する。

 そうして、二人は正面から顔を合わせる。

 ユーリィの額には、少し汗をかいた跡があった。顔には疲労の色も見せる。アッシュはユーリィの髪に、そっと両手で触れた。


「悪いな。やっぱ高速移動の連続はかなりきつかったか」


 子猫を宥めるように、優しく語りかける。


「ううん、大丈夫」


 微かに頬を染めつつ、ユーリィはかぶりを振った。


「私はアッシュの望むことなら、どんなことでも頑張る」


「はは、ありがとよ。けどまあ……」


 アッシュは、視線を前方に向けた。

 そこでは盛大な炎と、黒煙が濛々と舞い上がっていた。


「今回も決着つかずか。まあ、それは仕方がないとしても」


 そこで一拍おいて、アッシュは呆れるように呟くのであった。


「カテリーナ=ハリス。あいつって、本当に爆発が好きな女だよなあ」

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