第341話 真なる《悪竜》④
(本当に強いな)
オトハは、心から感心していた。
アッシュの弟。
コウタ=ヒラサカ。
《九妖星》との戦闘実績を持つという少年。
並みの実力ではないと思っていたが、これほどとは――。
あの《悪竜》がごとき機体の性能も合わせて、想像を超えるものだった。
(だがな、コウタ少年)
オトハは、ふっと笑う。
(私を女にした男は、君の兄の力はその程度ではないぞ)
この戦闘は、想いを伝える戦いだ。
あの少年が、今日までずっと培ってきたもの。
そのすべてを、兄に伝えるための――。
(不器用な兄弟だな)
オトハは微笑む。
容姿はあまり似ていないのに、本質はとてもよく似ている。
何となくだが、あの少年もとんでもなくモテるのだろうな、と思った。
(まあ、それはいいか)
彼女は、瞳を細める。
そして――。
「今は存分に戦え。二人とも」
オトハは、再び微笑んだ。
◆
――剛拳が唸る。
悪竜の騎士は咄嗟に処刑刀の腹で受け止めるが、威力を殺せない。
剣を軋ませて吹き飛び、両足で地面を削った。
『……ぐうッ!』
零れ落ちる少年の呻き声。
悪竜の騎士は、すぐさま体勢を整えようとする――が、
『――逃がさねえ!』
アッシュは、そこまで甘くない。
《朱天》は掌底を繰り出した。
同時に撃ち出される恒力の塊――《穿風》は、悪竜の騎士の装甲を打ち付けた。
全身の炎を激しく揺らして、吹き飛ばされる悪竜の騎士。
この好機に、《朱天》は《雷歩》で加速。
一瞬で追いつくと、横殴りの拳を繰り出した。
――ズドンッ!
重い拳が直撃。だが、それは処刑刀に、だ。
悪竜の騎士は吹き飛ばされた不利な体勢であっても、防御を間に合わせてみせたのだ。
だが、芯をぶち抜く威力は凄まじい。
今度は横に大きく吹き飛ばされた悪竜の騎士は、どうにか空中で反転、両足で着地すると火線を引き、左手も地に突き立ててようやく威力を抑え込んだ。
『どうした?』
――ズシン、と。
《朱天》が、竜尾を揺らして歩み寄ってくる。
『少しバテて来たか?』
そう告げるアッシュの声には、疲れの色は一切ない。
『……相変わらず』
一方、若干息を切らせた少年が言う。
『全然バテないんですね。昔から思ってたけど、本当に凄いや』
『まあ、俺も色々あって、今も鍛えてるからな』
アッシュは、ふっと笑う。
その台詞にオトハが「いや、少しぐらいはバテろ。体力バカめ」と、少し頬を染めて呟いているが、アッシュにまでは聞こえない。
『そうですか。けど』
少年は言葉を続ける。
『ボクも、このまま負けるつもりはありませんので』
そう宣言するなり、悪竜の騎士は地を駆けた!
――いや、地を滑走した。
《天架》を使用したのだ。音もなく滑走する悪竜の騎士は、瞬時に《朱天》との間合いを詰めた。が、すでに《朱天》はカウンターの拳を固めている。
『――ふッ!』
だが、その事自体は、少年も読んでいたのだろう。
小さな呼気を吐き出すと、悪竜の騎士は地面を強く蹴り付けた。
途端、雷音が轟く。
――《雷歩》を《朱天》の目の前で使用したのである。
地面がひび割れ、土煙が二機の影を覆い尽くす。簡易の煙幕だ。
(何をする気だ)
すぐさま体勢を整え直して、アッシュが眼光を鋭くする。
唐突の煙幕。
考えられるのは逃走か、不意打ちだ。
だが、恐らくそんな真似はしない。
この煙幕は、何かの準備――すなわち、切り札を使うための目眩ましと見た。
アッシュは最大級の警戒をし、《朱天》の両拳に恒力を収束させた。
そして――。
『アッシュ=クラインさん』
土煙が徐々に晴れると共に少年が、告げる。
『これが、今のボクの切り札です』
――ズシン、と。
悪竜の騎士が、姿を現わす。
その姿を見て、アッシュは目を瞠った。
悪竜の騎士の全身からは、炎が消えていた。
ただ、その代わりに。
竜頭の籠手を持つ右腕が、赤く、赤く染まっていたのだ。
周辺の景色さえ歪める、その真紅の光は、まさか――。
(――《朱焰》だとッ!?)
過剰な恒力による機体の高熱化。
片腕だけという違いはあるが、《朱天》の切り札と同じ発光現象だった。
悪竜の騎士は、ゆらりと右腕を掲げた。
(――ッ!)
アッシュの背筋に悪寒が走る。
主人の危機感に、《朱天》は瞬時に応えた。
悪竜の騎士に近い左腕を突き出した。
迎え撃つのは《十盾裂破》。十枚の盾を連続で叩きつける構築系闘技だ。
その威力は《穿風》の比ではない。
ひと度放てば、皇国の上級騎士の機体さえ容易く圧壊する威力だ。
自身の闘技の中でも最強に次ぐ技。それを繰り出した。
――だが。
『――《残影虚心・
技の発動と同時に、少年は、厳かにその闘技の名を呟いた。
そして、まるで空間を軋ませるような音が響く。
――ギイイイイイイイイィッッ!
《朱天》の左腕を中心に、怪音は続く。
それは五秒か、十秒か。
ようやく怪音が収まった時、アッシュは愕然とした表情で《朱天》の左腕を見た。
愛機の左腕は、肘辺りまで無残に切り刻まれていた。
まるで、魔竜のアギトにでも、食らいつかれたかのような損傷である。
――《十盾裂破》を放ったはずの腕が、この姿だ。
『《残影虚心・顎門》』
少年が再び、闘技の名を告げた。
『二十四回の斬撃を瞬時に繰り出すボクの切り札です。だけど……』
バキンッ……。
不意に何かが折れる音。
そしてズズン、と重い落下音。
悪竜の騎士の処刑刀が、半ばから折れた音だ。
『《木妖星》の装甲を半分近く食い破った技なのに、剣を折られた上に、完全には腕を落とせないなんて……』
少年が、無念そうに呟いた。
アッシュは、改めて目を瞬かせた。
まさか、《十盾裂破》が破られるとは――。
と、その時だった。
「ここまでのようだな」
不意に響く女性の声。
ゆっくりと二機に近づく、オトハの声だった。
「片方は剣を。片方は左腕を失った。仕合はここまでだな」
『……そうですね』
全力を出し切った少年が、同意する。
彼は、まさしくすべてをアッシュに伝えていた。
もうこれ以上、戦闘を続ける理由がなかった。
だが、
『いや。待てオト』
「……? どうした? クライン?」
オトハが小首を傾げる。
『まだだ。まだ決着はついてねえ』
「クライン?」
オトハは、目を剥いた。
少年の方も『……え?』と呟いている。
「何を言ってるんだ、クライン」オトハが眉をひそめて告げる。「もう充分だろう。この戦いの趣旨は、お前だって分かっているんだろう?」
『分かってるよ。けど、少し「欲」が出た』
「……『欲』?」
オトハが眉をひそめる。と、
『見るのは、「今日までのこと」だけのつもりだった。けど、ここまで出来るとは思っていなかった。だから、見てみたくなったんだ』
アッシュは、悪竜の騎士を――その中にいる弟を幻視した。
直後、《朱天》のアギトが大きく開いた。
次いで、四本の紅い角に鬼火が灯る。オトハ達が目を丸くする中、《朱天》の姿は真紅へと変わっていった。
グウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ――!!
咆哮を上げる《朱天》。
過去、《朱天》は、主人であるアッシュの感情に呼応して咆哮を上げた。
時には怒り。時には憎しみ。時には哀しみもあった。
だが、今日の咆哮は違った。
アッシュの胸中にあるのは、強い喜びだ。
それは、《朱天》にとって、初めてとなる歓喜の咆哮であった。
――嗚呼、幼かった弟はここまで強くなった。
だからこそ、見てみたい。
弟の未来を。
純粋に、そう思った。
オトハも悪竜の騎士も、ただ、呆然と真紅の鬼を見つめていた。
『お前のこれまでのことは充分に見せてもらった。はっきり伝わったよ。本当に、今日までずっと頑張って来たんだな。誇らしく思うぞ。だが』
目を細める。
『これから試すのはお前の未来だ。お前がどれほどの可能性を秘めているのか。俺にそれを見せてみろ。――そう。今ここで』
アッシュは、告げる。
『本気の俺を相手に、自分の限界を越えてみせろ』
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