第297話 似て非なるモノ②

 アッシュは沈黙していた。

 正直、そう切り出される気はしていた。

 聞いた限り、ライクの村はかなり危機的な状況にあるようだ。一刻も早く傭兵団を見つけたいのがライクの本音だろう。

 そして今、この街で依頼を受けてくれる可能性があるのがアッシュだけだった。

 ならばこの交渉は当然の流れだった。


(しかしなあ……)


 腕を組む。

 個人的には引き受けてやってもいい。アッシュも小さな村の出身だった。村を心配するライクの気持ちには共感できる。近くに魔獣が居るなど気が気でない。

 この街には休養を取るつもりで訪れたが、別にそれに拘る必要性もなかった。まず一仕事こなしてからゆっくりしても問題はないだろう。


「……ダメか? アッシュの兄ちゃん」


 と、ライクが不安そうに尋ねる。

 次いで、恐る恐るアッシュが躊躇う理由だと思える単語を口にした。


「やっぱ、《蜂鬼》ってのが問題なのか?」


「……まあな」


 一拍おいてアッシュは呟いた。


「あの傭兵ギルドのおっさんが断った一番の理由もそれだろうな。仲間の中には女傭兵もいたみたいだからな。それは俺にも当てはまるよ」


 そしてユーリィを一瞥する。


「女連れの傭兵は《蜂鬼》の討伐を嫌がるモンなんだよ」


「いや女って……」


 ライクは目をパチクリと瞬かせた。


「その子ってまだ十歳なんだろ? 女って呼べるような歳じゃあ……」


「いえ、彼女の年齢ならば標的にされる恐れがあります」


 と、声を挟んだのはシャルロットだった。


「過去の《蜂鬼》の犠牲者の年齢は九歳から二十九歳だったと聞きます。最悪の事態を考えるとクライン君が躊躇うのも仕方がありません」


「……シャル姉ちゃんも《蜂鬼》のことを知っているのか?」


 そう尋ねるライクにシャルロットは「はい」と頷き、


「私は騎士学校の卒業生ですから。講習で習いました」


 と、やり取りする二人を交互に見やり、アッシュはポリポリと頬をかいた。


「どうやら依頼を受けるか受けないかの前に、一度ライクに《蜂鬼》の説明をしていた方が良さそうだな」


「そうですね。知っていると知らないのではまるで違いますしね」


 と、シャルロットも同意する。ユーリィも「私も聞きたい」と告げた。

 ライクは真剣な面持ちでアッシュを見据えた。


「うん。お願いするよ。アッシュの兄ちゃん」


「ああ、分かったよ」


 アッシュは静かに頷いた。


「まず《蜂鬼》ってのは数いる魔獣の中でも小型に分類される種族だ。二百体前後で群れを成す習性を持っている。そしてその外見上の特徴は――」


 一拍おいて、


「人間にかなり似ている。特に顔の造り辺りがな。人間から見て個体差が区別できるぐらいにな。複眼以外は本当に人間そっくりな顔なんだよ。とは言え、体の方の特徴は二足歩行以外全然違う。極端ななで肩で手の中指はかぎ爪になっている。頭以外の体毛は人間よりもずっと濃い。そこら辺は猿の方が似ているな」


「……うん。それなら俺も見たよ」


 ライクが渋面を浮かべた。


「そもそも最初に奴らを見つけたのは俺なんだ。正直気持ち悪かったよ。体は猿だけど頭だけは人間。そんな姿だった。魔獣なら森の奥でたまに見かけたことはあったけど、あれは本当に気持ち悪い」


 ――まるで人間の成れの果て。

 奴らを初めて見た時、そう思ってしまった。

 人に似ているからこそ、より強い嫌悪感を抱いていた。


「けど、それでも他の魔獣に比べれば小型なんだろ? 数はいるけど戦闘用の鎧機兵なら問題ないはずだ。なんでここまで警戒されているんだ?」


「そうだな……」


 アッシュは溜息をつく。


「奴らの恐ろしさって人間に似ているところと、ところなんだよ」


「……それ、どういう意味だよ」


 と、ライクが眉根を寄せて尋ねる。アッシュは頭を振り、


「順に言うぞ。まず似ているところだが、奴らは恐ろしく知能が高いんだよ。それこそ群れ単位で戦術を駆使するレベルでだ。本能まかせの他の魔獣とは根本的に違う。奴らと戦うことは騎士団や傭兵団と戦うことに等しいんだ」


「要は、外見以上に中身の方がより似ているということです」


 と、補足するのはシャルロットだった。

 アッシュは「その通りだ」と頷く。


「そして次に似てないところだが、奴らには感情らしきものが一切ないんだよ」


「……感情がない?」ライクは首を傾げた。「いや、けどそれって他の魔獣もそうなんじゃないのか?」


「魔獣にだって感情はあるさ」アッシュは呆れたように返す「喜びも悲しみも怒りも持っているよ。けど、奴らにはそれがない」


 一拍おいて、


「奴らの名に《蜂》が入っている由縁さ。精神性において奴らは蟲なんだよ。仲間が死んでも何も感じない。怒りも抱かない。恐怖も持たない。あいつらの鎧機兵の仕留め方って知らねえだろ?」


 アッシュの問いかけにライクは首を縦に振って応えた。


「群がるんだよ。腕がもげようが首が取れようが十数体で群がり、巨体を支える膝を的確に破壊する。その後は胸部装甲の関節部ジョイントを壊して操縦席の操手を殺す。だがもしその時、操手が女だった場合は――」


 そこでアッシュは言葉を止めた。

 それからじっと聞き入っていたユーリィを一瞥し、


「ユーリィ。耳に蓋」


「うん。分かった」


 ユーリィは素直に頷き、両耳を手で塞いだ。

 次いでアッシュはシャルロットの方にも目をやるが、


「お構いなく。私はすでに知ってますから」


「ん。そっか」


 アッシュは静かに首肯すると、話を続けることにした。


「奴らの最悪な点、女連れの傭兵が嫌う理由が奴らの繁殖方法にあるんだよ」


「繁殖方法って……」


 その単語を聞いただけでライクは渋面を浮かべた。

 人間に似た外見。女連れは危険。その情報だけで嫌でも予想できる。


「まあ、多分いまお前も想像してると思うが……」


 アッシュは小さく嘆息した。


「奴らは繁殖に若い人間の女を使う。キモいことに生殖器や生殖行為まで人間に似ているらしい。奴らは人間の女は殺さず巣に連れ帰るんだよ。そして生殖する」


「…………」


 想像通りの内容にライクはますます渋い顔になった。

 ――が、続くアッシュの言葉は想像以上のものだった。


「さっきも言ったが生殖行為自体は人間とほぼ同じだ。だが、実態は子宮に卵を植え付ける行為らしくてな、奴らに犯された女は子供であっても確実に妊娠するそうだ。そしてだって話だ」


「よ、四日間!?」


 ライクは目を剥いた。幾ら何でも短すぎる期間だ。


「ああ、四日間だ。その間、母体は地獄の苦しみを味わうことになる。胎児に生命力を奪われ続けるからだ。若い女を選ぶのは出産まで生き延びてもらうためなんだ。母体はどんどん痩せ細り、反面、腹部だけは大きくなっていく。そうして四日後――」


 アッシュは眉間にしわを刻んで告げた。


「胎児は母体の腹を突き破って産まれてくるそうだ。そして最初にする食事は自分を産んだ者の肉らしい」


 ライクは言葉もなかった。すでに知識として知っているシャルロットも不快そうに眉根を寄せている。耳を塞ぐユーリィだけはキョトンとしていたが。


「これで分かっただろ。どうして奴らが避けられるのか」


 アッシュは嘆息して告げる。


「男ならまだいい。敗けても殺されるだけだ。奴らには嗜虐の感情もないから、あっさりと殺してくれるよ。だが女は違う。歪な人間もどきに穢され、地獄の苦しみを味あわされた上で喰い殺されるんだ。自分が死ぬことを前提に依頼を受ける傭兵はいねえが、万が一を考えると尻込みしちまうんだよ」


 その連れが大切な者であればあるほどにな。

 そう言って、アッシュは立ち上がるとユーリィを手招きした。

 ユーリィは「……なに? 灰色さん」と小首を傾げたが、トコトコと保護者の元に向かう。するとアッシュは優しい顔を見せて、おもむろに彼女を抱きあげた。

 唐突なことにユーリィは目を丸くしたが、昨日はお預けになった抱っこだ。わずかに口元を綻ばせてアッシュの首に抱きついた。


「正直、迷っている」


 アッシュは誰ともなしに呟く。


「俺は誰にも負けるつもりはねえし、殺されるつもりもねえ。まだ目的も果たしていないからな。そして俺にはユーリィに対する責任がある」


 言って、ユーリィの髪を撫でる。


「万が一ってのはあるもんだ。ましてや相手は人間並みに狡猾な魔獣だ。それが起きる可能性はきっと普段よりも高い」


 かと言って仕事中、ユーリィを誰かに預けるなど論外だ。

 彼女はとても特殊な素性を持つ。そのため今も昔も多くの者に狙われていた。もし預けるとしたらアッシュが心から信用する者だけだ。

 例えばかつて自分が所属していた傭兵団の団長。もしくは彼の娘である少女か。それぐらいの実力と信頼を抱く者にしか愛娘は預けられない。


「ユーリィを危険にさらしたくねえ」


 それがアッシュの本音だった。

 ライクもシャルロットも何も言えない。


「それは今さらだと思う」


 ――が、そんな中、唯一反論をしたのはユーリィ本人だった。

 ユーリィは肩に手を当て少しだけ離れると、アッシュの顔をじっと見つめた。


「危険なのはいつも同じ。私は危険を承知の上で灰色さんの傍にいる。なのに私のために灰色さんが助けたいと思っている人に手を差し伸べないのは間違っている」


 言ってパチパチとアッシュの頬を軽く叩く。


「灰色さんはライク君を助けてあげたいんでしょう?」


「う~ん、まあ、そうなんだが……」


「だったら迷わないで。万が一は起こらないから。だって――」


 そこで少女は優しく微笑んだ。


はとても強いから」


 そんなことを言う。

 そうしてまだ自覚しきれていない想いの片鱗を見せつつ、ユーリィは再度アッシュの首にぎゅうっと抱きついた。


「私は信じている。どんな時でも灰色さんが守ってくれるって」


「……はは、そっか」


 数瞬の沈黙後、アッシュは破顔した。


「分かったよ。ユーリィ」


 言って、ポンポンとユーリィの頭を叩いてから。


「ライク」


 アッシュはライクに向けて回答する。


「この依頼、受けさせてもらうよ。けど、まずは報酬の交渉をしてからだがな」


「あはは、そこはお手柔らかにお願いするよ。アッシュの兄ちゃん」


 言ってライクも笑うのだった。

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