第280話 夜宴③

 ズズゥン、と振動が響いた。

 同時に天井から土埃がパラパラと落ちてくる。

 簡易ランタンを片手に進むゴドーは一旦立ち止まった。次いで苦笑を零しつつ、肩にかかった土埃を払う。


「随分と派手にやっているようだな」


 遺跡の中を進んでそこそこ経つが、こんな奥まで戦闘の余波が届くとは。

 だが、《九妖星》と《七星》がぶつかり合えば当然の結果でもあるか……。


「……しまったな」


 ゴドーは少しだけ渋面を見せた。


「戦闘は遺跡から離れてしてくれと言っておくべきだったか」


 すでに観光名所をなってしまっているシルクディス遺跡だが、貴重な時代の遺産であることに何ら変わりはない。加えてこれほど古い遺跡も珍しいのだ。一人の神学者としてこの遺跡が破壊されることは忍びなかった。


「まったく。最近の若いのは視野が狭くていかんな」


 と、愚痴を零した。

 そして再び歩き出す。

 昼間は定期的に設置されたランタンで照らされていた通路も、今は観光客もいない深夜。灯は落とされており、日中とは違う不気味な道となっていた。

 しかし、ゴドーは臆することもなく進んでいく。

 むしろこの闇の深さこそが自分を祝福しているようにも思っていた。

 そうしてゴドーは目的地である大広間まで辿り着いた。

 と、その時、一際大きい振動が遺跡を揺らした。

 どうやら戦闘も佳境に至ったようだ。


「今のままではどう足掻いても《双金葬守》には勝てないだろうな」


 ゴドーは自分が進んできた通路を振り返った。

 面白みのない男ではあるが、その実力は紛れもなく本物だ。いかに『悪魔』ランドネフィアと《土妖星》の力を借り受けてもカルロスが勝利を掴み取るのは難しいだろう。勝利どころか《土妖星》を失ってしまう可能性の方が高い戦闘だ。


 だが、それでもゴドーはカルロスに《土妖星》を貸し与えた。

 何故ならば――。


「カルロス。お前にはまだ秘めたる想いがあるだろう?」


 神学者はそこでふっと笑う。

 それからカウボーイハットのつばに触れて嘯いた。


「ここがお前の正念場だぞ。心にある炎をすべて燃やせ。ガレックの奴が見込んだお前の真価を俺にも見せてくれ」



       ◆



 戦闘は終局へと向かっていた。

 やはり自力が違うのか、《土妖星》は終始、《朱天》に圧されていた。


「くそ!」


 カルロスが掌に汗をにじませて《土妖星》を動かす。

 百足達が蠢き、八つの腕と化して《朱天》に襲い掛かる!

 しかし《朱天》は大半の腕を《雷歩》の加速で回避し、回避不能の腕は《穿風》で打ち払った。衝撃で破壊されることまではなかったが、百足の群れは腕の形を維持できずにバラけてしまう。


「まだだ!」


 それでもカルロスは諦めない。無数にバラけた百足達を槍のように鋭くして《朱天》を串刺しにしようとする――が、


『甘いな』


 アッシュがそう呟き、《朱天》は全身から恒力を放出した。

 ――《黄道法》の放出系闘技・《天鎧装》。

 全方位に衝撃波を放ち、障壁とする防御の闘技だ。

 百足達は為す術なく迎撃され、後方へと弾き飛ばされた。そしてその余波は《土妖星》の巨体も揺らした。


「ぐ、ぐう!」


 カルロスは歯を軋ませて機体を立て直そうとするが、その前に射抜かれるような、さらに強い衝撃が《土妖星》に襲い掛かる! 

 バランスを崩したところに《穿風》の追撃を受けたのだ。

 機体が大きく振動して、ズズンと《土妖星》が片腕をついた。


(ここまで強いのか……)


 カルロスは冷たい汗を流した。

 今の自分の感覚はかつてないほどに研ぎ澄まされている。

 ランドネフィアとの『契約』により肉体の能力もまた極限まで強化されている。それに加え、操っているのは《黒陽社》における最強の機体の一機だ。


 だというのに、こうも一方的に圧されるとは――。


(これが《七星》。ガレックを殺した男か)


 ゴクリ、と喉を鳴らした。

 カルロスの双眸には悠然と近付いてくる《朱天》の姿が映った。

 消耗している様子もない。機体にも損傷はほとんどなかった。その証のように雄々しく竜尾を石畳に叩きつける。まさに王者の風格だ。


「……化け物め」


 そう呟かずにはいられなかった。

 と、その時、ズグンと心臓に激痛が走った。

 カルロスは小さく呻き、片手で胸を押さえた。

 もはや疑いようもないぐらい最初の頃よりも痛みが増している。

 タイムリミットはもう幾ばくもなかった。


「くそが! 俺はここまでなのか!」


 思わずそんな台詞が零れてしまうと、


【早々に泣き言か? カルロス】


 しばし沈黙していたランドネフィアが話しかけてきた。


【情けないな。まだ負けた訳ではあるまい】


「うるさい。黙れランド」


 カルロスは苛立ちを込めて吐き捨てた。


「いまお前に付き合う余裕はない。後にしろ」


【そう無下にするな。我が『契約者』よ。折角この戦況を打開できるかもしれん話をしてやろうというのだ。聞いて損はないぞ】


「………なに?」


 カルロスは片眉を上げた。


「どういう意味だ? 何を話すんだ?」


【うむ。耳を傾ける気になったか。では教えてやろう】


 ランドネフィアは語る。


【我々『悪魔』は他者の想いを糧にする種族だ。それはすなわち想いが強いほど俺は力を増すということだ。意味は分かるか?】


「強い想いだと……?」


 カルロスは《朱天》からは目を離さずランドネフィアの台詞を思案した。


「想いなどすべて晒したぞ。俺はガレックの奴を超えたい。それ以上の想いはない」


 と、告げるのだがランドネフィアは否定で返した。


【それだけではあるまい。お前はまだ本音を隠しているだろう? と言うよりも素直に語っていないだけか。お前が俺に語ったのは嘘ではないが真実でもない。表層部分だけだ。カルロスよ。今の俺達は一心同体だ。筒抜けだぞ】


「……………」


【沈黙は心当たり――いや、自覚があるということだな】


 ランドネフィアはくつくつと笑った。


【吐き出せ。お前の最も強い想いを。俺がそれを力に変えてやろう】


 その声は傲慢でありながらも穏やかだった。

 まさしく『悪魔』の囁きだ。

 すでに『契約』を終えていても、カルロスは緊張感から沈黙した。

 その間も、ゆっくりと《朱天》は間合いを詰めてくる。


「……を口にすれば俺は奴に勝てるのか?」


 真剣な声でカルロスが問う。


【それは分からん】


 しかし、ランドネフィアは肩を竦めるイメージを脳裏に送ってきた。


【あの男は強い。『悪魔』の俺が言うのも何だが、とても人間とは思えん怪物だ。人のまま人外に至った者。あのような存在をきっと『鬼』と呼ぶのだろうな】


 一拍おいて、


【あの男とお前とでは歩んできた道の険しさが根本的に違うのだ。なにせ『堕ちた黄金の女神』を殺すために死線を越えてきた者だ。強者を妬み、弱者とばかり戦ってきたお前が容易く勝てるような相手ではない】


「はっきり言ってくれる」


 カルロスは渋面を浮かべた。

 するとランドネフィアはふふっと笑い、


【我らの間で隠し事をしても仕方がないと言ったのはお前ではないか。だから俺も包み隠さずに言うぞ。お前の真の想いを使ってもあの『鬼』に勝てる可能性は低い。だが、このまま負けたくはないのだろう?】


「……ああ、そうだな」


 一心同体ゆえにカルロスはランドネフィアの心を知る。

 これは『契約者』に対する誠実さなのだと。

 だからこそ、カルロスはその秘めたる想いを口にした。


「俺は……リディアが好きだった」


【…………】


「義母に連れられてうちに来たあいつは出会った時から綺麗だった。本当に可愛いと思ったんだ。そして一緒に暮らしている内に、リディアも多少なりとも俺を意識していることを知った。あいつは俺を『兄』とは呼ばなかったからな。だがあの頃の俺は体裁ばかり気にしてリディアの気持ちも俺の感情も押し殺していた」


 ランドネフィアは何も答えなかった。

 ただ、静かにカルロスの聞き手となる。


「ああ、分かっていたさ。俺はリディアをずっと愛していた……」


 カルロスの声は徐々に強くなり、その想いは激しさを増していった。

 そしてカルロスは感極まって声を張り上げた。


「義妹としてじゃない! 一人の女として俺はリディアを愛していたんだ!」


 積年の想いは止まらない。ただ、溢れかえるように吐き出され続ける。


「なのにあの時、俺はリディアを『妹』と呼んでしまった! だから奪われたんだ! 惚れた女をあんな最低のクズ野郎に!」


 ギリ、と歯を鳴らした。


「あいつが俺を『兄さん』と呼んだ時、俺は愕然とした。リディアの中から俺がいなくなってしまったことに気付いたからだ。あの日、あいつは心さえもガレックの女になってしまっていた。その後もリディアはあの男だけを見るようになった」


 血を吐くような声で青年は言葉を続ける。


「それでも俺は未練がましくリディアに想いを寄せていた。ガレックに立ち向かう覚悟もないくせにだ。この戦いも本当はリディアの子のためなんかじゃない。再びリディアに振り向いてもらいたい。ただそれだけのための戦いなんだ!」


 そうして遂に、カルロスはずっと誤魔化してきていた真の願いを告げた。




「――俺はリディアが欲しい! あいつの心をもう一度取り戻したいんだ!」

 



 彼の魂の叫びはそこで終わった。

《土妖星》の操縦席に沈黙が降りる。

 そして――。




【よくぞ真なる想いを吐き出した。これより俺はお前のために全力を尽くそう】




 ランドネフィアが厳かな声で宣言した。

 遠き異界の地から訪れた『悪魔』はさらに告げる。


【『欲望』こそが我らの道。手に入れよ。勝利を。お前の望む女もな】


「……ランド」


 カルロスは胸を軽く押さえて裡なる『悪魔』に応える。


「ああ、分かっているさ。俺は勝つ。そしてリディアを手に入れる」


 ――ドクン、と。

 その時、心臓が大きく鼓動を打った。

 直後に全身の産毛が逆立った。さらに体中の血液が暴れ回る。

 だが、先程までの痛みは消えた。


【……ほう】


 ランドネフィアが感嘆の声を上げた。


【どうやらお前には適性があったようだな】


「……そうなのか?」


 カルロスは大きく息を吐き出しながら、自分の掌を見つめた。

 痛みは消えた。そしてこれまで以上に精神と身体が高揚しているのが分かる。

 カルロスは《朱天》を一瞥した。

 あの圧倒的な敵は、沈黙する《土妖星》を警戒したのか立ち止まっていた。


「これなら《双金葬守》にも勝てるのか……」


【それは分からんな。何度も言うがあの男は怪物だ。だが――】


 そこでランドネフィアは皮肉気な口調で語った。


【諦めるつもりはないのだろう? ならば心の炎を燃やして進むしかあるまい】


「ああ、そうだな」


 カルロスもまた皮肉の笑みを見せた。

 そして改めて《土妖星》に指示を出す。

 装甲に星の輝きを宿す鎧機兵は長い腕を地に叩きつけた。

 ズズゥン……。

 と、地響きが起き、《朱天》がさらに警戒する。

 次いで《土妖星》は両腕を支えにして地面から上体を浮かした。両腕が足代わりになることで百足達は解放される。その歓喜を示すかのように蠢き始めた。

 これこそが《土妖星》の真の戦闘態勢だった。


『《双金葬守》! 俺はお前を倒す!』


 かくして心も身体も完全となったカルロスは叫んだ。


『ガレックを超えるために! 奴に奪われた惚れた女の心を取り戻すために!』

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