第273話 「シルクディス遺跡」③
アッシュ達一行は遺跡の中に入った。
二本の大きな支柱で支えられた入り口をくぐって、淡く輝くランタンが一定間隔で設置された長い廊下を歩いていく。石造りの通路はひんやりとして心地よかった。
時折、他の観光客ともすれ違った。
未開の遺跡なら魔獣が潜んでいる可能性もあるので慎重になるのだろうが、シルクディス遺跡はすでに観光地。危険など皆無であり、道程は安全そのものだ。
特に緊張感もなく一行は廊下を進んでいた――と、その時。
「……へえ。これは」
アッシュが不意に壁に目をやり感嘆した。
そこには壁画があった。三つ首の魔竜の姿を描いたであろう壁画だ。周辺には壊さないように接近禁止用のロープが張られている。
アッシュは何となく悟った。
要するに、この遺跡は博物館のようになっているのかと。
「《悪竜》の壁画だな。ユーリィ。この一節って何か分かるか?」
と、神話に詳しいユーリィに尋ねた。
すると彼女はアッシュを一瞥してから壁画を見やり、
「大地から半身を出している三つ首の魔竜。怯え逃げ惑う人々の絵。これは神話の序章だと思う。《悪竜》が初めて煉獄から現出した一節」
「ほう。詳しいな。ユーリィくん」
と、感心した声で呟いたのはゴドーだった。
神学者である彼も一旦足を止め、壁画に目をやった。
「確かにこの一節は《悪竜》の現出を描いている。大地を割って突き出ているように見えるが神学者の間では、これは大地に空間を開けているというのが通説だ」
「大地に空間? その、鎧機兵の転移陣みたいなもの、ですか?」
と、ルカが小首を傾げて質問する。
ゴドーは「うむ。それが一番近い認識だな」と首肯した。
次いで、ゆっくりと先頭を歩き出す。愛犬ランドがまずカツカツと爪を慣らして主人に続き、他のメンバーも黙って後を追った。
進んでいく道程には、他の壁画も並んでいた。
そのどれもが《悪竜》が世界に猛威を振るう一節であった。
「《悪竜》ディノ=バロウス。山脈さえも地に伏せる巨躯。人界におけるいかなる武具も通じなかったという真紅の鱗。世界の七割を焼き尽くした破滅の劫火。まさに規格外の能力を多く有する煉獄の魔竜だが、その中でも俺が最も興味を抱くのが最初の壁画にあった『異界渡り』の能力だ」
「……『異界渡り』ですか?」
と、サーシャと並んで歩くアリシアが反芻した。
足取りは止めずにゴドーは「うむ」と答える。
「これは確証のある話ではない。あくまで推測なのだが、ステラクラウン以外にも世界がある……という話は聞いたことはないか?」
「あ、それなら講習で教えてもらいました。けど教官は神学の中でも特に眉唾な説だと言ってましたけど……」
と、サーシャが少し気遣う口調で告げる。
対し、ゴドーは一度首だけ振り返り、皮肉気な笑みを見せた。
「いかにも。多くの神学者達も信じぬ眉唾な説だ。《悪竜》が異界を渡り、他の世界でも猛威を振るったなど《ディノ=バロウス教団》ぐらいでしか信じられていない通説だな。だが俺は思うのだ。サーシャちゃん」
言って、おもむろに足を止めて、近くの壁画の《悪竜》の姿を見やる。
三つ首の魔竜は、背に大きな翼を持つ女性――《夜の女神》と対峙していた。
ゴドーはその壁画を自分同様にジィと見つめる愛犬の頭を撫でながら、
「例えば『天使』と『悪魔』についてだ。アロンより伝わったと聞く有名な存在だ。しかし、背に光輪を背負う美しい少女と、不気味な獣の姿で描かれた彼らは、創世神話には一切記されていない」
「それは知ってますが……」
アリシアが小首を傾げて問う。
「『天使』と『悪魔』って、創作だって聞いたことがありますけど?」
「うむ。そうだな」
ゴドーは視線をアリシアに向けて苦笑を浮かべた。
「確かに彼らは数百年前の作家が生み出した創作の存在だと一般的に認知されている。だが一節では異界より来た生物を記したものではないかとも言われているのだ。古き物語には存外真実も潜んでいるものだからな。まあ、それを置いとくとしても――」
そこで彼は再び奥へと歩き出した。ランドも後に続く。
「この世には無数の世界が存在すると俺は信じているのだよ。ふふっ、その方が、夢があるからな。そしてそれらの世界は存在そのものが未知なる異界だ。きっとそこには未だ誰も知り得ぬ浪漫が存在しているに違いないぞ」
一拍おいて、
「だからこそ俺は《悪竜》の『異界渡り』の能力に興味があるのだ。もしその能力を手に入れられるのなら、俺も他の世界に行けるのではないかと思ってな」
「「「……………………はぁ?」」」
あまりにも馬鹿げた事を大真面目に語るゴドーに一同は呆気に取られた。
が、真っ先に乗ってきたのはゴドーを尊敬するエドワードだった。
「え? じゃ、じゃあゴドーさんはいつか異界に行くつもりなんすか!」
「うむ。その通りだ。エドワード少年」
と、誰もがたじろく台詞を、ゴドーは堂々と言い放つ。
「流石に今すぐには無理だが、研究はずっと続けている。俺はいつかここではない世界へと旅立つつもりだ」
「「おおお……」」
あまりにも真っ直ぐ語るゴドーにエドワードとロックが感嘆した。
言っていることは滑稽だが、ゴドーならばやり遂げるのではないかと思ったのだ。
一方、女性陣は完全に冷めた眼差しを向けていた。
ただ、その中で唯一、アッシュだけは真剣な面持ちでゴドーを見据えていた。
「しかし、誰も踏み込んだことのない未知の世界だ。言語は違うだろうし、文明さえない可能性もある。俺は二度とステラクラウンに戻ってこれないかもしれん」
そこでゴドーはオトハの方を目やり、にまにまと笑った。
「そう言うことでよろしく頼むぞオトハよ。この世界には俺の血を少しでも多く残しておきたいのだ。お前が俺の妻になるのはもはや確定事項だからな。妻達の中でも一番若いお前なら三人は俺の子を産んでくれると期待しているのだ」
と、またしても堂々とセクハラ発言を繰り出すゴドーに、少年達は「おおっ! またもやプロポーズっすっか! ゴドーさん!」「……ここまで全くブレないと、もういっそ清々しいな」と感心の声を上げた。
反面、女性陣の眼差しはますます冷え込んだが。
特にオトハの瞳は冷え込みすぎて冷徹な殺意さえ宿っている。
「……クライン」
言って、自分の前を歩くアッシュの黒い
「そろそろ私はあの男を殺してもいいか? ちゃんと埋めるから」
「いや直球で殺害宣言はやめてくれ。ユーリィやメットさん達の教育に悪い。まあ、あのおっさん自体が教育に悪そうだが……」
言って、アッシュは振り返ると、オトハの頭にポンと手を置いた。
「今のところ、あのおっさんの言動はスルーしてくれ。本気で『あ、こいつダメだ』と思ったら俺の方でどうにかするからさ」
「………むう。お前がそう言うのなら……」
オトハはとりあえずそれで納得した。
まあ、しばらくはアッシュの
と、そうこうしている内に通路の途中にあった幾つかの分かれ道を素通りして、アッシュ達一行は大きな広場に辿り着いた。
天井が三階まで吹き抜けになっている大広間だ。かなり広くて十数人の観光客の姿も見えるが、ここには壁画がなくこれまでの道中と違って他の通路もない。どうやらここが遺跡の終着点――最奥のようだ。何人かの客は通路の方へと戻っていった。
アッシュは大広間の奥に目をやった。そこには鎧機兵でも通れそうなぐらい大きな扉があった。丁度、数人の男が扉を押し開けようとしていたが、無理だったようで苦笑を浮かべて扉から離れていった。
察するにあの大きな扉こそが……。
「今回の目的地ってことか」
と、アッシュが呟く。
「ゴドーさん! ゴドーさん! 早く!」
するとエドワードが走り出した。
ここに至って興奮が抑えきれない様子だった。
ロックもやはり興味があるようで早足になる。ユーリィとルカも少し急いだ。
「まあ、そう焦るな。エドワード少年。浪漫は逃げたりはしないものだ」
言って、ゴドーは優雅にも見える足取りで進み、愛犬と共に扉の前に立った。
アッシュとオトハ。サーシャとアリシアも遅れて大扉の前に立つ。
「ほう。なかなか凝った造りの大扉だな」
と、オトハが感心するように言う。彼女の目の前の大扉にはこれまでの壁画同様に精緻な彫刻が施されていた。鍵穴を探してみると人の背丈の位置にある。しかし接近禁止のロープは見当たらない。どうやら先程の観光客の対応からして、直に触って扉を開けるのに挑戦してみるというのがここの趣旨のようだ。
「ふむ。ではお披露目といくか」
そう言って、ゴドーはおもむろに胸のポケットから銀色の『鍵』を取り出した。これこそが本ツアーの主役である。
「おお! それが!」「この大扉の……『鍵』ですか」
エドワードとロックの表情に緊張が走る。
アッシュ達もいよいよといった場面で少しばかり表情を改めていた。
そしてゴドーは『鍵』を鍵穴に差し込んだ。
サイズはピッタリだ。否応なしに期待感が高まる――のだが、
「………………」
ゴドーは無言だった。
彼の持つ『鍵』が回る様子はない。
全員が沈黙した。
――いや、まさかここに来てこれは……。
さらに続く静寂。そして、
「いや。まあ、その。こういったこともあるものだ」
言って、ゴドーは気まずそうに笑った。
がっくりと肩を落とすエドワードとロック。密かに期待していたのか、どことなくユーリィとルカも気落ちしていた。
一方でアッシュとオトハの年長者組を筆頭に、他のメンバーはほとんど期待していなかったのか、苦笑いを浮かべるだけだった。
そしてオルタナが「……ムネン! ムネン!」と叫んでいる。
こうして大きな盛り上がりもなく。
ゴドー主催の遺跡ツアーは幕を閉じたのであった。
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