第267話 レディース・サミット②

 日々は過ぎて、翌週の週末。

 空は快晴。海には穏やかなさざ波が立つ。

 絶好の旅行日和に恵まれ、アッシュ達一行は王都ラズンを出立した。

 ゴドーが用意した馬車は以前アッシュ達がラッセルに向かう時に使用したような幌馬車ではなかった。王侯貴族が乗るような大きなキャビンを持つ豪勢な馬車だった。さらに驚くべき事に専属の御者までいるではないか。

 まあ、正真正銘の王族であるルカがいるので、ある意味相応しい馬車ではあるのだが、半数が貴族でありながら根が貧乏人の多い一行は騒然とした。


「お、おい。おっさん。流石に洒落にもならんだろ。この馬車は……」


 代表してアッシュがそう言うと、ゴドーはふっと笑い、


「なに。心配するな。全部ガハルド持ちだ」


「ガハルドのおっさんにたかったのか!?」


 拇印の力は絶大なのである。

 こうして楽しいはずの出立は、ルカとゴドー以外が青ざめる状況で始まった。

 とは言え、旅自体は始まってしまえば楽しく、実に順調に進み、アッシュ達は無事第一の目的地であるラッセルに到着したのだった――。






 そして、リゾート都市「ラッセル」のホテルの一室。

 奇しくも、かつて三人の少女が同盟の誓いを立てた部屋にて今、全く同じメンバーの少女達が滞在していた。


「さて」


 議長であるアリシアが口火を切った。


「この場に集まってもらったのは他でもないわ」


 アリシアは盟友達に視線を送る。

 三人ともベッドの上に正座をし、三方向から対峙している。

 右前方には輝く銀色の髪と琥珀色の瞳を持つ、ふわりとした白のドレスを纏う少女。

 アリシアの幼馴染みでもあるサーシャ=フラムだ。

 左前方には空色の髪と翡翠色の瞳が印象的な、藍色のワンピースを着た少女。

 アリシアにとって可愛い妹分の一人であるユーリィ=エマリアがいた。

 ちなみに、アリシアは茶色いホットパンツに白いブラウスを着ている。抜群の脚線美は薄い黒のニーソックスで覆っている。それに加え、彼女は珍しくうなじ辺りで長い絹糸のような髪を結いでいた。

 三人とも普段とは違う旅行用の私服だった。なお、今この場にはいないが、ルカは袖のない白いシャツの上に紺色のオーバーオールを着ていた。


「ユーリィちゃんにも事前に話したけど、この連休中に行うサミットについてよ」


 こくんと頷く二人。が、すぐにユーリィが訝しげに眉根を寄せた。


「どうしてルカとオトハさんを外しているの?」


 サミットの参加者は現状では五名の予定だ。

 この場にいる三人と、現在ロビーに行っているオトハとルカの二人である。

 しかし、サミットの話を事前に知っているのは、この三人だけだった。

 今回のサミットは腹を割って本心を語り合うのが趣旨だと聞いていた。だというのに五人中二人に対し直前まで秘匿にする理由がユーリィには分からなかった。


「うん。どうして秘密にしているの?」


 と、これはサーシャの言葉。彼女も同じ疑問を抱いていた。

 するとアリシアは「う~ん」と腕を組んでから、二人の疑問に答えた。


「ルカに関しては、まず手始めにアッシュさんを好きになった『先礼』を受けてもらうつもりなのよ。要は『あなたにはこんなにも恋敵が多いのよ』ってね。だから別に事前に教えなくてもいいかなって思ったんだけど、オトハさんの方は――」


 そこでアリシアは表情を真剣なものに変えてサーシャ達を見据えた。


「ねえ。二人とも。最近のアッシュさんのオトハさんへの対応って過剰・・だと思わない」


「……う」「そ、それは……」


 つい言葉を詰まらせるユーリィとサーシャ。

 それは二人も実感していたことだった。

 一拍おいてユーリィが語り出す。


「……うん。それは思った。ゴドーさんがやたらとオトハさんにアピールしているせいだと思う。けど、オトハさんなら簡単にあしらえるのに、アッシュは……」


 キュッと唇を嚙む。

 サーシャは視線を落とし、アリシアも溜息をつく。


「そうね。最新だと馬車の中での事よね」


「……うん」「……あれは正直羨ましいと思ったよ」


 三人の声には覇気がない。

 しかし、それも仕方がないことかもしれない。

 何故なら今、彼女達の脳裏には数時間前の光景が蘇っているからだ……。






『――むむっ? 俺のオトハよ。どうしたのだ?』


 それは、出立前のことだった。

 各メンバーが恐る恐る豪勢すぎる馬車のキャビンへと入っていき、そして最後に馬車に乗り込んだゴドーが入るなりそう叫んだのである。

 この馬車は、奥の壁には大きな窓。そして進行方向側と後ろ側に革張りの長い椅子が設置されていた。普通ならば九名も乗れば馬車の座席はたいてい埋まるものなだが、この豪勢な馬車のキャビンはとにかく無駄に広い。

 そのため全員が乗ってもなお座席にスペースがあった。

 そんな中、サーシャ、アリシア、ユーリィ、ルカとオルタナは後ろ側の長椅子に並んで座っていた。一方、アッシュとロックとエドワードは進行方向側だ。

 自然と男女で分かれたのだが、何故かオトハだけはどちらにも近付かず一人だけ窓際に近い場所で両腕を組んで座っていた。

 彼女の表情は険しく、いつもの皮服レザースーツに小太刀まで所持している。

 とてもこれから楽しい小旅行に出かけるような雰囲気ではない。

 ゴドーはそんなオトハを見やり、顎髭を指でさすった。


『ふむ。何故、一人だけ離れている――いや、そうか! わざわざ場所を空けて俺が来るのを待っていてくれたのだな!』


『……そんな訳ないだろう』


 オトハはゴドーを一瞥さえしなかった。ただ、嫌悪感丸出しでそう吐き捨てる。

 だが、その程度の拒絶で今さら退くようなゴドーではなかった。


『ふはははっ! やはり可愛いな、俺のオトハは! まあ、そう照れるな!』


 そう言って明らかに不機嫌だと分かるオトハに近付こうとする。もはや反射的な行動なのかオトハが腰の小太刀の柄に触れた。

 だが、その時だった。

 ゴドーが『――む』と、片眉を上げて足を止めた。

 彼が動く前に立ち上がった者がいたからだ。


『……ったくよ』


 そう言って立ち上がった人物――アッシュはボリボリと頭をかくと、ゴドーよりも先にオトハの元へと向かった。ちなみにアッシュの服装はオトハと違い、私服だった。黒いシャツと黒いズボンという一般的な格好だ。特筆すべき点としては大腿部に括り付けた銀色のハンマーを固定する皮ベルトぐらいか。

 ともあれ、アッシュはオトハへと近付くと、彼女の目の前で立ち止まった。


『……何の用だ。クライン』


 完全に戦闘モードなのか、アッシュに対してまで鋭い眼差しを向けるオトハ。アッシュは数秒だけそんな張り詰めた彼女を見つめた後、小さく息を吐き、


『なあ、もっと楽しめよ。オト。大丈夫・・・だからさ』


『なに―――え? ク、クライン……?』


 オトハの両肩を左右から強く掴み、頭上高く持ち上げた。オトハは比較的に少し背が低いため、両足が完全に床から離れる。


『な、何をするんだ! クライン!』


 まるで幼い子供のような扱いにオトハは顔をわずかに紅潮させつつバタバタと足を軽く動かして抵抗するが、それを無視してアッシュは彼女を運び出した。

 向かう先はユーリィ達が座る場所――ではなく、さらに窓側に寄った位置だ。

 そこに彼女をトスンと下ろす。続けてアッシュ自身は彼女の右側に座った。

 オトハはアッシュと窓に挟まれた状態になった。


『……クライン? これは何の真似だ?』


 オトハが眉根を寄せて尋ねる。

 するとアッシュは、左手でポンポンと彼女の頭を軽く叩き、


『窓際の方が落ち着くだろ。外の景色でも見て旅行を楽しめよ』


 そう言って、朗らかに笑った。

 またしても子供扱いされたようでオトハは一瞬ぶすっとしたが、それ以上は何も言わなかった。しかし、元の位置に戻る様子もない。その場でぷいっと顔を逸らして窓枠に左肘をつき、言われた通りに外の景色に目をやっていた。

 一見すると、隣に座るアッシュさえも無視したような無愛想な態度だ。

 だが、少女達は見逃してなかった。外の景色を見やるオトハの耳が微かに赤く、その右手の指先だけはずっとアッシュの服の裾を掴んでいたことを。


 愕然とし――そして同時に悟る。

 あの場所は、アッシュが・・・・・ゴドーから・・・・・オトハを守るための位置・・・・・・・・・・・なのだと。

 それが分かっているからこそ、オトハは何も言えなくなったのだと。


『おお……あの師匠が、そこまで教官のことを』


 ロックが感嘆の声を上げた。

 ある意味、独占欲さえ垣間見えるアッシュの行動に心服したのだ。

 そして少年少女達が気付くようなことには、無論ゴドーも気付いた。


『――ぬう! おのれ、白髪小僧め! オトハを独り占めしようとは味な真似をしてくれるではないか! だがそうはさせんぞ!』


 そう言って、せめてオトハの前の席に陣取ろうとするが、


『なあなあゴドーさん! ゴドーさん! 遺跡の話とか聞かせてくださいよ!』


 が、そんなゴドーを足止めするというファインプレイをする者がいた。

 空気が読めない男――エドワード=オニキスである。


『ぬ、ぬう!』


 あまりにも純真な少年の眼差しを前にして、身体は中年、されど心は少年であるゴドーは思わず立ち止まってしまった。


『そ、そうか。うむ。仕方がないな』


 この眼差しを無下することなど、夢追い人ロマン・チェイサー・ゴドーには出来なかった。


『――では、エドワード少年よ! 大いに語ろうではないか!』


 言って、元々はアッシュが座っていた席にどっしりと腰を下ろす。

 そうして馬車は走り出した。

 なお、茫然自失になっている少女達の中で、ルカだけはオルタナを連れてトコトコと歩き出し、アッシュの左側に座っていたりする。

 ユーリィ達がルカへの警戒レベルを上げた瞬間だった。






 そして時間は進み、ホテルの一室。

 沈黙が続いていた一室で、まずユーリィが「……ふう」と小さな溜息を零した。


「……アッシュは、最近オトハさんにやたらとかまっている」


 ポツリと本音を語る。


「今回の旅行の打ち合わせでゴドーさんは何回かうちに来たのだけど、そのたびゴドーさんはオトハさんに言い寄っていたの。けど、それに対して……アッシュは自分の膝の上にオトハさんを乗せたことさえもあった」


 キュッと唇を強く嚙む。

 あの事件・・自体は偶然が重なったこともあるのであまり文句は言わなかったが、それでも羨ましいと今でも思う。


 ――そう。あれは狭い茶の間での騒動だった。


 あの日、ゴドーに両手を捕われて本気で苛立っていたオトハを見かねて、アッシュが少々強引に自分の傍へと彼女を引き寄せたのだ。しかし、彼自身胡座をかいた姿勢だったためバランスが非常に悪く、その上オトハの方も踏ん張ることも出来ない正座状態だったので体勢を崩して倒れそうになったのである。

 予想外のことに慌てたアッシュはその場でオトハを引っこ抜いた。要は放り投げるように上へとあげたのである。そして彼女はバランスを崩したまま宙に浮き――。


 すっぽりと。

 お姫さま抱っこのような姿勢で、胡座をかくアッシュの膝の中に収まったのだ。


 あれには、本当に茶の間が静寂に包まれた。

 ユーリィは青ざめて、ゴドーは『お前、凄いな……』と何故か感心していた。

 アッシュは流石に気まずいと感じたのか頬を強張らせ、オトハの方は身体を縮こまらせた体勢で硬直し、ただアッシュの顔を凝視して真っ赤になっていた。

 その後もアッシュはゴドーがオトハに言い寄るたびに妨害していた。

 それはまるで自分の女に手を出すなと言わんばかりの光景だった。少なくとも少女達の瞳にはそう映っていた。


「オトハさんが困っていることは分かるよ」


 と、サーシャが語り出す。


「だけど、オトハさんなら手を掴まれてもその気になったら簡単に振り払えるはずだし、そもそも掴まれること自体も防げると思うの。あれだといつも先生に助けてもらうのを待っているようにも見えるよ」


 少しだけ。

 ほんの少しだけ不満が零れた。

 穏やかな彼女にしては珍しい苛立ちの声だった。


「……そうよね」


 アリシアが両腕を組んで頷く。


「まあ、オトハさんって男前な性格をしてても根っこの部分では乙女だし、素直に嬉しいんだろうなってのは分からなくもないのよ。あえて隙を見せるのも戦略だしね。ただ、正直これは均衡が崩れかけているような気がしてならないわ。これがオトハさんにサミットを伝えてない理由。サミットでオトハさんの本音を私は聞きたいのよ」


「……本音を? それがどうして秘密に繋がるの?」


 と、ユーリィが尋ねる。アリシアはふっと笑って空色の髪の少女を見つめた。


「議題が最初から分かっていたら事前に対策――言い訳とか建前を考える時間が出来ちゃうでしょう。それを防ぐためよ」


「あっ、なるほど。アリシアってやっぱり賢い」


 ポンと柏手を打ち、サーシャが感心する。幼なじみの賛辞に「ふふっ、私も色々考えているのよ」とアリシアは慎ましい胸を大きく反らした。


「うん。オトハさんに本音を言わせるためにサミットを秘密にするのは分かった。けど、サミット自体はいつ実施するの?」


 と、ユーリィが小首を傾げて尋ねる。

 いよいよ本題に入り、サーシャは緊張し、アリシアの眼光は鋭くなった。

 これが最も重要な議題だった。

 そして――。


「そうね。開催の場はあらゆる建前を脱ぎ捨てる場所がいいわ」


 アリシアは厳かに告げる。


「今日の夜。お風呂で語り合いましょうか。そこが――サミットの場所よ」

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