エピローグ
第250話 エピローグ
「うわあ、凄い人達だね」
と、サーシャは感嘆の声を上げた。
その日、街はお祭り騒ぎだった。
大通りには普段は並ばない露店が軒を連ね、港湾区、市街区、王城区のどこの区にある店舗も無礼講。まさに建国祭にも匹敵するほどの大賑わいだ。
いきなり沸き上がったカーニバル。しかし、この唐突な祭りには理由がある。
それは先日、王家より大々的に報じられた吉報のためだった。
「まさか、サリア王妃がご懐妊なんてね」
と、サーシャの隣を歩くアリシアが苦笑を浮かべた。
時刻は二時過ぎ。今日は週末であったため、講義も昼までだった彼女達は制服姿のまま待ち合わせの場所に向かっていた。
普段はよく行動を共にする男子二人の姿はない。
今日、これから行う会合に彼らは無関係――と言うより邪魔だからだ。
「急にルカが留学先から呼び戻されたのも、これが理由だったってことよね」
アリシアは、あごに手をやって首肯した。
新たな王族誕生。ルカにとっては弟か妹が生まれるということだ。
その祝辞を王族総出で行うというのが、アティス王の意志だろう。
まあ、異国の地にいる愛娘に会うための口実かもしれないが。
「ふふ」その時、口元を抑えてサーシャが微笑む。
「ルカもお姉ちゃんになるのか」
「ふふ、まあ、そうよね」
アリシアも口元に微笑を浮かべるが、すぐに表情を改めた。
「けどサーシャ。分かってると思うけど、今日の議題はそのルカの事なんだからね」
真剣な親友の眼差しに、サーシャも真剣な顔で「うん」と頷く。
「分かっているよ。そろそろ先延ばしも限界だし、具体的な対策を決めないと」
「ええ、その通りよ」
彼女達は互いにこくんと頷くとそれ以降は会話せず、足早に目的地へと向かった。
そして幾つかの角を曲がり、いよいよ目的の店舗が見えてくる。
――《獅子の胃袋亭》。
学生達がよく利用する憩いの店だ。
サーシャ達は《獅子の胃袋亭》のドアを開けて、店内に入った。
ウエイトレスや店主の「いらっしゃいませ」という挨拶に対し、軽く礼をするだけで応えて、サーシャ達は店内を見渡し――。
「あっ、いたわ。二人ともすでに来てるわよ。サーシャ」
と、アリシアが告げる。
彼女の視線の先には、丸テーブルの席に座る二人の人物がいた。
紫紺の髪の美女――オトハと、空色の髪の少女――ユーリィだ。
彼女達もサーシャ達の来店に気付いたようで、無言のまま首肯していた。
サーシャとアリシアは真剣な面持ちで、オトハ達の席に着いた。
一瞬テーブル席に沈黙が降りる。が、
「全員揃ったようだな」
オトハが両肘を丸テーブルの上について話を切り出した。
「では、始めよう」
続けてオトハは宣言する。
「いかにして王女とクラインを無難に再会させるかについて、な」
そうして《獅子の胃袋亭》の一角にて議論は白熱する。
しかし、彼女達は知らない。
それらすべてが、もはや不毛な議論であることを。
すでに議論など関係なく、ルカはアッシュとの再会を果たしており、どっぷりと関わっているとは夢にも思わない彼女達であった。
◆
「……くしゅん」
可愛らしいくしゃみが夜の公園に響く。
口元を抑えているルカのくしゃみだ。
「ん? 風邪か? お嬢ちゃん?」
いつものように長椅子に座るアッシュが、首を傾げて尋ねる。
ちなみに彼はまだ、何故か仮面をかぶっていたりする。
「いえ、そんな事はない、です」
と、はにかんで答えるルカ。彼女の肩に止まっているオルタナも「……ウム! ルカハゲンキダゾ!」と翼を広げて告げた。
「ん? そっか?」
アッシュはふっと笑う。
「今日のパレードとか結構疲れたんじゃねえのか?」
今日の昼に行われた大々的なパレード。
ルカは王族の一人としてそれに参加した。若干人見知りの気がある彼女が、大勢の人に囲まれて緊張しない訳もない。多少の疲労はあるはずだ。
「なんなら今日は帰って休むか?」
と、アッシュが気遣うが、ルカはフルフルと勢いよく首を横に振った。
今日は無理を言って、彼とこの時間に待ち合わせをしたのだ。
ロクに会話もせずに帰っては意味がない。
「だ、大丈夫です」と答えるルカに「ん。そっか」とアッシュは笑った。
「けど、パレードの方はともかく、ザインの弟の件に関しては、やっぱ後始末が大変だったんじゃねえか?」
と、アッシュが背もたれに寄りかかり尋ねる。
ルカは「はい」と頷いた。
「ザインさんは弟さんのことで凄く頑張っていました。だけどお父さん達はみんな、渋い顔をしていて……特に、カザンのお爺ちゃんは、ザインさんは弟さんに甘すぎるって怒鳴っていました。けど、結局、お母さんの祝辞の恩赦ということで……」
現在、ザインの弟は、ガロンワーズ家の別宅にて無期限の謹慎中だった。
今回の事件は公爵家当主の暗殺未遂。本来ならば司法沙汰の一件ではあったが、ザインの強い弁護で、監視付きながらもその程度の対応で済んだのだ。
なお、今回の騒動の首謀者であるガダルの方は、彼本来の計画ではルカやザインを傷つける意図はなかったので、二週間の自宅謹慎で留まっている。
「まあ、あいつは何だかんだで甘い奴だからな」
と、アッシュは友人から借りている仮面をコツコツとつついた。
「けどよ、決して無責任な奴じゃねえ。弟の身柄を引き受けたってことは、きっと本気で弟を自分の手で更生させる気なんだろな」
「……はい。私もそう思います」
ルカは微笑みながら同意する。彼女の肩の上のオルタナも「……ウム! キンニクナラバ、ダイジョウブダ!」と太鼓判を押していた。
そうして十数秒ほど、夜の公園に沈黙が降りる。と、
「あ、あの、仮面さん」
ややあって、ルカはおずおずと口を開いた。
今日こうして彼に会いに来たのは、どうしてもお願いしたい事があったからだ。
しかし、これはお願いしてもいいことなのか。
そんな不安があるが、それでも勇気を出して訊いてみる。
「あの、その、一度仮面を取ってもらえませんか?」
一度だけでも彼の素顔を見てみたい。
それが彼女の願望であり、今日の目的の一つだった。
すると、アッシュは、
「ん? いいぞ」
ルカが拍子抜けするほど、あっさり了承した。
「え? い、いいん、ですか?」
逆にルカが訊いてしまう。対し、アッシュはははっと笑い、
「いや、別に構わねえよ。もうこの仮面も必要ねえし。今日つけて来たのは、お嬢ちゃんはまだ俺の顔を知らねえからな。目印代わりだよ」
そう言って、アッシュは仮面の後頭部に手を回した。
そしてカチャリと鳴らして仮面を取る。
精悍な顔つきと、先端だけがわずかに黒い真っ白な髪が面に出る。
(………え?)
ルカは一瞬だけ困惑した。
彼の素顔を見た途端、誰かに似ているような気がしたのだ。
が、すぐに気のせいだと考える。
こんな雪のように真っ白な髪を持つ人物を、他には知らないからだ。
それに、今はそんな事よりも――。
「か、仮面さん。どうして顔を隠していたん、ですか?」
正直、思っていたよりもずっとカッコよかった。
思わず胸がドキドキし、青年の横顔を見入ってしまう。
一方、アッシュとしては苦笑を浮かべるしかない。
「いや、まあ、成り行きだな。何となくこうなった」
「そ、そうなんですか?」
ルカにはその経緯は分からないが、別に彼は趣味で仮面をかぶっていた訳ではないことは理解できた。と、同時に、今度はもう一つの願望が湧き上がる。
「あ、あの、仮面さん」
ルカはもう一度だけ勇気を振り絞った。
「その、仮面さんのお名前を教えてもらえませんか」
するとアッシュは目を丸くして、
「……ん? あ、そっか。俺は一度もお嬢ちゃんに名乗ってなかったのか」
ボリボリ、と気まずげに自分の頭をかいた。
が、すぐにふっと口角を崩して。
「アッシュだ。アッシュ=クラインだ」
ようやく。ここでようやくアッシュはルカに名乗った。
ルカはすうと目を細めて微笑み、
「良い名前ですね」
「おう。ありがとな。ルカ嬢ちゃん」
そう言って、アッシュも笑った。
そして二人はしばらくの間、談笑に興じた。
些細な話題から、何故かオルタナも交えて鎧機兵の構造に関する議論。まだしばらくルカが故郷にいること。今度、自分の姉達にアッシュを紹介したいなど――ちなみにその時ルカの姉達がどんな顔を浮かべるかは言うまでもない――を語った。
そして充分会話を楽しんだ後、
「今日は、付き合ってくれてありがとう、ございました。アッシュさん。ううん、ずっと前から助けてくれて、ありがとう」
ルカは立ち上がり深々と頭を下げた。
アッシュは座ったまま「ああ、別に畏まらなくてもいいよ」と笑って返す。
アッシュが彼女を助けたのは、誰かに強要された訳ではない。
ザインに共感し、自分の意志で動いたのだ。
それに不快な光景を見ることにもなったが、ルカやオルタナと親しくなれたし、実に興味深い相手とも巡り会えた。むしろ有意義な時間だったと思う。
しかし、ルカとしては心苦しいのだろう。
「あ、あの、私、お礼なんて出来なくて、その、だから考えて……」
と、しどろもどろに言葉を紡ぐが、
「……ウム! ルカ! ガンバレ!」
「う、うん」
オルタナの声援にルカは、きゅっと唇を引き締める。
そして細い指先をアッシュの方へと伸ばして身体を近付けると。
――ちゅ、と。
とても小さな音が鳴った。
頬に伝わる柔らかな感触に、アッシュは一瞬目を丸くする。
対するルカは、うなじまで真っ赤になっていた。
「おいおい、ルカ嬢ちゃん……」
「あ、あうゥ……」
水色の瞳を潤ませて、少女の顔はますます赤くなった。そして遂に自分のした行いに耐え切れなくなったのか、彼女は躓きそうな勢いで走り去って行った。
しばし静寂に包まれる公園。
そして――。
「……ははっ」
頬を押さえてアッシュは笑う。
「こいつは、王女さまからのご褒美って奴か」
まるで冒険譚の主人公にでもなった気分だ。
アッシュは、しばらく頬を撫でて夜空を眺めていた。
が、不意に目を細めて――。
「……しかし、弟か」
ザインの弟に、いずれ生まれてくるルカの弟妹。
兄弟に関わる話題が多かったためか、アッシュは少しだけ昔を思い出していた。
故郷で暮らしていた時、いつも自分の後に付いて来た幼い弟。
泣き虫で。怖がりで。幼さゆえに無邪気だった。
歳がかなり離れていたので手のかかる弟だったが、その分、愛しい家族だった。
だが、そんな弟ももういない。
忌まわしいあの『炎の日』に、故郷と共に死んでしまった。
そう思うと、胸の奥が強く痛む。
もし弟が生きていれば、ルカやユーリィよりも一歳ほど年上になるのか。
アッシュは再び夜空を見上げる。
「なあ、コウタ」
そしてそこに弟がいることを信じて語りかける。
「お前は
◆
その日、森に覆われた王国にて、重い剣戟音が轟いた。
十数秒間に渡って続く硬い金属同士が叩きつけられる重低音。
剣戟はいつまでも続くかのように思われたが、不意にひと際大きい金属音が鳴り響くと同時に、グルグルと巨大な斧が宙を舞い、地面にズシンと打ちつけられた。
広いグラウンドの一角に濛々と土煙が立ち昇る。と、
『これでチェックメイトだよ』
すうっと黒い処刑刀をかざして、竜装の鎧機兵が宣告した。
その切っ先の先には、腰をつく褐色の鎧機兵がいた。
左半身に白い外套を纏う機体であり、先程まで模擬戦をしていた相手だ。
『やっぱ強えェな。お前さんはよ』
と、褐色の鎧機兵の操手が告げる。
かなり若い声――恐らくは十代半ばの少年の声だ。
それもそのはず。彼らは学生。このエリーズ国の騎士学校に通う生徒なのだ。
竜装の鎧機兵と褐色の鎧機兵は放課後に残り、自主訓練に励んでいたのである。
『ははっ、けど今の攻撃は危なかったよ』
そう言って胸部装甲を開ける竜装の鎧機兵。
その操縦席から顔をのぞかせたのは、やはり十代半ばの少年。
黒曜石のような黒い瞳と、黒髪が印象的な少年だった。
一方、褐色の鎧機兵も機体の胸部装甲を開く。出てきたのは短く刈った濃い緑色の髪が特徴的な、かなり体格のいい少年である。
彼の方は操縦席から降りて、愛機を転移陣で帰還させる所まで行う。
それから竜装の鎧機兵を見上げて。
「良い訓練になったぜ。また付き合ってくれよ」
ニカッと笑ってそう告げる。対し、黒髪の少年もふっと笑い、
「うん。構わないよ。ボクの訓練にもなるし」
「そう言ってくれるとありがてえ……っと」
そこで巨漢の少年は身につけた騎士学校の制服――その一部である腰に巻いた
「そろそろ時間も時間だな。じゃあ、皇国行きの準備もあるしオレッちは帰るわ」
「ああ、そうだね。それはボクも用意しないと」
何の幸運なのか、彼らは隣国・グレイシア皇国の公爵家に招待されていた。
すでに家族――保護者には了承を得ている。
後は、少しだけ長くなる旅に向けて準備をするだけだった。
しかし、それが結構問題であって……。
「けど、彼女だけは渋って中々用意してくれなくてさ……」
「はははっ! 相変わらずだな。お前の姫さんは」
と、巨漢の少年は豪快に笑った。が、そもそも彼もあまりのんびりしている余裕もないのだろう。すぐに表情を改めると。
「とにかくオレッちは行くわ。じゃあ、またな! コウタ!」
そう告げて、巨漢の少年はグラウンドを走り去って行った。
その場に残ったのは、竜装の機体に乗る少年のみ。
少年は、しばし操縦シートで力を抜いて瞑目していた。
グレイシア皇国。その首都である皇都ディノス。
その近くには彼の故郷もある。もう何の痕跡もない故郷だが。
しかし、故郷に手掛かりはなくとも、もしかすると皇都ならば――。
「……トウヤ兄さん」
少年は兄の名を呟く。
果たして、今回の故郷への旅で何を掴めるのか。
「……ボクは元気だよ」
少年は、兄と同じ黒い双眸をすっと開いた。
そして生き別れた家族に想いを馳せ、彼――コウタ=ヒラサカは呟くのだった。
「兄さんと――サクヤ姉さんは今、どこで何をしているの?」
第八部〈了〉
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