第227話 幼馴染との再会③

「そろそろアリシアさん達、謁見した頃?」


 ――パクリ、と。

 とろけるように熟したハムエッグを乗せたトーストに、ユーリィはかぶりつく。そして小さな口を動かし、無表情のままもしゃもしゃと咀嚼する。

 時刻は午前九時。場所はクライン工房の茶の間。

 そこでアッシュとユーリィ。そして本日は仕事が休みであるオトハも交えた三人は少し遅めの朝食を取っていた。丸い卓袱台の上には、オトハが用意したトーストと、トマトや胡瓜、レタスなどで彩られたサラダ。湯気を立てるコーヒーが三人分鎮座しており、彼らはそれらを囲むように座っていた。


「ん? ああ、もうそんな時間になんのか」


 アッシュがコーヒーを片手に、茶の間にある壁時計に目をやる。

 ちなみにその時計の下には、何故かデュークの仮面が無造作に置かれていた。


「しっかし、王女さまと謁見とはな。まあ、アリシアは侯爵令嬢だし、サーシャも旧家のお嬢さまだから、別に面識があってもおかしくはねえが……」


 そこで、今度は迎え側に座るオトハに目をやる。いつもの黒いレザースーツを纏う紫紺色の髪の美女は、レタスをフォークで刺して口に運ぶところだった。


「結局、お前は今回もバっくれたのか?」


 と、苦笑を浮かべてアッシュは尋ねる。対し、オトハは一旦フォークを容器の上にカチャンと置くと、ムッとした表情を見せた。


「人聞きの悪い言い方をするな。クライン」


 オトハは大きな胸を支えるように腕を組み、隻眼でアッシュを睨みつける。


「別に誘いを蔑ろにしたい訳ではない。しかし、苦手なモノは苦手なのだ。お前だって知っているだろう」


「……まあ、確かにそうだったよな」


 アッシュはコーヒーを一口含みつつ、彼女と共に過ごした傭兵時代を思い出した。

 オトハの実力は超一流だ。時には大きな戦場にて戦果を上げることもあった。

 成し遂げた戦果で、王侯貴族から恩賞を貰うこと自体は別に構わないのだが、社交の場というのがオトハは実に苦手だった。


 その理由は大きく分けて二つあった。

 一つは王侯貴族と謁見や社交場では、どうしてもそれに相応しい礼服を着なければならないこと。彼女はヒラヒラとしたドレスがとても苦手だった。

 もう一つは――実はこちらが一番の理由になるのだが、そういった場所に立つと若い貴族の子弟達が言い寄ってくることだった。


 オトハが群を抜いた美貌を持つこともあるが、それ以上に『女傭兵』という肩書が珍しいのだろう。常に戦場に身を置く傭兵は女性であっても筋肉質な者が多い。しかし、そんな中にあってオトハは背が少し低く、身体つきは実に女性的だ。

 要するに、彼女ほど可憐な容姿の傭兵はとても希少な存在なのである。

 その珍しさからか、社交の場に着飾って出ると貴族の男――時には女性まで――うじゃうじゃと寄って来る。が、相手は王侯貴族――と言うより雇い主だ。無下にする訳にもいかず、結果、オトハはうんざりした気分で相手をすることになるのだ。


「……正直な話、社交の場だけはごめんだな。貴族相手では会話も合わんし、そもそも武器を持ち込めないのも不安になる」


 と、オトハは小さく嘆息して告げた。

 すると、トーストをすでにたいらげたユーリィが、オトハに視線を向けた。


「その気持ちは少しだけ分かる」


 そう言って、ユーリィはコーヒーを手にする。


「私も社交の場は苦手。いつもたくさんの人に囲まれる。大抵はアッシュが追っ払ってくれたけど、まるで見世物にされているみたいで少し怖い感じがする」


「……う~ん。そうだよな。苦手ってことなら、俺も人のことは言えねえか」


 と、アッシュは頬をポリポリとかいた。

 オトハやユーリィとは理由は少し違うが、アッシュの本質は小さな村出身のただの田舎者なのである。本来ならば、あの素朴な世界で生涯を終えるはずだった。

 だがしかし、数奇な運命によって一時期ではあるが、王侯貴族が主催する華やかな社交の場に駆りだされた時は、正直違和感を覚えたものだ。

 出来ることならば、社交の場に参列したくない気持ちも理解できる。


「けど、そう考えると、メットさん達は凄げえよな」


 ふと、アッシュは感嘆の声を零した。


「なにせ今頃、王さまやお姫さんと謁見してんだからな」


「ああ、そうだな。流石は生粋の貴族ではあるな」


 と、オトハも共感した。ユーリィも無言でこくんと頷いた。


「ま、それについてはどんな状況だったのか、後で聞いてみようぜ」


 アッシュはフォークを取って、ぷすりとトマトを突き刺した。

 続けて、おもむろに口に運んで咀嚼する。

 くしゃりと口の中で潰れる感触と、甘酸っぱい味を充分に堪能してから、


「けどまあ、この平和な国の王女さまか。ははっ、どんな子なんだろうな」


 言って、アッシュは笑った。



       ◆



 その頃、謁見の間では――。


「お、お久しぶりです。アリシアさま。サーシャさま。そ、そして初めて。英雄の方々」


 少しどもりつつも一人の淑女が優雅な仕種で挨拶をしていた。

 純白のドレスを纏い、黄金のティアラを抱くアティス王国の第一王女。

 ルカ=アティスその人である。

 周囲には二人の騎士団長と右大臣と左大臣。警護を担う赤い服の騎士達。玉座には彼女の両親であるアティス王と、サリア王妃の姿もある。


「は、はい、お、お久しぶりです。ルカ王女さま……」


 と、サーシャが少し驚きつつも返答する。

 だが、他の三人の騎士候補生達は唖然としたままだった。


「(こら、お前達。ご挨拶せんか。王女さまに不敬だぞ)」


 すると、彼らの横に立つガハルドが小さな声で促して来た。

 アリシア達はハッとした表情を浮かべて「お、お久しぶりです」「お、お初にお目にかかります!」などと慌てて挨拶を返した。

 しかし、反射的に挨拶こそ返したが、唯一まともな挨拶をしたサーシャも含めて四人はかなり動揺していた。

 何故なら王女の容姿が想像していものと、あまりにも違っていたからだ。


「(お、おいエイシス! あれのどこが『男の子』だ!)」


 と、エドワードが小声でアリシアを問い質す。


「(王女さま、ガチで綺麗じゃねえかよ! つうかお前より断然スタイルがいいぞ! もはや比較にもなんねえよ!)」


「(う、うっさいわね! オニキス!)」


 愕然とした内心を隠しつつ、アリシアは反論する。


「(少なくとも一年前までは間違いなくツルペタだったのよ! あの子は!)」


 そう言い返してから、アリシアは改めて玉座の横に佇むルカに目をやった。

 一年ぶりに会う妹分は、まるで別人を思わせるほど見事に成長していた。

 当時はまだあどけなさが目立っていた顔立ちからは少しだけ幼さが消えて、前髪を上げている今は生来の綺麗さが浮き彫りになっている。それだけでかなり印象が変わっているのだが、何よりプロポーションが想定外だった。

 引き締まった腰つきに、サーシャには届かなくとも豊かと表現できるほどの双丘。両肩を露出するタイプのドレスのため、多少強調されているとは思うが、プロポーションという点では同年代の平均を大きく凌駕しているに違いない。


(う、う、そ……でしょう)


 自分の知る妹分は、一体どこに行ってしまったのだろうか。

 アリシアは、ちらりと自分の胸元と妹分のそれと見比べて唖然とする。

 忌々しいが確かにエドワードの指摘通りだ。

 これはどう見ても比較にならない。完全にレベルが違っていた。


(わ、私って、ルカにまで負けてるの……?)


 アリシアはみるみる青ざめていく。

 これは流石にショックだった。

 たった一年で、妹分にこうも差をつけられるとは……。

 しかも年齢的に見れば、ルカはアリシアより一歳ほど年下だ。この差は永久に縮まらないどころか、どんどん広がる可能性がある。


(な、何が違うの? た、食べ物なの? いえ……)


 アリシアは、アティス王の隣にて座るサリア王妃にこっそりと目をやった。

 若々しさに溢れるルカの実のお母さま。

 そのスタイルは群を抜いている。恐らくサーシャやオトハにも劣らない。


(く、うゥ……)


 アリシアは内心で、グッと唇を噛みしめた。

 ――そう。考えてみれば、ルカにも大いなる可能性は充分にあったのだ。

 彼女の今の姿は、それが順当に現れ始めているだけに過ぎないということか。


(すべては生まれた時から決まっていたと言うの!?)


 あまりにも非情な現実に、アリシアは再び愕然とした。

 謁見中でなければ、後ずさっていたのは間違いないだろう。


(な、何て事なの……)


 ただただ、肩を振るわせるアリシア。と、その時だった。


「(あはは、驚いたね。アリシア)」


 朗らかな声で、隣に立つサーシャがそう告げてきた。

 アリシアは少しだけ顔を動かして親友の横顔を見やる。


「(ルカってば、もの凄く綺麗なったよ)」


 サーシャの声には一切の焦りはなかった。すでに動揺もしていない。

 再会直後は少しばかり驚いていたようだが、今は純粋に妹分の成長を喜んでいた。横顔からその感情がはっきりと分かる。


(……うゥ、サーシャあ)


 アリシアは、静かに拳を握りしめた。

 親友の反応は当然か。アリシアだってルカの成長は喜ばしく思う。

 ただ一点だけ違うのは、サーシャはまだまだルカよりも『格上』なのだ。

 そこがアリシアと決定的に違っているのである。

 アリシアは一瞬血の涙でも流しそうな表情を見せるがグッと唇を噛みしめ堪える。

 サーシャに罪はない。ルカにも罪はないのだ。

 あるとすれば、生まれながらにして定められた貧富の差だけだった。


「(そ、そうよね……。ルカは綺麗になったわ)」


 結局、アリシアはそんな同意の呟きだけを絞り出した。


「あ、あの、お父さま」


 するとその時、話題の当事者たるルカが父であるアロスに視線を向けた。


「その、久しぶりの、再会ですので」


 と、懇願するような眼差しを父に送る。

 アロスはふっと苦笑を零した。


「分かっておる。そんな目をするでない。ルカよ」


 言って、アティス王はアリシア達に目をやった。


「さて。我が国の英雄たちよ」


 王の言葉に、アリシア達は表情と姿勢を改めた。


「こたびの謁見は我が娘が帰国したことを告げるためのものである。お主らはルカと年代も近く、ぜひとも交友を深めてほしいという意図からじゃ。特にお主らの内二人はすでにルカの友人でもあるからの」


 そう言って、アロスは優しい眼差しでサーシャとアリシアを見つめた。

 まるで好々爺のような笑みに少女達の顔から緊張が解れていく。

 アティス王は目尻を細めた。


「しかし、格式ばった謁見などでは親睦は大して深まらんじゃろう。それに親が同伴ではお主らも何かと話しにくかろう」


 そこでアティス王は一拍置くと、豊かな髭を撫でながら告げる。


「畏まった謁見はこれにて終わりじゃ。後はお主らだけで親睦を深めるが良い」

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