第213話 夜に吠える狂犬③
驚いたのは、アッシュだけではなかった。
「…………え?」
空を駆ける《鳳火》の操縦席の中で、ミランシャは小さな声をもらした。
が、そんな悠長なこともしていられなかった。
目の前には今、大きな爪が迫っているのだから。
「――クッ! 《鳳火》!」
ミランシャは舌打ちして、愛機に回避を命じた。
緋色の大鳥は即座に応え、鋼の翼を羽ばたかせて、さらに上空に飛翔する。
と、同時に黒い爪が、一瞬前まで《鳳火》のいた場所を切り裂いていく。
「……嘘でしょう。まさかこいつら」
そしてミランシャが眉をひそめて眼下を見やる。
そこには――彼女の愛機のすぐ真下には、五機の鎧機兵がいた。
全員がイアンの部下。黒犬兵団の五機の姿だ。
彼らの機体は、両肘の筒から莫大な恒力を噴出して空を飛んでいたのである。
(――いや、少し違うみたいね)
ミランシャはすっと目を細めた。
よく見れば、飛翔している訳ではなさそうだ。
肘の大筒から恒力を噴出しているのは間違いない。
だが、それは十数秒間だけ。その後は恒力切れになるようだ。
言わば、彼らは数百セージルの距離を大跳躍したのだ。
そして恒力切れに陥ると、その場に構築系の《黄道法》で足場を一時的に構築。数秒後に再び跳躍する。そういう戦闘スタイルのようだ。
(これはまた器用な事をするわ)
再び襲い掛かる一機の攻撃を回避し、ミランシャは少し感嘆した。
方法は少々変わっているが、まさか、自分の愛機以外で空を飛翔する鎧機兵がいるとは思わなかった。流石に興味が引かれる。
(けど、あんまり悠長に見物する暇もないか)
ミランシャは苦笑を零した。
黒犬達は器用に肘の大筒を操作して《鳳火》に襲い掛かってくる。今のところ回避しているが、一度でも攻撃を受ければ装甲の薄い《鳳火》では大破しかねない。
これは充分すぎるほど危険な状況だった。
「……思えば、こんな状況は初めてね」
ミランシャはポツリと呟いた。
この空は彼女の独壇場だった。未だかつてこの舞台に立った者などいない。
しかし、今は違う。
目の前には、自分を殺そうとする敵がいる。
今まさに、彼女の統べる空は、戦場と化したのだ。
『――ふっ!』
小さく呼気を吐いて右腕を振るう黒犬の一機。
その爪は、わずかにだけ《鳳火》の翼を削り取った。
(………む)
ミランシャは不快そうに眉をしかめた。
どうやら少しずつ練度が上がっているようだ。狙いが正確になって来ている。
そろそろ対策を講じないと、流石に危険だった。
ミランシャは愛機を一旦高く飛翔さえ、改めて眼下を見やり、
『さて。どうしてやろうかしらね』
そう呟くのだった。
◆
『まさか、空を飛ぶとはな』
アッシュは、一機だけ残った《ガラドス》に視線を向け、皮肉気に笑う。
『素直に驚いたぞ。結構無茶をするんだな、黒犬兵団ってのは』
『ふん。あんな真似をするのは我々だけだ』
対し、イアンもまた皮肉気な笑みを見せた。
続けて、愛機に自分の胸部装甲を、軽く打たせて、
『この《ガラドス》も含め、《蒼天公女》との戦闘を想定した機体だ。もはや空はあの女の支配下にはない』
と、誇らしげに語る。
『さらに言えば《鳳火》には戦闘力もない。あの女が落ちるのも時間の問題だ』
そしてイアンは勝利宣言をする。
が、それに対し、アッシュは《朱天》の中で苦笑を浮かべた。
『おいおい、本気で言ってんのか、お前』
『……なんだと?』
イアンは訝しげに眉根を寄せた。
『一体、それはどういう意味だ。《双金葬守》』
と、単刀直入に尋ねてくる。
すると、アッシュは深々と嘆息し、
『まあ、確かにミランシャの機体は戦闘用には思えねえよな。装甲も薄いし、これといった武器もねえしな。あくまで空を飛ぶだけの機体に見えるか。実際、俺の騎士時代の頃も僚機の運搬ばっか担当することが多かったしな』
そこで一拍置いて《朱天》が肩をすくめた。
『だがな、本来あいつは空の女王なんだぞ。空であいつに勝てる奴なんていねえよ。つうか、多分お前ら女王さまの逆鱗に触れたぞ』
『……なに? 逆鱗だと?』
イアンがわずかばかり表情を険しくした――その瞬間だった。
――ズズウンッッ!
突如、後方にて響く轟音。
アッシュが『ほらな』と嘯く中、イアンは危険を承知で後ろを確認した。
すると、そこには――。
『な、なん、だと……』
イアンの部下の一人。大地に亀裂を刻んで倒れ伏す僚機の姿があった。
『ば、馬鹿な!?』
愕然としながらも、イアンは部下の機体の様子に目をやる。
落下の衝撃で無残にひしゃげた四肢。胸部装甲には、両断でもされかけたような深い斬線が走っていた。多大な損傷を受けた僚機は、ピクリとも動かない。
それも当然だ。機体の損傷以前に、およそ数百セージルの高さから落下したのだ。中の操手がただで済む訳がない。
『なっ、だから言ったじゃねえか。無粋な連中が自分の庭園に勝手に入りゃあ、女王さまがお怒りになるのも当然だろ?』
と、アッシュがそんな冗談を飛ばす。
イアンは、ギシと歯を軋ませた。
そして苛立ちと共に、部下達が戦っている空に視線を向けた。
『くそッ! 一体どうなっているんだ!』
『――クッ!』
遥か天空にて、黒犬の一人が呻き声を上げた。
肘の大筒からの恒力が切れた彼の機体は、一旦不可視の台座に着地する。
『お前達ッ! 焦るな! 冷静になってあの女の動きを読むんだ! こちらの方が数は圧しているんだ! じっくり挑めば負ける要素はない!』
そして残る三人の仲間にそう指示を飛ばすが、
『あら、そんな単調な動きしか出来ないのにまだ勝てると思っているの?』
『――ッ!?』
すれ違いざまに聞こえた鈴が鳴るような声に、ゾッと背筋が凍りつく。
だが驚愕する暇もなく、その直後には、彼の愛機はバランスを大きく崩していた。
死角から高速接近した《鳳火》の翼によって、愛機の両足が切断されたからだ。
《黄道法》の放出系闘技――《無光刃》。
本来は不可視の刃を武器に纏う闘技なのだが、《鳳火》はそれを翼で行ったのだ。
『う、あ……』
もはや、絶叫さえも上げる間もなく。
その黒犬は、地表に向かって墜落していった。
ミランシャは、その光景をどこか悲しげな眼差しで見届けた。
ともあれ、これで残る黒犬の鎧機兵は、イアンを除けば三機だけだ。
『さあ、残りはあなた達だけよ。どうするの?』
と、ミランシャが尋ねる。
それは、空の女王の最後の慈悲。最後通告であったのだが、
『まだだ! 我々はまだ負けた訳でない!』
三機の黒犬達の闘志を消すことは出来なかった。
肘に大筒を持つ黒い鎧機兵達は、莫大な恒力を噴出して飛翔した。そして宙空にて滞空する《鳳火》めがけて、同時に爪を振るう――が、
『……馬鹿な人達』
ミランシャの呟きと共に驚愕する。
突如、空中に吹き荒れた突風に機体の自由を奪われたのだ。
さらに突風は《鳳火》を中心に円を描いて竜巻と化す。
《黄道法》の放出系闘技――《螺旋空》。
特定の出力と調整した方向から恒力を放出し、空気の流れを操作する……間接的ではあるが自然さえも操る高等闘技だ。
ミランシャが得意とする闘技。まさしく空の女王の技だ。
『うおおおおおッ!』『があああッ!?』『くそがああああッ』
三者三様の絶叫を上げる黒犬達。
しかし、自然の猛威は手加減などしない。
空の女王が操る竜巻は完全に飛行能力を奪うと、さらに回転を増し、三機を空の 彼方へと吹き飛ばして行った。わざわざトドメを刺す必要などない。
ただ、それだけで充分だった。
そして《鳳火》を操るミランシャは堕ちゆく三機を見やり、
『……本当に馬鹿ね』
小さく嘆息してこう告げた。
『覚悟もなく空に上がらないでちょうだい。ここはとても危険なのよ』
『………………』
その光景を、イアンは歯軋りして見据えていた。
僚機達は遥か遠方へと墜落していく。あの高さでは到底助からないだろう。
これで、イアンの仲間達は全滅だった。
『あのな。ミランシャが弱い訳がねえだろ』
その時、《朱天》に乗ったアッシュが声をかけて来た。
青年の声色は、少しばかり呆れたような雰囲気を持っている。
イアンは《ガラドス》を反転させると、憎悪さえ込めて《朱天》を睨みつけた。
対し、アッシュは《朱天》の操縦席で腕を組む。
『空を飛ぶってのは圧倒的なアドバンテージだが、それだけで《七星》の称号を得られる訳がねえだろ。あいつも強いのさ』
そう嘯くアッシュに、イアンはギリギリと歯を軋ませた。
そして一拍置いて、ゆっくりと口を開き、
『貴様らに私達の何が分かる……』
逆恨みを承知の上で怨嗟の言葉を言い放つ。
『我々は幼い頃から必死に訓練を課して今の力を手に入れた。血ヘドを吐いて磨きあげた自分の力には自信があったよ。だが、現実はどうだ。私達が死に物狂いで手にした力は、あんな才能だけのお嬢さま相手にも容易く敗れる』
それは完全な『泣き言』だった。
だが、アッシュは静かに耳を傾ける。
『結局あの《木妖星》の言い通りだ。努力とは「水」であり、才能とは「種子」のようなもの。どれほど努力をしようと持って生まれた才能には限界がある。人間は平等でない。お前やあの女は生まれながらの「獅子」で、私達は「犬」ということだ』
『…………』
アッシュは、イアンの言葉を黙って聞いていた。
が、すぐに『やれやれ』と小さく嘆息すると、
『「種子」に「水」か。「木」の《妖星》だけあって《木妖星》のジジイは植物に例えんのが好きみてえだな』
そう呟いた後、イアンの《ガラドス》を一瞥する。
『けどよ。一つ反論すっぞ。俺はお前の言う「獅子」なんかじゃあねえよ。生まれつきなんてとんでもねえ』
そう言って、自虐の笑みを見せるアッシュ。
彼の言葉はさらに続いた。
『それに俺に才能があったかどうか分かんねえが、俺が自分に注いだのは「努力」なんかじゃねえよ。俺が注いだのは――死ぬほどの「後悔」と「狂気」だ』
文字通り『死ぬ』ほどの『後悔』と『狂気』。
それこそが、アッシュの力の根源だった。
才能などの単純な言葉では当てはまらない力だ。
『他の《七星》はともかく、少なくとも俺の力は真っ当な代物じゃあねえよ。何でもかんでも才能で片付けてんじゃねえ。まあ、何が言いてえかっていうとな』
そしてアッシュは自身の白い髪を一房触り、淡々と告げる。
嘘偽りのない本音の言葉を。
『結局、俺は――ただの「鬼」なんだよ』
『…………』
そう告げるアッシュに、イアンはしばし沈黙する。
そして十数秒間、奇妙な沈黙が続き……。
『……ふん。「鬼」だろうが「獅子」だろうが同じことだ。お前には怪物の才があった。私にはない。それだけが事実だ』
ただ、そう返した。
そして睨み合う《ガラドス》と《朱天》。
『もう会話の必要もないだろう』
イアンが言う。
『いよいよ始めるぞ。《双金葬守》』
続けて、手の平の中の小筒の蓋を開けた。
対し、アッシュは神妙な声で『そうか』と呟き、
『どうしてもやんのか? お前の持つ薬がどんなもんなのかは調べてんだろ?』
『ああ、重々承知しているさ』
イアンは平静な顔つきで答える。
『生存率3%。それが「犬」が「獅子」に生まれ変わるためのリスクだ』
『……そんな確率でよくやる気になるな』
アッシュは渋面を浮かべてそう告げるが、イアンは苦笑で返した。
『そうか? むしろお前には私の気持ちが分かるのではないか? なにしろお前は「獅子」であると同時に「鬼」なのだからな。力に対する執着は私にも劣らんだろう。違うか?』
と、そんなことを問われ、アッシュは沈黙した。それには返す言葉がない。
沈黙する敵を一瞥し、イアンは不敵に笑う。
『邪魔はしないでもらおう。私は今、生まれ変わるのだ』
そう言って、彼は小筒の中の液体を飲み干した。
無味の液体が喉を通り抜け、体内に浸透していく。
途端、ドクンッと心臓が大きく躍動した。
視界が歪み、大量の汗が額に浮き出る。操縦棍を握る手にも震えが来る。
イアンは全身に『根』が張られるような感覚を覚えた。
事実、今彼の全身には新たな神経が根を下ろしているのだろう。
『ぐうう、ああああ……』
零れ落ちる呻き声。
その声は、徐々に大きくなり――。
『グアアアアアァアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアア――ッッ!!』
そしてイアンの絶叫が、森全体を覆うように轟いた。
それは、まるで狂いし犬の咆哮のようであった。
『……やっちまったか』
一方、アッシュは静かに呟く。
その表情には、ほんの少しだけ憐憫の色があった。
『もう戻れねえぞ。てめえは死ぬ』
そうはっきりと宣告するアッシュに対し、
『か、かかかかッ! し、死にはああ、しななぁい、さあああぁ』
溢れるように唾液を垂らし、イアンはアッシュに答える。
彼の眼差しは血走り、真紅で塗りつぶされていた。
『わわ私はあぁあ、お前えェと同じいィ「獅子」になるのだあああッ!』
大量に摂取した《
自身の異常にも気付かず、恍惚とした表情でイアンはそう絶叫した。
『……てめえの言う「獅子」ってのが、いまいち納得できねえんだが……』
アッシュはかぶりを振った。
機体越しであっても、理性を失いかけている声を聞けば分かる。
恐らくイアンは失敗した。《
(……それがお前の結末か)
ジルベールからの情報が正しいとすれば、あと十分もしない内にイアンは絶命する。
もう助けようもない。その事実にわずかばかり胸が痛む。
この眼前の男も《木妖星》に運命を弄ばれたと思うと、少し同情も湧くが、
『だが、それもお前が選んだ道なんだよな』
結局のところ、そんな結論しかならない。
自分の人生は自分の物だ。
選んだ選択肢に、言い訳など出来ない。
『なら死にゆく者への手向けだ。せめて最後まで付き合ってやるよ』
アッシュは静かに、そう呟く。
そうして鋼髪の『獅子』と、狂いし『犬』は改めて対峙する。
『があああああああッああああああああああッああああああああ――ッッ!!』
夜の空に再び響く狂犬の咆哮。
対し、『獅子』は、哀れな男に引導を渡すべく静かに身構える。
そして数秒後、互いに真直ぐ駆け抜ける黒い二機。
静かな森を、轟音が切り裂くのだった――。
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