第208話 『獅子』と『犬』②

(……おや?)


 馬に乗るその行商人は、不意に小首を傾げた。

 そこは、鉱山街グランゾから王都ラズンへと続く街道。

 広い草原に跨る多くの人間や馬によって踏み固められた道。特に柵などはなく、馬車が一台ほど通れるかどうかの細い道だ。


(珍しいな。この街道にあんな豪勢な馬車なんて……)


 行商人は眉をしかめた。

 彼の視線の先には、一台の馬車の姿があった。荷を運ぶ幌馬車とは大きく違う、四角いキャビンを持つ貴族が使用するような上質の馬車だ。

 それ加え、周囲に護衛役なのか、黒い執事服のような服を着た者が五人ほど、それぞれ馬に乗って先導している。

 とても鉱山街に続く街道で見かけるような光景ではない。


(まあ、何にせよ避けるしかないな)


 この道は馬車がようやく通れるほど狭い。

 ならば、彼の方が道を開けるしかなかった。

 互いの距離が近付いた所で行商人は手綱を操り、馬を街道から少し移動させた。

 すると、護衛役らしき五人が会釈してきた。


「これは申し訳ない」


 そしてすれ違いざま、五人の先頭を進むリーダーらしき男性が感謝を述べる。


「いえいえ、お気になさらず」


 行商人も少し馬の速度を緩めて挨拶をした。


「それにしても豪勢な馬車ですね。これからグランゾに?」


 その問いに対し、リーダー格の男性が「ええ、そうです」と答える。


「実は私どもの主人に少々私用がございまして。グランゾにはこの道を真直ぐ進めばよろしいのでしょうか?」


 そう尋ねる男に、今度は行商人が「はい、そうですよ」と答えた。

 それから、ふとあごに手を当て、


「ああ、それだったら……」


 行商人は指先をグランゾの方角へと向けた。


「ご存知かもしれませんが、この街道を少し進むと大きな森が見えます。魔獣も棲む森だそうなのでお気を付け下さい。もし休憩されるご予定ならば、そこからもう少し街道を進む事をお薦めしますよ。一時間も進めば宿泊用のコテージもありますので」


「そうですか。ご助言ありがとうございます」


 そうやり取りし、行商人と馬車の一同は完全にすれ違った。

 彼らはもはや見向きもせず、互いに黙々と目的地に向かって進む。

 そうして十分程が経ち……。


「ヒヒーンっ!」


 馬が嘶きを上げて、足を止めた。

 街道にて停車した馬車の隣には、大きな森の姿があった。

 行商人が危険だと話していた森である。

 その時、おもむろに馬車のキャビンの扉が開いた。


「……魔獣の棲む森か」


 馬車の中から出て来た彼らの隊長――イアン=ディーンが呟く。

 そして森の上方へと視線を向け、空を見上げた。

 雲の流れる空はすでに茜色に染まっている。


「日が傾き始めたな」


 余裕をもって行動していたのだが、思いのほか移動に時間がかかってしまった。

 これは、少しばかり急いだ方がいいかもしれない。

 イアンは、馬から降りて整列する七人の部下に目をやった。


「ここからは徒歩だ。目的地に向かうぞ」


「了解しました」と声を揃えて応える部下達。


 すると、その中の一人がイアンに問う。


「隊長。馬と馬車はどう致しましょうか?」


 その問いに対し、イアンは森の一角に視線を向ける。

 続けてあごに手をやると、「そうだな」と呟き、


「馬はその辺の幹に。馬車は少し街道から離れたあの場所にでも隠せばいいだろう。先程の行商人の話ならばこの辺りには人は近付かないようだしな」


「了解しました」


 そうして二人の部下が馬車を移動させる。他の部下達は、馬の手綱を近くの樹の幹に括りつけていた。それはものの数分で完了する。


「さて。では、改めて出発するぞ」


 と、イアンが出立を告げる。

 そして深い森の中に立ち入る黒犬兵団の一行。

 彼らは会話もなく黙々と歩を進めた。


(……ふむ)


 イアンは周囲に目をやり、小さく首肯する。

 周辺の木々の背こそ高いが、その間隔はかなり広い。意外と開けた森だった。

 生い茂る繁みは少々邪魔ではあるが、足をとられる程でもない。


(大体、報告通りだな)


 イアンは、部下の一人の背に視線を向けた。

 先頭を進むのは、意外にも隊長であるイアンではない。前もって『例の場所』を下見した部下の一人だ。彼が案内役なのである。

 これから向かう所は、作戦を決行する重要な場所。勿論、この周辺の地理や環境は、イアンを始め、ここにいる全員が知識として頭に叩きこんでいるが、やはり案内は実際にその場に行ったことのある人間に任せる方のが一番効率がいい。


 と、その成果もあってか、一時間もしない内にイアン達は目的地に到着した。

ザザザッ、と繁みをかき分け大きな広場に出る八人の男達。

 そこは大きな湖がある場所だった。視界の端には水を呑む小動物の姿がある。

 この森における憩いの場所と言ったところか。


「中々よい風景だな」


 イアンは苦笑を浮かべた。

 この場所なら、長距離間移動の休憩ポイントには持って来いだろう。


「まあ、この光景が荒れることにならなければいいのだがな」


 続けて、皮肉気にそう呟く。

 いずれにせよ、ようやく到着だ。空には星が瞬き始めている。

 いよいよ彼らが最も得意とする時間。夜の訪れだ。

 と、その時だった。不意に風を切るような轟音が鳴り響いた。

 全員が空を見上げて神妙な様子で息を呑む。

 推測した時間よりもかなり到着が早い。


「――隊長」


 部下の一人が鋭い声を上げる。と、


「ああ、分かっている。一旦、繁みに隠れるぞ」


 イアンはそう指示し、彼も含めた八人は繁みに身を潜めた。

 と、同時に天空にて緋色の光が横切った。

 全員が、夜空に目をやった。


「……ある意味、タイミングがいいな」


 イアンは口角を崩してそう呟く。

 視線の先にいるのは、雄々しく空を舞う緋色の『鳥』。

 彼の標的であるその鎧機兵は、悠々と夜の空を旋回していた。

 そして緋色の鳥は自分の存在を誇示するかのように、しばらくは旋回を繰り返していたのだが、不意に下降し、両足で掴んでいたコンテナを丁重に下ろした。

 ズズンと響く重いコンテナの音。

 その後、湖の前に、緋色の機体も着陸する。

 地に降り立った緋色の『鳥』は、大きな翼を折り畳んだ。


 ――プシュウ、と。


 続けて、空気が抜ける音が広場に響いた。

 同時に緋色の胸部装甲が、ゆっくりと上方に開いた。

 そして機体の中から出て来たのは、赤毛の美女だった。

 彼女は身体を解すように、両手を上げて大きな伸びをした。

 その仕草は、どこか気ままな猫を思わせる。


(まったく。本当に呑気なものだ)


 その様子を見やり、イアンは侮蔑するような笑みを浮かべた。

 全くもって世話の掛かる女だ。しかし、それでもあの女は、これからの彼の計画にとって必要になるのだ。丁重に扱わなければならない。


「(お前達はここで待機だ。だが、いつでも鎧機兵を喚べる準備はしておけ)」


 イアンは部下達にそう命じると、自分はおもむろに繁みから身を出した。

 ――ザッザッザ……。

 黒犬兵団の部隊長は、堂々とした立ち姿で赤毛の女性に近付いて行く。

 すると、彼女――ミランシャ=ハウルはようやくイアンの存在に気付いた。

 そして、祖父によく似たその紅い瞳を大きく瞠る。


「……あなたは、確か……」


「ご機嫌麗しく存じ上げます」


 一方、イアンはその場で足を止めると、胸に手を当て深々と頭を垂れた。


「御迎えに上がりました。ミランシャさま」

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