第202話 見通す眼③
それは、朧月が輝く夜のこと。
わずかに月光が差し込む仄暗い森の中に彼らはいた。
『……ふん、これが今の黒犬なのか。随分と質が悪いな』
そう呟くと同時に、深緑色の鎧機兵の胸部装甲が、ゆっくりと上に開く。
そして操縦席に座る操手――全身に纏うのは漆黒のスーツ。灰色の髪と頬まで覆う顎鬚が印象的な男が、皮肉気に笑った。
「ジルベールめ。さては人材に困り果てていると見える」
男の年齢は四十代半ばほど。ただ、恐らくそれは見た目だけだ。
全身から放つ老獪な気配が、実年齢はもっと上であることを示している。
事実、報告書ではこの男の年齢は七十を超えているらしい。
「ば、化け物め……」
大破した愛機から這い出て、重傷のイアンは呻き声を上げる。
すでに彼の部隊は、無残に全滅していた。
完膚なきまで操縦席ごと潰された機体の残骸。この男を抹殺するためだけに構成された十数人の兵士が、イアン以外全員絶命している。
(ここまで力の差があるのか……)
イアンは拳を握りしめ、血が滲むほど唇を噛みしめた。
それは、あまりにも一方的な虐殺だった。
大人と子供どころではない。人間と虫ケラほどの力量の差。
正直侮っていた――いや、想像もしていなかった。
こんな化け物が存在することを。
「ほう。まだ息のある者もいるのか」
すると、男がイアンの存在に気付いたようだ。
おもむろに機体から降りると、高齢であることを全く感じさせない足取りで、倒れ伏すイアンの元へと近付いてくる。
(……トドメを刺す気か)
状況からしてそうなのだろうが、イアンには何も出来ない。
敗者として、甘んじて命を奪われるしかなかった。
しかし、男はイアンの傍らで足を屈めると、特にトドメを刺す様子もなく、
「……ふむ」
そう呟いてあごに手を置き、イアンを観察する。
イアンは眉根を寄せた。何故トドメを刺さないのか。
すると、男はふうと嘆息し、
「貴様、戦いの才能がないな」
「な、なん、だと……」
イアンは目を見開く。
これでも二十代にして黒犬兵団の一部隊の隊長を担う者。
才能がないなど今まで言われたこともない。
しかし、目の前の男を睨みつけ、すぐに思い直す。
(いや、この化け物からしてみれば私程度など才能がないに等しいのか)
ここまで一方的に殲滅されれば当然の判断か。
が、イアンのそんな考えを見抜いたのか、男はふんと鼻を鳴らした。
「貴様、今俺と自分を比較したな。自分に才能がないと認めたくないか。その若さでは仕方がないのかもしれんな。ならば、ここはあえて言い直してやろう」
男はイアンの髪を掴み、ニヤリと笑って告げる。
「貴様には怪物の才はない。精々一流どまり。それが貴様の才だ」
「…………」
何も答えないイアンに対し、男はさらに言葉を続ける。
「人間の強さとは才能で決まる。これは間違いなく真理だ。世の中、努力に勝る才能はないとほざく輩もおるが、そいつらはただのアホウだ」
「…………」
才能に恵まれた者の傲慢な考え。
その不快感を抱かせる持論に、イアンは睨みつけるような視線を向けた。
すると、男は大仰に肩をすくめて。
「例えるなら才能とは『種子』。努力とは『水』だ。いくら必死に『水』を注ごうとも『種子』がなければ花開くこともない。所詮、努力は才能を磨くための手段にすぎんのさ。人間は才能によって辿りつける領域が決められているのだ」
そこで男はふっと口角を崩した。
「かくいう俺も才能はない」
「な、なに……?」
思いがけない台詞にイアンは目を見開いた。
これほどの猛威を振るった男に才能がないなど何の冗談か。
しかし、男の瞳は真剣だった。
「少なくとも若き日のジルベール。そして俺の八人の同僚に比べれば才能はないさ。いくら努力しても奴らには到底及ばん。そこそこの牙を持とうとも、貴様や俺は結局『犬』どまり。『獅子』にはなれん。俺はそれが悔しくてな」
言って、男は懐から掌に収まるほどの小さな筒を取り出した。
「だから研究したのさ。才能ではない別の強さをな」
「別の……強さ?」
と、言葉を反芻するイアンを、男は楽しげに見据える。
そして手に持った小筒を、子供の玩具のように何度も宙に放り投げる。
「この筒の中にはとある植物から精製した液体が保管されている。これを服用すれば才能の器を拡大させることが出来る――いや、付け加えると言った方が適切か」
「……ふん。要はただの薬物か」
少々肩すかしをくらい、イアンは鼻で笑った。
薬物の使用など裏の人間ならばさほど珍しくもない手段だ。
が、それに対し、男は静かに目を細めた。
「そんな生易しい物を俺が持っていると思うのか?」
「………ッ!」
不意に膨れ上がった圧力に、イアンは息を呑んだ。
男は小筒で遊ぶのをやめ、すっとイアンに差し出す。
そして淡々と言葉を続けた。
「これを服用すれば文字通り世界が変わるぞ。凡庸な貴様でも怪物の領域に足を踏み入れることが出来よう。まあ、当然リスクはあるがな」
そこで男はふっと笑う。
「どうだ? 貴様も使ってみる気はないか?」
その提案に、イアンは大きく目を剥いた。
「な、何故、私に……」
「ふん。ジルベールに対する嫌がらせ――と言うよりも同類相憐れむと言う奴だ。貴様は俺によく似ている。いずれ才能のなさを痛感することになるだろうからな」
そう告げて、男は小筒をイアンの前に置いた。
「……そんなもの、私は……」
「まあ、使うか使わないかは貴様次第だな。さて、俺はそろそろ行くぞ。小僧。縁があればまた会おう」
男は一方的にそう告げると、愛機に乗って立ち去っていった。
残されたのは、唯一の生き残りであるイアンだけ。
「……私は……」
今までの修練も苦労もすべてが無駄。
お前は『獅子』などにはなれない。
そう宣告されたようで、イアンは歯を軋ませる。
感情が焼け切れたような屈辱と、強い虚脱感が彼を襲う。
「私は『犬』のままなのか。それとも『獅子』になれるのか……」
イアンは、それ以上は何も語らなかった。
ただ、残された小さな筒に手を伸ばし、グッと握りしめて。
心に迷いを抱きつつ、イアンは意識を失った。
「……ふん。呑気なものだ」
そしてアティス王国・市街区のとある宿屋の一室にて。
木製の椅子に座り、イアン=ディーンは数枚の資料に目を通していた。
続けて彼は皮肉気に笑う。
「政略結婚から逃げ出しておきながら、新婚ごっことはな」
それはイアンの部下が製作したここ一週間半ほどの、『お嬢さま』の動向を監視した報告書だった。彼女の言動、行動範囲が詳細に記されている。
「お嬢さまはかなり広範囲で行動されています。どうされますか」
と、尋ねるのは後ろ手を組んで直立不動に構えるイアンの部下の一人だ。
彼の他にも同様の姿勢で七人の男達がいる。
全員がイアンの部下だった。
「そうだな」
イアンは報告書をパンと片手で叩いた後、部下達を一瞥し、
「お前達の報告書によると、お嬢さまには得意先がいるようだな。それならば行動範囲が広くとも行き先は読みやすい」
「では、その得意先で待ち伏せを?」
と、部下の一人が尋ねる。
まさに定石の提案なのだが、イアンは首を横に振った。
「いや、それは無用な騒動になりかねん。空を飛ぶと言うのは想像以上に疲労する。それはお前達も知っているだろう。ならばわざわざ街中で待ち伏せする必要もない」
そう告げてから、青年はポケットから例の小筒を取り出し、グッと握りしめた。
「それに、私は覚悟を決めたぞ」
「「「ッ!」」」
部下達は息を呑んだ。が、騒いだりはしない。
イアンの意志は、すでに聞かされていたからだ。
彼らは黒犬兵団の中でもイアンの腹心の部下達だった。
言ってみれば、彼の手足とも呼べる私兵である。
「さて」
そして忠実なる部下達に目をやり、イアンは皮肉気に笑う。
「そろそろ計画を始めることにするか」
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