エピローグ
第189話 エピローグ
「……なんか納得いかないわ」
ぼそり、とアリシアが呟く。
「思うんだけど、今回の事件って、ユーリィちゃんもサーシャもちゃっかりアッシュさんに甘えているのよね」
そこは、クライン工房の二階。
普段からよく溜まり場にしている茶の間だ。
そこでアリシアは卓袱台に頬杖をつき、不機嫌そうに膨れていた。
今、その場には卓袱台を囲んでアリシア、サーシャ、ユーリィの三人。
そして、終始ご機嫌なオトハが座っている。
ちなみに、アッシュ達男性陣は街に買い出しに出かけていた。
「……むう」
アリシアは呻き、紫紺の髪の女性をジロリと睨みつける。
「特にオトハさんはずっとホクホク顔だし。肌までツヤツヤになったみたい」
と、感想を告げると、オトハは少し首を傾げて、
「ん? そうか? そんなことはないぞ」
と、満面の笑みで返してくる。
アリシアは半眼でオトハを見つめた後、ふうっと嘆息した。
隣で並んで座るサーシャとユーリィも、どこか不満げな顔をしている。
今回の事件の真相は、アッシュ達から聞いていた。
正直、ジラールの裏にいた存在にはかなり驚いたが、それはすでに決着した事件。
アリシア達にとって、一番気になるのは今回のオトハの扱いだった。
話を聞く限り、今回のオトハは完全に『お姫さま』だった。
悪漢に攫われ、貞操の危機寸前に『王子さま』が颯爽と現れて救出。その後は「お前を守る」と王子さまに告げられ、言葉通り守り通されるのだ。
まさにその役割は英雄譚の『お姫さま』。
実際のところは、怖ろしく危うい状況だったのでかなり不謹慎ではあるが、結果論だけで言えば、垂涎モノのシチュエーションである。
事件の際、オトハが、さりげなくアッシュに甘えまくったのではないかと邪推してしまうのも仕方がないことだった。
特に、あのホクホクツヤツヤした顔を見せられては。
「………ずるい」
アリシアがぶすっとした顔で言う。
「今回、私だけアッシュさんに構ってもらってない」
「……アリシアさん」
と、そこでずっと沈黙していたユーリィが呟く。
「気持ちは分かるけど、その感想は直球すぎ」
「あはは、まあ、今回は色々あったしね」
同様に沈黙していたサーシャも、頬を引きつらせながら口を開いた。
結局今回の事件だが、アンディ=ジラールは再び投獄。禁固刑・四十五年と大幅に刑期が延び、廃棄区域の魔獣の存在は騎士団によって秘密裏に処理された。
かなりの大騒動ではあったが、なんだかんだで、サーシャ、ユーリィ、オトハの三人はそれぞれがアッシュと親密になる機会があったのだ。
――そう。アリシア以外の全員に役得があったのである。
「はあ……。私も誰かに攫われないかな。それでアッシュさんに助けてもらうの」
と、思わず本音を漏らすアリシアに、オトハは苦笑を浮かべて。
「随分と不謹慎な台詞だな。そんなことを言ったらクラインの奴は本気で怒るぞ。まあ、お前の気持ちも分からなくはないが――」
そこでポンと手を打つ。
「そうだな。なら建国祭でお前をクラインと二人きりにしてやろう」
「…………………えっ?」
アリシアはキョトンとして顔を上げた。
ユーリィ、サーシャも目を丸くしている。
「ちょ、ちょっと待って!」
そしてユーリィが卓袱台に身を乗り出して強く問い質す。
「オトハさん。狂ったの?」
かなり酷い言い出しだった。
「建国祭はクジ引きだったはず。オトハさんは権利を放棄する気なの?」
「いや、クジ引きはやめようという提案だ。と言うより、いっそイカサマをしよう。私達四人が順番でクラインと二人きりになれるように細工するんだ」
と、教官も務める最年長者は、堂々とイカサマ宣言をした。
真面目で公平なオトハのものとは思えない台詞に、少女達は唖然とする。
一体、どういう意図なのだろうか。
すると、オトハは腰に両手を当ててムフーと息をこぼし、
「今の私はかなり無敵だ。これぐらいの
「「「……………」」」
少女達は三人揃ってジト目になると、じいィとオトハを睨みつけた。
これは、事件の晩、実際にどんなことがあったのか要調査なのかもしれない。
とは言え、二人で回る約束をしているユーリィはともかく、サーシャとアリシアにとってオトハの提案はとても魅力的だった。
幼馴染の少女達は互いの顔を見合わせると頷いた。
「分かりました。私は提案を受けます」
「まあ、私も確実に二人で回れる機会は欲しいですし」
と、サーシャとアリシアが告げる。
オトハはこくんと頷くと、ユーリィの方に目をやった。
「お前はどうする? エマリア」
「………私は」
ユーリィは表情を変えずに少し考え、
「私も賛同する。ただ、私がオニキスさんと一緒にならないようにも細工して欲しい」
彼女にとって一番嫌な可能性を排除しにかかった。
オトハは「うむ」と頷き、その提案も承諾する。
これで女性陣の意志は統一された。
「なら、クライン達が戻って来る前にイカサマクジを作らんとな」
「うん。バレないようにしないといけない」
「けど、どうしようか? どうすればバレないかな?」
「まあ、とりあえずオニキスとハルトが高確率でペアになるようにすれば、結構細工がしやすいんじゃない?」
と、作戦会議を開く女性陣。
そうして議論は白熱していくのだった。
ちなみにその頃。市街区では――。
「師匠! 頼むっすよ!」
エドワードが両手一杯に買い物袋を持って、アッシュに懇願していた。
その隣には同じく買い物袋を持ったロックの姿がある。
「ああ~、分かった分かった」
アッシュは苦笑を浮かべてエドワードを見やり、
「もしクジ引きで野郎ペアになったらやり直すでいいんだろ? まあ、運次第だから何とも言えんが、一回ぐらいなら交渉してやるよ」
「マ、マジッすか!」
「やったな! エド!」
エドワードとロックが器用にガッツポーズを取った。
アッシュはやれやれと嘆息する。
「まったく。けどあくまで運だかんな。やり直しは一回だけ。それでいいな」
「はい! もちろんっすよ!」
「その一回だけでも気持ちの在り様は大分違います」
エドワードとロックはそう告げる。
だがしかし、彼らは自分達の運命など知らなかった。
まさか、すでに運の要素がほぼ無くなっているなど夢にも思わない少年達だった。
(まったく。俺もガキの頃はこんな感じだったかな)
アッシュは自身の分の買い物袋を持ち直すと、やたらと元気になった少年達の方に目をやり、どこか懐かしいものを見るような表情を浮かべた。
思えば、アッシュが故郷の村にいた頃は――。
(…………)
そこで白髪の青年は表情を消した。
『お前達が一機で出てくることは分かっていた。以前、姫さまは仰っていた。傷ついた
魔獣と化したあの男の台詞が脳裏に蘇る。
どうして奴は、あの名前を知っていたのか。
その答えは恐らく盟主とやらにある。
――《ディノ=バロウス教団》の盟主。
あの男が『姫さま』と呼んでいたので恐らく女なのだろう。
誰も知らないはずの名前を知っていた女。
果たして何者なのだろうか――。
(まあ、考えても仕方がねえか)
アッシュは苦笑する。
結局、盟主とやらに会ってみなければ答えは出ない。
ならば考えるだけ無駄だった。
ともあれ、今は――。
「とりあえず明日からの建国祭、楽しもうぜ」
アッシュは弟分のような少年達を見やり、ニカッと笑った。
◆
ゴオオオオッ、と。
偽りの夜空の下。轟音が閉ざされた世界に響く。
「……そう。ギシンさんは逝ったのね」
そこは《穿天の間》。
炎の祭壇の前にて、盟主たる少女は小さな声でそう反芻した。
「……はい。申し訳ありません。姫さま」
そう言って、片膝をつくのはクラークだ。
彼は苦渋の表情を浮かべていた。
「ギシン隊長を失い、任務も失敗。いかなる処罰も受ける所存です」
「いえ。あなた達は万全を尽くしたわ。それでも失敗したのは仕方がないことよ。処罰は不要です。報告ご苦労様でした。あなた達は、今はゆっくりと休んで下さい」
「……はっ。では失礼いたします。姫さま」
そう告げて、クラークは背後に出現した黒い扉から退出した。
一人、《穿天の間》に残った少女は小さく嘆息する。
「彼らは万全を尽くした。けど、それでも失敗したのは……」
少女は仮面の下で眉をしかめた。
「やっぱり戦闘力不足ね。私達は弱い」
それが《ディノ=バロウス教団》の大きな問題点だった。
暗殺や諜報には優れているが、正面きっての戦闘力の低さはどうしようもない。
普通の騎士クラスならともかく《七星》クラスが相手だと秒殺される。
綿密かつ慎重に行動し、どれだけ作戦が上手くいこうとも、いざとなれば今回のように力で簡単にひっくり返されてしまう。これが現実だった。
せめて、あの《黒陽社》の《九妖星》クラスの実力者が一人でも欲しかった。
「……やれやれね」
少女はすうっと目を細めた。
そしてカチャリと仮面を外した。初めて彼女の瞳が晒される。
少女は黒曜石のような黒い瞳で偽りの星空を見上げた。
「……やっぱり」
少女は不意に口元を綻ばせる。
「スカウトすべきなのかしら。あの《悪竜の御子》を」
彼女は懐かしさを覚える少年の姿を思い浮かべた。
恐らく彼の戦闘力は《七星》にも劣らない。
血は争えないと言うべきか。まさに喉から手が出るほど欲しい逸材だった。
しかし、あの少年は果たして味方になってくれるだろうか。
「まあ、そこは私の交渉次第かな?」
少女は、口元を押さえてクスクスと笑う。
そして《ディノ=バロウス教団》の盟主は、炎の祭壇を見据えた。
炎が奏でる轟音だけが《穿天の間》に響く。
そんな沈黙の中、数十秒が経過し――。
「……ふふ、ふふふふ……」
少女は炎の前で、くるりくるりと舞い続ける。
それはとても妖艶に。
偽りの夜空の下。《ディノ=バロウス教団》の盟主であり、《
「……ふふふ」
そうして最後に大きく髪を揺らして。
彼女――サクヤ=コノハナは、優しく微笑むのだった。
第六部〈了〉
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