第178話 復讐の鬼②

「……フラム君。今はこの場から離脱しよう」


 と、講堂にいた男性騎士が、サーシャに声をかける。


「奴の狙いは君だ。まずは君の安全を確保しなければならない」


 そこで窓の外にいる四本腕の機体を睨みつけ、


「奴にとって人質の少女は命綱のようなものだ。宣言はただのブラフ。簡単に殺せるはずがない。君の級友は必ず救い出す。だから今は逃げてくれ」


 と、騎士は的確な言葉を告げるのだが、サーシャは渋面を浮かべるだけだった。

 ――いや、どうしてか、生徒全員が同じような表情を浮かべていた。


「いや先輩。そいつはまずい」


 と、語り出したのはロックだった。


「俺達はあの男と直接面識がある。だからこそ分かるんだ」


 一拍置いて、ロックは十五分後の結末を告げた。


「もしフラムが出向かねば、奴は確実にエーデルを殺す。


「なん、だと……?」


 男性騎士は目を見開いた。もう一人の女性騎士も驚愕している。


「……あの野郎は子供ガキなんだよ」

 

 今度は、ようやく少し落ち着いたエドワードが口を開いた。


「人質の価値とか、自分の置かれた状況なんて考えねえ。自分は選ばれた人間だからなんもかもが自分の望み通りに行く。ガチでそう信じてんだよ」


 その内容に、騎士達は言葉もなかった。

 確かに報告書では極めて短絡的な人格と記されてあった。そして直接面識のある生徒達の顔色を見る限り、想像以上に厄介な人格をしているのは間違いないようだ。


「……くそ」


 男性騎士は舌打ちする。

 彼らの任務はサーシャ=フラムの護衛だ。しかし、だからといって確実に殺されると分かっている無関係な少女を見殺しにすることは出来なかった。

 一体どうすべきなのか。男性騎士は眉間に深いしわを刻んで悩んでいた。


 と、その時、


「……先輩。私に提案があります」


 そう言って、絹糸のような長い髪と、蒼い瞳を持つ少女が歩み出て来た。

 訝しげな様子で男性騎士は眉根を寄せる。


「……君は、確かエイシス団長の?」


「はい。アリシア=エイシスと申します」


 アリシアは軽く頭を下げた。

 それから二人の騎士を順に見やり、


「先程サーシャとも相談しました。先輩方。私達の提案を聞いてもらえませんか」


 淡々とした声でそう告げる。

 彼女のすぐ後ろには、覚悟を決めた銀の髪の少女の姿もあった。



(……残り五分か)


 ジラールは二機の鎧機兵と対峙したまま、校舎を見据えていた。

 かつては毎日通った場所ではあるが、もはや何の感慨もない。


(ふん。サーシャさえ、この国ともおさらばだしな)


 すでに父とその部下達は港湾区で待機している。

 ジラールも目的を果たし次第、すぐさま合流する予定だ。


(だから、さっさと来い。サーシャ)


 早くも苛立ちを抱きつつ、ジラールは沈黙していた。

 すると、その時――。


『ッ! 馬鹿な! 何故出てくる! 護衛は何をしているんだ!』


『おい! 嬢ちゃん! 校舎に戻れ!』


 対峙する騎士達が、思わず動揺の声を上げた。

 何故なら、校舎からヘルムとブレストプレートを着装した一人の少女――彼らが守るべきサーシャ=フラムが出てきたからだ。

 ようやくのご登場に、ジラールは歪な笑顔を見せた。


『やっと来たか。サーシャ』


「……ええ。久しぶりね。ジラール」


 サーシャはジラールの機体から五セージル程手前。丁度、騎士達の鎧機兵の中間辺りの位置で立ち止まった。


「指示通り来たわ。リアナを離して」


 と、サーシャは告げるが、ジラールは鼻で笑った。


『お前が来たら離すなど誰が言った? そもそも、お前は僕に命令できる立場じゃないだろう。まったく。やはり躾が必要なようだな』


 ジラールはそう告げると、《四腕餓者》にリアナを掲げさせた。

 それから、サーシャを守るように構える二機の鎧機兵に告げる。


『さて。ここは僕の舞台だ。無粋な輩には退場してもらおうか』


『……てめえ。仮にも元騎士候補生だったんだろうが。女の子を人質なんかに取って恥ずかしくねえのかよ』


 苛立ちからか、若い騎士の方が思わず挑発するような言葉をもらした。

 すると、ジラールは


『うるさいなあ……。早くどっかいけよ。


「ぐうッ!? うあ、うああああああああァ――ッ!?」


 リアナが目を見開き、絶叫を上げる。

 ギシギシ、と少女の細い身体が軋みを上げた。

 このまま殺しかねないぐらいの無造作で雑な扱いだった。


『き、貴様ッ!?』『て、てめえッ!? 何してんだ!?』


 いきなりの人質に対する信じがたい暴挙に、騎士達は青ざめた。

 たった一人しかいない人質にする対応ではない。


「――や、やめなさいッ! ジラール!」


 と、そこへサーシャが声を張り上げる。

 それから、急ぎ騎士達にも告げる。


「お二人とも下がってください! この男は本気でリアナを殺す気です!」


『……ぐッ!』『ちくしょう! こいつ何考えてんだよッ!』


 このままでは人質が殺される。

 騎士達はやむをえずゆっくりと後退した。

 そして、サーシャから十セージル以上離れたところで、


『……ふん。最初からそうしろよ』


 機嫌を良くしたジラールは、リアナにかけた握力を緩める。


『お前達はそこから動くなよ。さてサーシャ。ようやく本題に入れるな』


 サーシャはジラールの機体を睨みつける。


「……本題って、あなたは何をする気なの?」


『ふん。目的としてはお前を連れ去ることだ。あれだけ僕に苦汁を舐めさせたんだ。お前には一生かけて僕に償わせる。僕の奴隷ペットにしてやるよ』


 だがその前に、と続け、


『まずは躾からだ。今のお前は野良犬のようなものだ。僕の言うことを聞くように最初にきつく躾ておこうと思ったのさ』


 ジラールのその言い草に、サーシャは眉をしかめる。

 表には出さないが、内心では鳥肌が立つような思いだ。

 女性をおもちゃのように考える、この男の最低ぶりも相変わらずだった。


『正直な所、このままエーデルを使ってお前に従わせるのは簡単だ』


 ジラールはさらに揚々と語る。


『しかし、それでは僕の気が収まらない。お前も心からは従わないだろ。お前みたいな野良犬を躾けるのには、力を見せつけるのが一番だ』


「……力ですって?」


 サーシャは再び眉をしかめた。


「まさか、ここで私と鎧機兵で戦う気なの?」


『ああ、そのまさかさ』


 ジラールは、サーシャの言葉を肯定してくつくつと笑う。


『サーシャ。決闘だ。それも《女神の誓約》を用いた決闘をしようじゃないか!』


 いきなりそう宣言して、ジラールは愛機の四本の腕を雄々しく広げた。

 途端、遠くで隙を窺っていた鎧機兵の騎士達。そして、校舎にて息を呑んでいた生徒や教官がざわつき始めた。


『――てめえッ! 《女神の誓約》を何だと思ってんだッ!』


 と、鎧機兵に乗った若い騎士が叫ぶ。

 そして今回に限っては年配の騎士の方も黙っていなかった。

 怒りに震えるような声で、ジラールに告げる。


『《女神の誓約》の文言は陛下の御前で永遠の忠誠を誓うためのものだ。例外として永遠の愛を誓う場合も認められてはいるが、軽々しく使っていいものではないぞ』


 主君と決めた者、もしくは愛する人にのみ捧げる絶対の誓い。

 それが《女神の誓約》だった。


『ふん。だからこそだ。つまらない慣習だけど、サーシャは旧家のお嬢さまだ。《女神の誓約》で奴隷になりますって誓えば、もう逆らえないだろうしな』


 と、ジラールは気軽な口調で言い捨てた。

 騎士や教官達――及び騎士を目指す生徒達の瞳に怒気が宿る。


「……いいわ。受けましょう」


 が、その怒気を霧散させたのはサーシャの声だった。


『お、おい、お嬢ちゃん!』『フラム君! それは!』


「この男が戦う機会をくれるのなら好都合です。《女神の誓約》を軽んじるつもりもありません。絶対に勝ちます。そして、何よりも今はリアナを救うのが第一です」


 制止しようとする騎士達の声を、サーシャは淡々とした口調で遮った。

 そして一歩前に踏み出し、四本腕の鎧機兵に向けて誓う。


「《夜の女神》の御名の前に、私、サーシャ=フラムは誓います。アンディ=ジラールとの決闘において私が敗北した場合、永遠の忠誠を彼に捧げることを」


 まるで朗読するように誓いを立て、サーシャは小さく嘆息した。

 それから、ジラールに告げる。


「これでいいでしょう。さあ、あなたも誓いなさい」


『ああ、いいだろう』


 ジラールは《四腕餓者》の操縦席の中で大仰に両手を広げた。


『《夜の女神》の御名の前に、僕、アンディ=ジラールは誓おう。サーシャ=フラムとの決闘において僕が敗北した場合、すべての罪を認めて投降することを』


 と、言った直後、ジラールは堪え切れないように笑い出した。


『さあ、これで準備は出来た。サーシャ! 早くお前の機体を喚ぶんだな!』


「ええ。そうするわ」


 言って、サーシャは腰の短剣を引き抜いた。

 そして愛機の名を呼ぶ。グラウンドに築かれる光の方陣。その中から浮かび上がるのは純白の機体。右手に長剣を持ち、左腕に小さな円盾を装着した鎧機兵だ。

 サーシャの愛機である《ホルン》の姿だった。

 すぐさまサーシャは《ホルン》の中に乗り込んだ。

 ブン、と音を立て起動する白い鎧機兵。恒力値が三千五百ジンにまで至った。

 これでいつでも戦闘に入れるのだが……。


『ジラール。リアナを解放する気はないのね』


 ジラールの愛機である《四腕餓者》は、未だリアナを捕えたままだった。


『ふん。手離すと騎士どもがうるさそうだしね。だが、おかげで僕は腕の一本が使えないんだ。ハンデとしては丁度いいだろ?』


 と、ジラールは皮肉気に笑って答えた。


『僕の《四腕餓者》の恒力値は一万六千ジン。お前に勝ち目はないぞ』


 その時、サーシャは彼女にしては極めて珍しい表情を見せた。

 まるで相手を馬鹿にするような笑みを浮かべたのだ。


『よく言うわ』


 サーシャは呆れたような口調で告げる。


『あなた十万ジンの機体に乗っても負けたじゃない』


 その台詞に、ジラールから表情が消えた。


『……言ってくれたなサーシャ。奇跡は二度も起きないぞ』


 少年の声には明らかに怒気が宿っていた。

 しかし、サーシャは気にかけない。今更この程度の怒気など涼風のようなものだ。


『奇跡なんて必要ないわ。私は実力で勝つもの』


 そして一拍置いて、サーシャは吠える。


『さあ、行くわよ! ジラール!』

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