第五章 深く静かに

第174話 深く静かに①

「――くそッ! あのクズ野郎は一体どこにいんだよッ!」


 時刻は夕方の五時前。建国祭が間近に迫り、ますます盛況になる市街区。

 騎士学校が終わるのと同時に、エドワード、ロック、アリシアの三人はその大通りの一つを歩いていた。先程の苛立ち混じりの台詞は、エドワードのものだ。


「……少しは落ち着け。エド」


 と、ロックが宥めるが、エドワードの憤慨は収まらない。


「けどよ! ロック! あの野郎は!」


 ブラウンの髪の少年は、ギリと歯を軋ませる。


「フラムだけじゃなく、ユーリィさんまであんな目に遭わせたんだぞ!」


「……エド」


 ロックは神妙な顔つきで眉根を寄せた。

 エドワードの気持ちはよく分かる。昨日、サーシャから聞いたアンディ=ジラール事件のは、ロックにとっても衝撃的だった。

 なにしろ、あの事件でユーリィは一度命を落としているのだ。

 その後、サーシャとアッシュの奮闘でユーリィも助かり、事態は無事に解決したが、アンディ=ジラール自身の呆れ果てるような動機の幼稚さは別として、その実態は国家存亡クラスの大事件だったのである。

 流石に聞かされた時点では、ロック達はただ唖然としていたが、三人の中で真っ先に怒りを爆発させたのはエドワードだった。

 想いを寄せる少女が、事実上の自殺にまで追い詰められたのだ。

 これで怒りを覚えない人間はいないだろう。


「くそったれがッ!」


 まさに烈火のごとく、エドワードは怒り狂っていた。


「あの野郎は俺が見つけ出してぶっ殺す! 絶対にだッ!」


 そう吐き捨て、ずんずんと大通りを進む友人に、ロックは再び嘆息した。

 要するに、現在ロック達三人は、この王都に潜伏しているであろうアンディ=ジラールを当てもなく捜索しているのである。

 まあ、流石に当事者であるサーシャだけは真直ぐ家に帰宅させたが。

 そうして闇雲に市街区を回り、そろそろ一時間。

 エドワードのる気と怒気は、一向に衰える様子はなかった。


(やれやれ、エドの奴……。本気で怒っているな)


 ロックは心配そうな視線を、エドワードの背中に送った。

 友人になって五年。そこそこ長い付き合いなのだが、ここまで激怒するエドワードの姿を見るのは初めてだった。

 完全に冷静さを失っている。かなりまずい状態なのは明らかである。

 ロックは小さく嘆息し、それから隣を歩くアリシアに目をやった。


「なあ、エイシス。お前もエドを止めてくれないか? ジラールは単独犯じゃないんだ。あんな頭に血が上った状態でもし遭遇したら洒落にもならん」


 きっとエドワードは罠があろうが関係なく突進する。

 それがあまりに容易に想像できるので、ロックは気が気でなかった。

 しかし、アリシアは冷淡なもので――。


「それは無理よ」


 抑揚のない声でそう答える。

 予想に反したその言葉に、ロックは目を丸くした。

 いつもの彼女なら、エドワードの暴走を一緒に諫めてくれるのだが……。


「いやエイシス。エドが危険な状態なのは分かるだろう?」


「ええ、分かるわ。けど、私だって冷静って訳じゃないのよ」


 そう言って、アリシアは微笑む。

 それは、彼女に想いを寄せるロックでさえ底冷えしそうな冷笑だった。


「私だって心底腹が立っているのよ。あの男は、ユーリィちゃんを文字通り死ぬほど追いつめ、サーシャを殺そうとしたのよ。許せるはずがないじゃない」


 そう告げるアリシアの声は、実に平坦なものだった。

 しかし、それこそが、彼女の怒りが尋常ではない証でもあった。

 アリシアはとても静かに、触れれば火傷をする氷のような怒りを抱いていたのだ。


「エ、エイシス……」


 ごくりと喉を鳴らすロック。

 彼女の美貌も相まった冷酷さを肌で感じて少し怖い。

 すると、そんなロックに対し、アリシアは微かに苦笑して。


「ごめんなさい。ハルト。危険な事は避けるべきなんでしょうけど、今回は無理。私もかなりテンパってるから、フォローお願いね」


「………ぬ、ぬうぅ」


 思わずロックは呻き声を上げる。

 アリシアはふっと笑い、


「ごめんね。と、オニキスの奴、どんどん進んでいくわよ。追いかけましょう。出来ればあのクズが見つかるといいんだけど……」


 そう言って、蒼い瞳の少女は長い髪を揺らして歩みを早める。

 ロックはしばしその光景を呆然と見つめていたが、


「……やれやれだな」


 不意に目を細め、かぶりを振った。

 どうやら冷静なのは自分だけのようだ。


「ジラールよ。頼むから大人しく騎士団に捕まってくれよ」


 でなければあの二人に殺されかねない。

 暴走する級友達の背を見つめて、ロックは深々と溜息をついた。

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