第6部 『末世の教団』
プロローグ
第160話 プロローグ
ゴオオオッ、と。
真紅の火柱が、天を突く。
その炎の先には、天蓋に描かれた偽りの星々が瞬いていた。
周囲には十本の柱が円を描くように配置され、中央には火柱を放つ祭壇がある。それ以外はすべて水面に覆われていた。
途方もなく巨大かつ、神秘を宿すような空間。
そして、その場所に一人佇むのは十代後半の少女。
腰辺りまで伸ばした黒い髪が鮮やかな少女だ。
東方の大陸アロンに伝わる純白の巫女装束に身を包んだ彼女は、顔の上半分を覆う無貌の仮面を付けていた。袖と仮面の一部には炎の華の紋が刻まれている。
そこは《
盟主たる彼女が常に鎮座し、祈りを捧げる特別な空間だった。
「……姫さま」
その時、少女は後ろから呼び掛けられた。
黒髪を揺らして少女がおもむろに振り向くと、そこには壮年の男が水面に波紋を立てて片膝をつき、待機していた。
彼女の直属の部下であり、組織における実行部隊長の一人だ。
白髪が目立つ栗色の髪を持つその男の名はハン=ギシン。
ハンは、アロンにおいて和装と呼ばれる黒い服を纏っていた。
「お呼びにより参上いたしました」
と、ハンは告げる。少女はふふっと笑った。
「よく来てくれたわ。実はあなたにお願いがあるの」
「はっ。いかなることでもお申し付け下さい。姫さま」
と、ハンは片膝をついたまま、一切微動だにせずそう返す。
少女は唇を指で押さえて、クスクスと笑い、
「じゃあ、単刀直入に言うわ。あれの在り処が分かったの」
「ッ! なんとッ!」
少女の言葉に、ハンは初めて顔を上げた。
「我らの秘宝が遂に――」
「ええ、そうよ」
少女は笑みを崩さすに言う。
「あなたにはあの秘宝の奪還をお願いしたいのよ」
「おお……」
ハンは感嘆の声を上げる。
「まさに光栄の極み。我が身命をかけてでも奪還いたしますぞ」
「ありがとう。けど、きっと難しい任務になるわよ?」
「承知の上です。必ずや成し遂げて見せましょう」
ハンは再び頭を垂れ、少女に覚悟を伝える。
「……そう」
少女はゆっくりと祭壇を降り、片膝をつく男に近付いた。
「なら、せめて私はあなたに贈り物をするわ」
「贈り物、ですと?」
ハンは顔を上げ、盟主である少女の姿を見つめる。
「ええ、そう。まずはこれを」
言って少女は袖の中に手を入れ、小瓶を一つ取り出した。
そしてハンの手をそっと掴み、それを握らせる。
「……これはまさか」
ハンは目を瞠って、小瓶を凝視した。
透明な瓶の中には赤い液体が入っている。
「それは出来れば使わないでね。そしてもう一つ。これが本命よ」
そう告げて、少女は両手を杯のようにかざした。
途端、不思議な現象が起きる。
少女の漆黒の髪が淡い光を放ち、黄金へと変貌したのだ。
それと同時に、周囲の大気から彼女の掌へと向かって光が収束し始める。活性化した万物の素――星霊が集まっているのである。
そして光は徐々に形を紡ぎ、数秒後には彼女の手の中に仮面が握られていた。
彼女が付けている仮面に少し似たデザインのものだ。
「おおっ! それは《サジャの仮面》!」
と、興奮のあまり、ハンはわずかに身を乗り出す。
それに対し、少女は苦笑を浮かべて、
「正確には私の力で創ったレプリカよ。ただ、数回程度だったら本物同様に使えるはずだから、これを活用してね」
そう言って、ハンに仮面を手渡した。
「おお、姫さま……」
壮年の男は感無量の表情で盟主にかしづき、
「身に余るご厚意。もはや言葉もありません」
「ふふっ、気にしないで。無茶をお願いしているのは私の方だし。あと、少し使えそうなアドバイスもしておくわ」
少女はそう告げて、事前に知り得た情報を伝えた。
ハンは少しだけ眉根を寄せて尋ねる。
「そのような男が……?」
「ええ。きっと陽動には使えるはずよ」
少女は頷く。それから表情を引き締めて言葉を続けた。
「では、我らが秘宝の奪還を命じます。共に行く部下の選別はあなたに一任しますが、あくまで隠密任務。少数精鋭でお願いします」
「――はっ! して姫さま。かの秘宝のある地とはいずこで?」
そう問われ、少女は何故かわずかに口籠った。
が、それも一瞬ですぐに面持ちを改めると、淡々とした声で目的地を伝える。
「アティス王国」
「……アティス王国?」
ハンは眉をしかめる。
「あの一度も戦争をしたことがないという『平和の国』ですか?」
「ええ、そうよ」
ハンの問いに少女はわずかに視線を逸らして答える。
「南方の大陸セラから、さらに遥か南に位置するグラム島にある小国よ。そこに今、我らの秘宝があるの」
「……なるほど。承知しました」
ハンはそう告げると、すくっと立ち上がった。
「必ずやご期待に添えましょう。では姫さま。これにて失礼いたします」
そして盟主から賜った仮面と小瓶と手にハンは一礼する。と、同時に彼の背後に黒い扉が現れ、壮年の男はそこから立ち去っていった。
祭壇に残されたのは、いつしか黒髪に戻った少女一人だ。
「…………」
巫女装束の少女は踵を返すと、燃え上がる火柱の前に歩み寄った。
彼女は何も語らず、静かに真紅の炎を見つめる。
そうして十数秒が経ち……。
「アティス王国か」
ぽつりと呟く。
あの国には秘宝のみならず『彼』もいるはずだ。
セラ大陸有数の大国であるグレイシア皇国が誇る《七星》の一人であり、《双金葬守》の二つ名を持つ青年。
彼女がよく知る『彼』があの国にいるはずだった。
「……『
そう呟き、少女はキュッと唇をかみしめた。
思い出すのは、あの日、炎の中に消えた小さな村のこと。
そこで過ごした夢のように幸せだった日々。
「……もう、あの場所はないのね」
少女は仮面の下で目を細めて炎を凝視する。
炎は本当に無慈悲だ。
何もかもを灼き尽くし、呑み込んでしまう。
命も物も、すべて灰に変えてしまう。
「あなたの名前はクライン村の墓標であり、戒めなのね」
炎の祭壇の前で少女は呟く。
この名前を聞いただけで分かる。
きっと思い出の中の少年は、今もあの頃のように優しいままなのだろう。
あの炎でも唯一、変わらなかったものだ。
「ううん。変わらなかったのはそれだけじゃないか」
少女は長い髪を揺らしてかぶりを振った。
正確にはもう一つある。
あの日、奇跡的に救われたもう一つの命が。
この事実を偶然知った時、彼女は本当に驚いたものだ。
これを知れば、果たして『彼』は一体どんな顔をするのだろうか。
「ふふ、そんなの分かり切ったことね」
少女はクスリと笑い、天を覆う偽りの夜空を見上げた。
「ねえ、トウヤ」
そして彼女は、遥か遠い地にいる『彼』に尋ねる。
「あなたは今、何をしているの?」
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