第142話 ボーガン商会③

「へえ~、あれがボーガン商会か」


 と、呟くエドワード。

 そこは、市街区の北東にある大通りの一つ。

 家屋が横に並ぶ道であり、店舗が少ないためか、人通りはあまり多くなく、奥の方は袋小路になっているような場所だ。

 そしてその袋小路の場所にこそ、ボーガン商会は悠然と建っていた。


「……流石にデカイわね」


 と、今度はアリシアが呻くように呟く。

 アリシア達は予定通り、学校帰りにボーガン商会へと向かっていた。

 四人は石畳の道をコツコツと歩く。


「けど、良かったの? 結局オトハさんに相談できなかったし……」


 アリシアの隣を歩くサーシャがそう尋ねる。

 それはほんの三十分ほど前のこと。サーシャ達はオトハの元へと向かったのだが、運悪く教官達の会議が重なったため、会うことが出来なかったのだ。


「……私達だけじゃ危険じゃない?」


 と、不安げに眉を寄せるサーシャに対し、アリシアはふっと口角を緩めた。


「大丈夫よ。今日は施設とかを見学できるかどうか受付に聞くだけよ。レポートを書きたいとか言ってね。もしOKなら後日ってことで」


 そこでアリシアは、少し気まずげに頬をかいた。


「まぁ事後承諾になるからオトハさんには悪いなとは思うけど、その時には同行をお願いするわ。今日はむしろ学生達だけの方が油断して交渉しやすいかも知れないし」


「……なるほど。それなら危険もないか」


 と、ロックも賛同する。

 ボーガン商会は別に危険な裏組織ではない。少なくとも表向きは真っ当な企業だ。

 社会勉強に熱心な学生を演じれば、そう無下には扱わないだろう。


「そういうこと」


 アリシアはサーシャ達を順に見やり、不敵な笑みを浮かべた。


「交渉は私がするわ。皆は真面目そうな雰囲気を出して。特にオニキス。あなたには無茶な要望だと分かっているけど頑張ってね」


「おう! 任せておけ!」


 どんっと胸板を叩くエドワード。が、すぐに首を傾げた。


「ん? なんで無茶な要望なんだ?」


「あはは。オニキスのそういうところって、もう個性だね」


 と、サーシャが笑みをこぼす。

 しかし、四人がにこやかに談笑できたのはそこまでだった。


「……あ」


 不意にサーシャが足を止めた。

 つられて他の三人もその場で止まる。


「いきなりどうしたの、サーシャ?」


 と、尋ねるアリシアに、


「あ、その、商会から人が出て来たみたいなんだけど……」


 サーシャは躊躇うような口調でそう告げる。

 その声はどこか怯えているようだった。


「……? そりゃあ人の出入りぐらいあるだろう」


 エドワードはそう呟くと、眉根を寄せて商会の方へ目をやった。

 従業員から客人。商会に人が出入りするのは当然だ。

 どうしてサーシャはこんな顔をするのだろうか。

 アリシア、ロックも同様に視線を向ける。

 

 そして――彼らは硬直した。

 

 サーシャ達と五セージルほど離れた位置。

 そこには、商会のドアを背に佇む三人の男がいた。

 デザインこそ微妙に違うが、三人とも全身を黒い服で統一しており、真ん中の灰色のコートを着ている男以外は、黒い丸眼鏡をかけていた。

 サーシャ達は商会に向かっていたので、出て来たばかりの彼らとは正面から向かい合う形になる。しばし互いの視線が重なった。


「……ほう。こいつは……」


 灰色のコートを着た総髪の男がそう呟く。

 そして不躾な眼差しでサーシャとアリシアの二人を凝視し――不意に笑った。


「~~~ッ」「ッ!」


 言い知れぬ悪寒に、声も出せないサーシャとアリシア。

 まるで獲物を見つけた虎のような男の笑みに、思わず身震いする。

 ロック、エドワードも明らかに硬直していた。

 すると、総髪の男は手で表情を調整でもするかのようにあごを触ってから、友好的な笑顔を浮かべてサーシャ達に近付いてきた。二人の黒服もそれに続く。

 そして硬直したままのサーシャ達の前に立つと、


「これはこれは美しいお嬢さん方」


 仰々しい会釈をしてくる。


「私の名はアレイク=オシリスと申します。もしよろしければ、お名前をお聞かせ願えないでしょうか」


 そんなことを言われ、サーシャ達は思わず一歩後ずさった。

 答えたくない。――いや、こいつとは関わりたくない。

 サーシャとアリシアの本能が、そう告げていた。

 それは、歯牙にもかけられていないロック達も同様だった。


「……緊張されておられるのですかな?」


 しかし、眼前の男は、サーシャ達が名乗るまで動く気がないのだろう。

 表向きは、にこやかな笑顔で少女達を見つめている。


 と、その時だった。


「……おや? お前達。こんな所でどうしたのだ」


 背後からそんな声を掛けられた。

 同時に、サーシャ達四人は弾かれたように振り返る。

 アレイクと名乗った男と、その部下らしき二人の男も声の方へと視線を向けた。


「何をしているのだ? お前達は普段この地区には来ないだろうに」


「と、父さん……」


 アリシアが呆然と呟く。

 目の前には彼女の父、ガハルド=エイシスがいたのだ。

 馬に騎乗しているガハルドは、ふと気付いたように黒服の男達に目をやった。


「騎乗にて失礼。お見受けしたところ、どうやら異国の方々のようですな。私はこの子達の父親です。娘達が何か粗相でも致しましたかな」


「……え? 私は――」


 と、サーシャが反射的に声を上げようとするが、アリシアが手を掴んで止めた。

 ここは父に任せるべきだった。


「いえいえ、粗相などとんでもない。私がご息女様達の美しさに見惚れてしまい、不躾ながらお名前をお伺いしてしまった次第です」


 と、答えるアレイクに、ガハルドは苦笑を浮かべた。


「それは我が娘達には過分な評価ですな。嬉しくはありますが、失礼ながら娘達とはかなりお歳が違われるのでは?」


「ははっ、何を仰いますか。恋に年齢など関係ありませんよ」


 アレイクは冗談めいた笑みを浮かべてそう嘯く。


「とは言え、お父上の前でご息女を誘うのは、あまりにも無粋かつ無礼ですな。名残惜しくはありますが、ここは退散させて頂きましょう」


 言って、アレイクは仰々しく、ガハルド及び、サーシャ達に礼をした。

 後ろに控える二人の黒服も軽く一礼をし、アレイク達は大通りを歩いていく。

 そして、その姿が大通り横の路地裏に消えていくのを見届けると、サーシャ達四人は一斉に脱力し、揃って息を吐いた。


「な、何だったんだよ、あいつは……」


 と、エドワードがその場に尻もちを突いて呻く。

 サーシャ達は何も答えられなかった。

 これでも彼ら四人はそれなりに修羅場を潜っている。

 それにより培った直感が、あの男を前にして警鐘を鳴らしたのだ。


「まるでサーカスを見に来たら、猛獣の檻が開いていたような気分だったぜ」


「……上手いこと言うわね。オニキス」


 アリシアが疲れ切った表情で苦笑する。


「だが、本気で一歩も動けなかったぞ。何者だ、あの男」


 ロックが険しい顔で呟く。


「エドが猛獣と言うのも頷ける。俺はあの男を見て全盛時の《業蛇》を思い出したぞ」


 その台詞にも全員が沈黙する。

 《業蛇》とは、この国を長年苦しめていた固有種の魔獣の名だ。全長が三十セージルを超える巨大すぎる蛇である。かの魔獣の恐ろしさは、骨身にしみていた。

 確かにあの男の放つ気配には、それに通じるものがあったかもしれない。

 アリシアとエドワードは、ロックの連想は的確なものだと思った。


 しかし、サーシャだけは眉根を寄せる。

 それから躊躇うように、


「……そうかな? 私はむしろ――」


 と、何かを言おうとした時、


「……お前達」


 今まで黙って様子を見守っていたガハルドが呟く。

 その顔には、怒りのようなものが見える。


「と、父さん……?」


 と、困惑した声を上げるアリシア。

 ガハルドは一瞬怒鳴りつけるように口を開けるが、途中で大きく息を吐き、


「早く帰りなさい。いつまでもこんな場所にいるんじゃないぞ」


 そう告げて馬を反転させると、立ち去ってしまった。

 後に残されたのは、ポカンとする学生達だ。


「……まあ、ともかく今日は出直しましょう。見通しが甘すぎたわ。まさか出会い頭にあんな人間と遭遇するなんて思いもよらなかった」


 と、告げるアリシアに全員が頷いた。

 そして全員で、もと来た道を戻り始める。と、


「…………」


 サーシャだけが、ある場所で立ち止まった。

 あの男達が消えていった路地だ。

 サーシャは皆が歩いて行く中、一人その路地を見つめ、


「……私は、むしろ……」


 すっと胸に手を当てる。

 思い出すのは一度だけ会ったことのある人物だ。


『さて、サーシャさん。あなたの今の状況ですが……失礼ながら、あなたを誘拐させて頂きました』


 その人物の言葉が脳裏に蘇る。

 アレイクと名乗った男とは、似ても似つかぬ小男。

 しかし、サーシャは何故かあの男のことを思い出した。


「……まさか、ね」


 と、その時、


「……? サーシャ、何してるの? 帰るわよ!」


 足が立ち止まっていたサーシャに気付き、アリシアが声をかける。

 サーシャは待ってくれている級友達の方へ振り向き、


「あ、うん。分かった今行くよ」


 そう返答し、駆け足で合流するのだった。



       ◆



 その頃、路地裏にて。


「……なあ、さっきの男は何者だ?」


 コツコツと靴を鳴らしながら、アレイク――いや、ガレックが部下達に問い質す。


「……ガハルド=エイシス。この国の治安維持を担う第三騎士団の団長です。三名いる騎士団長の一人であり、侯爵の位を持つ大貴族の当主でもあります」


 この国の要人はすでに調べ上げている。

 すらすらと答える部下に、ガレックはすうっと目を細めた。


「ほう。騎士団長か。どうりで……」


 感嘆するような呟きをもらす。


「俺の威圧にも笑みを崩さねえとはな。大した胆力じゃねえか」


「それは……ただの平和ボケでは? なにしろこんな呑気で平穏な国です。危機感も鈍るのではないかと」


 そんなことを告げる部下の一人に、ガレックは眉をしかめた。

 そして一旦足を止めて振り返り、


「おいおい、それは逆だろ」


 ガレックは言う。


「第三騎士団ってのは要は治安部隊なんだろ? こんな一度も戦争したことがねえっていうお伽話みてえな国を支える連中のボスなんだぞ。お前らだって『平和』ってのが、どれだけ脆いもんなのかはよく知ってんだろ」


「そ、それは……」「確かに知っていますが……」


 と、口ごもる部下達。

 彼ら《黒陽社》は人身売買だけではなく、武器を売買する死の商人でもある。ましてや彼らが所属する第2支部は、そんな武器や兵器の開発を担う部門だ。

 ――『平和』の危うさなど当然の如く知っていた。


「確かにこの国のほとんどの連中は、当然のように『平和』を甘受してんだろうな。けどよ、あの男の眼はそんな『平和』を守ると決めた人間の眼だ。危機に対して敏感なのさ。そもそもなんであの男は、あんな都合よく出て来たんだ?」


「ッ! まさか、我々の存在を……」


 と、息を呑む部下に、ガレックは眼光を鋭くして答える。


「流石にそこまでは分かんねえな。普通に考えりゃあ、俺らじゃなくて最近キナ臭いボーガン商会を監視していた可能性の方が高いしな。まあ、いずれにしてもあそこで出て来たのは偶然なんかじゃねえよ」


「……支部長。どうなされます? あの男を探らせますか? ご命令とあらば、すぐに他の部下を手配しますが」


 真剣な面持ちで指示を窺う部下に対し、


「いや、その必要はねえよ。なにしろ現状こっちは十人もいねえんだ。人手を回す余裕なんてねえだろ。今んところ実害もねえし、ほっときな」


 そう言って、ガレックはフンと鼻を鳴らした。

 そんな豪胆な上司を前にして、部下達はわずかに眉根を寄せた。

 本当に放置してもいいのだろうか。


「……ですが支部長。危険なのでは?」


「そんじゃあ、とりあえず商会に出入りするメンバーは入れ換えておくか。あと、その格好はやめておけって通達しな。別に黒服着用は社則でもねえしな。見張られている可能性があんなら極力目立たねえ方がいいだろう」


 部下達は自分達の姿を確認して尋ねる。


「それだけで良いのでしょうか?」


「まあ、そう心配すんな。計画がもう少し進んだら対処するさ。それに俺は楽しみを後にとっとくタイプなんだよ。あの嬢ちゃん達の容姿も気に入ったが、正直、あのおっさんの眼光の方がゾクゾクしたんでな。楽しみが増えたぜ」


 ガレックは不敵な笑みを浮かべて、そんなことを宣う。


「……はあ……。まったくあなたという方は……」


 思わず呆れたように嘆息する部下達。

 そしてガレックは、くつくつと笑ってから楽しげに言い放つ。


「男も女も中々のもんじゃねえか。いいねえ、この国が好きになってきたぞ」

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