第二章 お金がない!
第135話 お金がない!①
「お~い、その荷物はこっちだぞ」
「足元にお気をつけ下さい! 市街区はあちらになります!」
「おい、もうじき出航するぞ! 荷は積み終えたか!」
と、賑やかな声が響き渡る。
周囲には蒼い空と白い雲。そして穏やかに揺れる大海原。
さざ波の音を背に帆船から降りたその黒服の男は、辺りを見渡してふと呟く。
「……へえ。思いのほか活気ある国じゃねえか」
そこは、アティス王国の港湾区。
数多くの帆船や、数隻ではあるが鉄甲船も停泊し、観光客の案内や荷降ろしなどで忙しく人々が動き回るような場所だ。
「もっとド田舎と思ってたが……これで美人が多けりゃあ文句はねえな」
灰色のコートをなびかせて、コツコツと港を歩く黒服の男――《黒陽社》の九大幹部の一人、ガレック=オージスは楽しげに笑った。
目立つことを避け、一般人と共に乗り込んだ帆船。
二週間以上もかかった船旅は実に窮屈なものだった。出来ることならば、仕事の前に息抜きでもしたいところだが……。
「お待ちしておりました。オージス支部長」
どうも、そう上手くはいかないらしい。
しかめっ面を浮かべるガレックの前に、二人の男が現れた。
共に三十代であり、全身には黒服。顔に黒い丸眼鏡をかけている男達だ。この国に先に潜入させていたガレックの部下達である。
「……けっ、仕事の早えェ奴らだな」
ついついガレックは、鋭い眼光を向けてしまう。
本来は部下達の出迎えを労うべきだが、自由な時間が潰されたようで面白くない。
と、そんな上司の心情を察したのか、部下の一人が言葉をかける。
「長旅の心労、お察しします。一段落ついた後には、支部長の心労を少しでも癒せるよう娼館をおさえてあります。ですので今はどうかご容赦を」
「ほう! 気が利くじゃねえか! 流石に俺のことが分かってんな!」
部下の気遣いに表情が明るくなるガレック。
そうと分かれば、仕事にも意欲が出るというものだ。
ガレックは部下達の肩を組むように掴むと、のしのしと歩き出した。
「んじゃあ、早速仕事を片すとするか!」
そしてニヤリと笑い、第2支部・支部長は部下達へ尋ねる。
「そんで、この国の協力者さんってのはどこにいんだい?」
◆
「……ってことで、うちの工房は大ピンチなんだよ」
アッシュは溜息混じりにそう告げた。
「「…………」」
対する女性陣は、ただただ沈黙している。
――そこは、市街区にある宿屋の一室。一階には酒場がある二階建て。ごく一般的な構造の宿屋である。現在アッシュ達が仮住まいにしている店だった。
「……はあ……」
アッシュが力なく肩を落として溜息をついた。
今、この部屋には三人の人間がいる。
アッシュ、オトハ、ユーリィのクライン工房の住人である三人だ。
二つあるベッドの一つにアッシュが腰をかけ、もう片方のベッドにユーリィとオトハが座る構図で、彼らは現状について話し合っていた。
「それはまた……まずい状況だな」
と、ようやく口を開くオトハ。その顔には渋い表情を浮かべている。
そしてユーリィも呆れ果てた声で言葉を発した。
「……あなたの頭カラッポなの? それだと交渉になってない。状況を悪化させてどうするの。天罰いる?」
「いや、けどなぁユーリィ。今回はもう最初から詰んでるような状況だぞ。俺にはこの選択肢以外思いつかねえよ」
と、愚痴めいた言い訳をするアッシュ。しかし、ユーリィの視線は冷たい。
すると、気の毒に思ったのか、オトハが助け船を出してくれた。
「まあ、そう言うな、エマリア。クラインだって頑張ったんだ。それよりも今は、この問題をどう解決するかだろう?」
言われ、ユーリィは無愛想な表情ではあったが、こくんと頷いた。
確かにその通りだ。アッシュを責めても仕方がない。
これからどうするのか。それこそが重要だった。
「……問題はどうやって金を工面するかだよな」
アッシュがそう呟き、腕を組んで天井を見上げた。
ボーガンが提示した額は、簡単には工面できないような金額だった。
「……いっそ私の力を使う? インゴットなら創造できる」
と、ユーリィがおずおずと告げる。
ユーリィの力とは《星神》としての力だった。
人々の間からごく稀に生まれ、他者の《願い》を聞き、それを叶える力を持つ神秘の種族――《星神》。それがユーリィの素性だった。
叶えられる回数や作れない物。そういった制約も多いが、今回の場合なら「金のインゴットが欲しい」と願えば、ユーリィは大気に満ちる万物の素――星霊に働きかけて創造することが出来る。
しかし、アッシュはかぶりを振った。
「ダメだ。そんな出所不明な大金、絶対探りを入れられんぞ。他国だと普通に犯罪だし、最悪お前の素姓がボーガンにバレる。それだけは避けなきゃなんねえ」
そう告げると、アッシュは立ち上がり、ポンとユーリィの頭に手を乗せた。
《星神》はその能力、その美しい容姿から人身売買の対象になりやすい。多くの者は素性を隠して暮らしていた。それはユーリィも同じだ。
アッシュにとってユーリィは家族。愛娘も同然の少女だ。
ユーリィの保護者として、この子を危険に晒すなど断じて許容できなかった。
「まあ、私も反対だな。お前の力は極力使わない方がいい」
と、オトハもアッシュの意見に同意した。
保護者二人の言葉に、ユーリィは沈黙する。と、
「……しかし、クライン。他の手段となると……大陸に出稼ぎにでも出るか?」
オトハが少しばかり期待するような口調でそう提案した。
しかし、これにもアッシュは首を横に振る。
「傭兵としてか? それも無理だろ。俺とオトの二人で荒稼ぎしても、多分三、四年はかかるぞ。時間がまるで足りねえよ」
「そ、そうか……」
大きな胸を揺らして、がっくりと肩を落とすオトハ。
内心ではアッシュと二人で傭兵生活……というものに期待していたのだ。
そんなオトハの心情を見抜き、ユーリィは不機嫌な顔で眼帯の女性を睨みつける。
(…………むう)
アッシュを狙う最も警戒すべき恋敵。
やはり侮れない女性だ。
どさくさに紛れてアッシュを傭兵稼業に戻そうとするとは。
ここは早く対応策を提示しなければ――。
「……ねえ、アッシュ」
ユーリィはくいくいとアッシュの裾を引いた。
「お金は借りられないの? 例えばアリシアさんのお父さんとか」
「騎士団長のおっさんにか?」
アリシアの父、ガハルドとは意外と懇意にしている。
妙な言い方だが、アッシュとガハルドは『お茶友』と呼べるような間柄だった。
そしてガハルドは第三騎士団長であると同時に、侯爵の位を持つ大貴族。
確かに、頼めばある程度は工面してくれるかもしれないが……。
「今回の額は頼むのには巨額すぎんだろ。鎧機兵に換算すると数十機は買える額だぞ。いくら親しくてもそこまで甘えられねえよ」
と、生真面目なアッシュはそう答えた。
アッシュの頑固な性格をよく知るユーリィとしては何も言えなくなった。
「なら、街の金貸しならどうだ?」
と、オトハが代案を提示する。
が、それに対してもアッシュは首を縦には振らなかった。
「それだけの額ともなると、それ相応の担保が必要になるぞ。まあ、《極光石》を内蔵している《朱天》と《鬼刃》の二機を担保にすりゃあ借りられるかも知んねえが、それをしちまうと最終手段の傭兵稼業も出来なくなっちまうからなあ……」
アッシュの愛機・《朱天》と、オトハの愛機・《鬼刃》は最高位の鎧機兵だ。
その内部には最高ランクの《星導石》――《極光石》が内蔵されている。《星導石》は下級であっても高額なので最高ランクともなると担保としては充分だろう。
しかし、愛機を失っては、金を借りられても返す当てがなくなってしまう。
もはや完全に泥沼に陥るコースだった。
「……はあ……」
アッシュが深々と嘆息する。
そして三人は沈黙した。いきなり案が出尽くしてしまったのだ。
誰も何も語らず、ただ時間だけが過ぎていく。
と、その時だった。
――コンコン。
「……ん?」
不意にドアがノックされ、アッシュが眉根を寄せる。
「誰か来たのか? メットさん達か?」
弟子であるサーシャの愛称を呟きつつ、アッシュはドアに寄った。
そして、ガチャリとドアノブを回した。
するとそこには――。
「……久しぶりですな。クライン殿」
「へ? 団長さん?」
ドアノブに手をかけたまま、思わず目を丸くするアッシュ。
部屋の入り口。そこに立っていたのは四十代前半の男性。黄色い騎士服とサーコートを纏う騎士であり、カイゼル髭が特徴的な大柄の人物だ。
――ガハルド=エイシス。
つい先程まで話題に挙がっていたアリシアの父親。
アッシュが苦手とする狸親父の一人が、そこにいたのだ。
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