第134話 家がない!②

(……意外とセンスのいい部屋だな)


 アッシュは通された室内に、ちらりと目をやった。

 柔らかなソファーに、上質ではあるが、華美ではない大理石の机。壁には山脈を描いた絵画が飾ってある。成金と噂されている割には、とても質素な趣のある部屋だ。

 アッシュは少しだけ口角を緩める。


(まあ、なんでも豪華と思うのは金持ちに対する偏見か……)


 そこは、王城区にあるボーガン邸。

 工房の交渉のため、ボーガン商会に訪れたアッシュだったが、何故か私邸の方へ行って欲しいと受付嬢に告げられたのだ。たらいまわしのようで不快に感じたが、まずはボーガン本人に会わなければ交渉も出来ない。アッシュは教えられた場所へと向かい、こうして応接室へと通されたのである。

 そして今、ようやく待ち望んだ人物が目の前にいた。


「……ふむ。大分入れ違いになってしまったようで申し訳ない。クライン氏」


 そう告げるのは、白髪がやや目立つ初老の紳士。

 彼こそがボーガン商会の代表者――アッシュの交渉相手であるボーガン氏だった。

 アッシュの向かい側のソファーに腰を下ろすこの老人は六十代前半だと聞くが、背筋はしっかりしており、四十代でも通じそうな若々しい覇気を放つ人物だった。


「いや、こうして会えたんだ。気にしないでくれ、ボーガンさん。ああ、それと」


 アッシュは少しバツの悪そうな顔で告げる。


「俺は田舎育ちでな。どうも敬語は苦手で使おうとすると変な感じになるんだ。すまねえが雑な言葉遣いは勘弁してくれ」


「ふふ、その程度は些細な事だ。では、私も少し砕けた口調で話そう」


 と、ボーガンは友好的な笑みを浮かべて了承した。


「……そっか。ありがとよ、ボーガンさん」


 アッシュはそう返して感謝するが、内心では嫌な予感がしていた。

 今の些細なやり取りだけで直感が告げる。

 この男は――かなりヤバい。

 かつての自分の上司。もしくはこの国の騎士団長。

 そして、散々虚仮にしてくれた宿敵であるあの小男と同じ匂いがする。

 いわゆる、海千山千の『狸親父』の匂いだ。


(……まあ、覚悟はしてたが、こいつは手強そうだ……)


 アッシュは改めて心の兜の緒を締め直した。


「さて。自己紹介も済ませたし、それでは本題に入ろうか」


 と、ボーガンは本題を切り出す。


「クライン氏。君が今日ここに来たのは――君の工房の話と考えていいのだな」


「ああ、そうさ。ボーガンさん。当然詳しい話を聞かせてくれるんだよな」


 アッシュは険しい顔つきで問い質した。

 なにしろ帰国するなりあの状況だ。苛立ちや不満は山ほどある。


「ああ、もちろんだとも」


 すると、ボーガンは苦笑を浮かべた。


「私も有刺鉄線はやりすぎだったかと反省しているのだ。だが、君はいつ帰って来るか分からなかったし、立て看板だけではいたずらと誤解されそうだったからな」


「……まあ、はっきりと帰る時期を決めていた訳じゃねえしな」


 と、呟くアッシュ。ボーガンは話を続ける。


「あの有刺鉄線は撤去しておこう。そしてクライン氏。ここからが本題だ」


 ボーガンは面持ちを鋭くしてアッシュを見据えた。


「まずは分かりやすく私の希望を先に告げておこう。私は君の工房がある――あの一帯を手に入れようと考えている」


 何となく予想はしていたが、実際に聞かされ、アッシュは眉をしかめた。


「……なんでだ? あんたがやり手の実業家なのは知っている。けど、あんな王都の端っこにあるような場所を手に入れて一体何をする気なんだよ」


「……ふむ。それはだな」


 ボーガンは一瞬だけ瞳を閉じてから、淡々と告げる。


「君の工房とその周辺地。その一帯に、私はある建物を建築するつもりなのだ」


「……建物? まさか、賭博場カジノとかじゃねえよな」


 と、皮肉気な声音で尋ねるアッシュ。

 対し、ボーガンも皮肉気な口調で返した。


「そんなものは作らんよ。あの場所では到底成算もとれんしな。私が作りたいのは別のものだ。あえて名付けるなら――農業ギルドといったところか」


「……はあ? 農業……ギルド?」


 アッシュは眉根を寄せた。

 傭兵ギルド。工房ギルド。盗賊ギルドなど。世界には様々なギルドがある。

 しかし、多くの国を旅したアッシュでも、農業ギルドというものは初めて聞く。

 すると、アッシュの困惑を察し、ボーガンが説明を始めた。


「そう。農業ギルドだ。まあ、正式名称はまた考えるとして……その実態は農民達の補佐と総括を担う施設になる」


「農民の補佐と総括?」


 未だ困惑から抜けられないアッシュに対し、老紳士は指を組んで話を続ける。


「私の新しい事業でね。この国の農業は盛んではあるが、職業としては地味なのもあって年々高齢化が目立ってきている。あそこで工房を開いている君ならよく分かるだろう」


「ああ、確かに。うちの近所にはじいさんやばあさんが多いよな」


 と、ご近所さん達を思い出しながら、アッシュは相槌を打つ。

 ボーガンは「うむ」と頷いた。


「農民の多くは市街区の店舗にまで出向いて農作物を買い取ってもらっているのが現状なのだが、正直これは高齢者にはキツイものなのだよ」


「……まあ、確かにな」


 アッシュも農家の老人が街へと野菜を売り出しに行く姿は何度も見たことがある。

 基本的に彼らは荷馬車を使うのだが、野菜の量も多くとても苦労しているようで、時々アッシュとユーリィは手伝いをしていた。


「じゃあ、農業ギルドって……」


 ここまで説明されると、何となくアッシュも実態が掴めてきた。


「ああ。要は人手不足の農家に若手の作業者を貸したり、農作物の運搬を代行したりなどして、多岐に渡って農家を補佐するギルドなのだよ。もちろん報酬も多少は頂くが、基本的には慈善事業に近い組織だな」


 と、ボーガンは言う。


「慈善事業って……なんであんたがそんなことを?」


 アッシュは素朴な疑問を口にした。

 事前に調べた噂だとこのボーガンという男は実利主義者だと聞く。

 そして実際に出会った感じでは噂通りの男のようだ。

 はっきり言って、慈善事業を口にするなど胡散臭くて仕方がない。


「ふふっ、何も目に見える数字だけが利益とは限らんのだよ」

 

 と、ボーガンは不敵な笑みをこぼす。


「ここまで言えばもう分かると思うが、要するに、我が商会は調査の結果、あの場所がギルドの詰め所を作るのに最も適していると判断したのだ。そのために今、君と交渉の場を設けたということさ」


「…………」


 アッシュは無言でボーガンを見据えた。

 いきなりの閉鎖で無茶苦茶なことをする男だと思っていたが、その目的は意外なほど真っ当なものだった。少なくとも表面上に後ろめたいことは何もない。もし農業ギルドが設立されれば、近隣の農家にとってこの上なくありがたい施設になるだろう。

 しかし、アッシュとしては失業の危機だ。簡単に受け入れられるものではない。


「あんたの要望は分かった。けど、俺はあそこで店を開いてんだ。ギルドのためにどけって言われても譲れねえよ」


「まあ、そうだろうな。しかし、あの場所を譲れないのは私も同じだ。従って、私は君の工房を買い取りたいのだよ」


「……シンプルに買収を申し出たな」


 アッシュは渋面を浮かべる。やましいことがない上での正攻法だ。

 ボーガンはふっと口角を緩める。


「その時の状況にもよるが、時に交渉は小細工なしの方が効率のいい時がある。なお私が用意した金額だが……」


 そしてボーガンは金額を告げた。

 アッシュは少し目を剥いた。かなりの高額――いや、破格の額だ。


「……また随分と高く見積もってくれたもんだな」


「移転も考慮した額だよ。それだけあの土地が欲しいのさ」


 そう嘯いて、肩をすくめるボーガン。

 対し、アッシュは眉間にしわを寄せながら思考を巡らせた。

 ……正直、条件そのものは悪くない。しかし、やはり受け入れ難かった。

 今の工房に愛着があるのは言うまでもないが、受け入れたら別の場所に工房を移転させなければならないということだ。それは非常にまずかった。

 そもそもあの土地は、苦労の果てにようやく見つけた場所なのだ。金銭的には移転は可能でも新しい場所が見つかるとはとても思えない。そうなると事実上、廃業であった。


「……もし断れば?」


 アッシュが神妙な声で問う。と、


「あまりやりたくはないが法的手段に訴える。私は禍根を残さない主義でね」


 ボーガンは、はっきりとそう告げた。

 アッシュは再び渋面を浮かべる。この国の法律では、建築物の所有者と地主では地主の意向の方が優先される。法的手段となれば恐らく勝ち目はない。


(……くそッ!)


 思わず内心で舌打ちするアッシュ。

 この展開は最悪のケースとして想定していた。何が最悪かと言うと、このケースの場合だと、代案が一つしか思いつかないことだ。


(……くそう、マジで他の案が思いつかねえよ)


 やはり今回のトラブルを解決するためには、あの方法しかないらしい。

 アッシュは指先で眉間をグッと押さえた。わずかな間、部屋に沈黙が訪れる。


(……仕方がねえ、か)


 遂にアッシュは覚悟を決め、ボーガンに告げる。


「なあ、ボーガンさん。一つ提案があるんだが――……」




 そして、二十分後。

 アッシュは市街区の大通りを一人歩いていた。

 時刻はまだ昼前。人通りも多く、店舗はどこもかしこも賑やかだ。

 しかし、アッシュの足取りは極めて重かった。


「……ああ、くそッ! やっぱこうなっちまったか……」


 はあ、と深い溜息をつく。

 結局、アッシュが提案したのはボーガンの真逆。アッシュがあの土地を買い取るというものだった。そうすれば、ボーガンには手が出せなくなるからだ。

 しかし、土地の買い取りともなると、その金額は――。


「……ちょいと笑えねえ額なんだよなあ」


 ボリボリと頭をかくアッシュ。

 十五分程の交渉の結果、一応、アッシュの提案通りに土地の買い取りの方向で話は決まった。ただし、期限付きではあるが。

 期限は一ヶ月。その間に土地を買い取るための金を捻出しなければならないのだ。


「ああ、くそったれが! あの狸親父め! できねえと思って了承しやがって!」


 アッシュは足を止めて、忌々しげに振り返る。

 ボーガン邸がある方向だ。ここからではもう見えないが、憎たらしいあの屋敷とその主人の顔を思い浮かべてアッシュは歯軋りする。


 かつての上司。この国の騎士団長。そして自分の宿敵。

 どうして自分の周りにはこんな狸親父ばかりが集まって来るのだろうか。

 全くもって泣きたくなってくる。


「……はあ。一体どうすりゃあいいんだよ」


 しかし、嘆いたところで現実は変わらない。

 お先真っ暗な未来に、深々と溜息をつくアッシュであった。

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