第89話 開戦③

 囚われし姫君――サーシャ=フラム。

 輝くような銀の髪に、神秘的な琥珀色の瞳。さらには誰もが振り返るほどのプロポーションまで持ち合わせている美しい少女。育ちの良さからくる清楚な雰囲気と温和な性格から、彼女の通う騎士学校において絶大な人気を持つ少女でもあった。


 そして現在、彼女は――。


「やあ!」


「げへえ!?」


 可愛らしい掛け声と共に、少女の後ろ回し蹴りが男の腹部に突き刺さる!

 それは、まるで城壁さえも射抜くような破壊力だった。


「て、てめえ!」


 ガクン、と膝を折って崩れ落ちる相棒の姿に青ざめつつも、もう一人の男がサーシャに襲い掛かった――が、


「やあ!」


 再び上がる気が抜けるような掛け声。

 しかし、同時に動いた美脚の速度は尋常ではない。スカートを翻して男の後頭部に上段蹴りが炸裂する。男はふっと白目を剥いて倒れ伏した……。

 床に横たわる二人の男を見やり、サーシャはふうと息を吐いた。


 一見すると、花園が似合いそうなか弱き乙女。

 しかし、サーシャはそんな見た目通りの少女ではなかった。


 これは最近になって自覚したことなのだが、彼女は実は強かったのである。

 サーシャはついこないだまで男性用の重いブレストプレートを常に装備する習慣があったのだが、ある事件で欠片も残さず消失し――結果、気付いたのだ。


 鎧を外した自分が何気に強いことに。完全に鎧はただの重りになっていたのだ。

 元々真面目に戦闘訓練を受けていたこともあり、自覚した途端、実力はメキメキと上がっていった。今や対人戦績は学年トップ。膂力だけならばオトハを軽く上回り、アッシュにさえ迫る。


 カテリーナが不意打ちで彼女を戦闘不能にしたのは、意外と好判断であった。

 ――そう。サーシャ=フラムは笑えないほどに強かったのである。


 そしてそれだけの実力を有している以上、ただ黙って囚われのお姫様を演じるような少女ではなかった。見た目は清楚であっても大人しい訳ではない。

 

 サーシャは現在の状況を考えた。

 まずこのままここにても、救出はあまり期待できない。

 もし囚われたのがユーリィならば、アッシュ達は《星読み》を使ってこの場所をすぐにでも特定できるだろう。しかし、サーシャではそれも不可能だ。

 あのボルドという男はサーシャを《商品》と呼んだ。それは逆手にとれば、サーシャが多少無茶をしても、相手としては雑には扱えないということでもあった。

 ならばここは自力での脱出を試みて見るべきだった。


 そして、サーシャは実行した。

 まず見張りの二人――今床に寝ている二人だ――に腹痛を訴えた。

 その演技力自体は彼女の友人達が見れば死んだ魚のような目をしそうなぐらい雑なものだったが、元々男達はサーシャに対してスケベ心を抱いていたのだろう。あっさりと誘いに乗った。

 そして二人を部屋に入れるなり、強制的に夢の世界へ行ってもらったのである。


「……ふう」


 サーシャは胸に手を当て、大きく息を吐く。

 かなり緊張したが、ともあれこれで道は開かれた。

 サーシャはドアを半分ほど開くと顔だけを出し、大きな窓がずらっと並ぶ廊下の前後をキョロキョロと確認する。見たところ周囲に人気はない。


(今がチャンス?)


 サーシャはそろりと廊下に出た。続いて今いる場所を確認するため、廊下の窓に近付き眼下の光景を見やる。そして……眉をしかめた。


(ここって、もしかしてどこかの港なの?)


 眼下にあるのは、周りを雑木林に囲まれた石造りの港の光景だった。

 十機ほどの鎧機兵や、十数人の人影らしきものも見えるが随分と小さい。どうやら今自分はかなり高い場所にいるようだ。


(ここは港近くの建物? けど、こんな背の高い建造物なんてあったかな?)


 さらに眉根を寄せるサーシャ。今回の旅行を楽しむため、ラッセルの名所は大体頭に叩きこんでいるのだが、思い当たる建物がない。


(う~ん、どこなんだろうここ……)


 しかし正解が思いつくまで、呑気に構えている暇もなかった。

 いずれにせよ建造物ならまずは一階を目指すべきだろう。サーシャはそう判断し、廊下を走り出した。ここは一本道だ。必ずどこかに階段があるはず。


(次の見張りが来る前に急がなくっちゃ!)


 サーシャは白いスカートの裾を両手で上げ、さらに加速する。

 かくして、囚われのお姫様は愛しい王子様が迎えに来ていることも露知らず、自力で魔王城を彷徨うことになったのだった。



       ◆



『おらよ、これでも喰らいな!』


 エドワードが威勢のよい気勢を上げる。それに合わせ、鮮やかな緑色の機体、彼の愛機・《アルゴス》が槍を突き出した!


『う、うわあああ!』


 眼前の鎧機兵が悲鳴を上げる。《アルゴス》の穂先は見事敵機の足を貫いていた。

 続けて《アルゴス》は槍を引き抜くと、円を描いて一回転。石突を敵機の頭部に叩きつける。頭部は外れこそしなかったが、大きく首を傾けた。


『おら、これで止めだ!』


 さらに《アルゴス》の猛攻は続く。傾いた首を右の拳で殴りつけたのだ。

 頭部は今度こそ胴体から外れ、勢いよく吹き飛んでいった。これでこの敵機は目を潰されたことになる。もはや戦闘不能だ。


『いっちょ上がり! 大人しく寝てな』


 念のために槍で足を払い、転倒させてからエドワードは声を上げる。


『ははっ! 次はどいつだ!』


『……どいつもこいつもないぞ。今ので最後だ』


 ズシン、と足音を立て、斧槍を手に携えて近付いてくる青い機体。

 ロックの愛機・《シアン》だ。


『へ? もう終わりかよ。俺、三機しか倒してねえぞ』


『俺も三機だな』


 ゴンゴン、と斧槍の柄で《シアン》は自分の肩を叩く。

 そこは雑木林の一角を開拓した広場。土が剥き出しにされたその場所には、現在十機の鎧機兵が無残に転がっていた。

 アリシアの《ユニコス》に誘導されて追ってきたごろつき達の鎧機兵だ。

 すでに機体の大半は胸部装甲を開いており、中の操手は逃げ出している。丁度今、最後の一機の操手がそそくさと逃走するところだった。


『予想以上に手応えがなかったわね』


 そう呟いて二機に近付いてくるのは菫色の機体。《ユニコス》だ。

 四機もの鎧機兵をあっさりと片付けたアリシアが、肩すかしとばかりに嘆息した。

 同乗するユーリィも苦笑を浮かべる。


『流石にここまで一方的になるとは思わなかった』


『まあ、素人ではこの程度だろう。それよりこれで俺達の仕事は終わりだ。エイシス。そろそろ撤退した方がよくないか?』

 

 《シアン》の中のロックが《ユニコス》を見つめて問う。

 彼らの隊長機はこくんと頷いた。


『ええ、そうね。長居は無用よ。早く撤退――』


『あらあら。これは凄惨な状況ですね』


 不意にアリシアの言葉を遮った声に、全員が息を呑む。

 全機が声のした森の奥へと振り返った。全員が武器を構えることも忘れない。

 それほどまでにこの声の主は、彼らに畏怖を植え付けているのだ。


 そして――その鎧機兵は、森の中から悠然と現れ出る。


『ふふっ、みなさんごきげんよう』


 そうにこやかに告げる機体は、真紅色の鎧機兵だった。

 全体的に丸みを帯びた甲冑を纏い、馬の尾のような兜飾りが特徴的な機体だ。

 右の肩当てには何やら黒い太陽と重ね合わせた逆十字の紋章に刻まれており、手には鎧機兵の武器としては非常に珍しいレイピアを携えている。


 これが、カテリーナ=ハリスの愛機・《羅刹》の姿だった。


『やけに騒々しいと思えば子供が騒いでいましたか。声からすると青いのがロック君。緑がエドワード君。菫色がアリシアさんと……ふふっ、《金色聖女》ですね』


 機体の中で、カテリーナが笑みを浮かべて告げる。

 そして、真紅の鎧機兵が一歩踏み出した。


『……まさか、あなたが釣れるなんてね』


 アリシアが忌々しげに吐き捨てる。この女はてっきりボルド=グレッグの護衛役だと思っていた。それが、まさかこんな所に出張ってくるとは……。


『ええ、これはしてやられましたね。もしや《天架麗人》が何かしらの陽動をしているのでは……と思い、出向いたのですが、まさかみなさんがいようとは』


 カテリーナはふうと溜息をつく。正直彼女にしても予想外だった。こんな子供達に振り回されていたことも、雇った連中がここまで使えないこともだ。


『ふん。それは残念だったな。だが、俺達にとっては僥倖だ』


 ロックが不敵に笑う。


『まあ、そうだな。リベンジマッチが出来るとは思ってなかったしな』


 エドワードがロックの台詞に続く。

 そんな二人の少年に、カテリーナは呆れ果てた声を上げた。


『リベンジマッチですか? もしかして私に挑む気なのですか?』


 そして赤い眼鏡の女性はかぶりを振り、


『……私はそこまで暇ではないのですよ。あなた達がここいるということは、下手すればボルド様は《七星》を二人も同時に相手しなければならない可能性があります。急ぎ戻らなければなりません』


 言って、踵を返そうとする《羅刹》。

 それをアリシアの声が止めた。止めざるを得なかった。


『あら、逃げるのかしらおばさん』


 ピキ、とカテリーナの額に青筋が入る。

 心なしか激怒しているように見える《羅刹》が振り返った。


『……随分と雑な挑発をしますね。アリシアさん』


 対し、アリシアの《ユニコス》は双剣を持ったまま肩をすくめて見せる。


『でも、振り返ったってことは自覚しているのよね。おばさん』


 その後も彼女は「おばさん」を連呼する。

 アリシアの挑発は、それはもう辛辣だった。

 同乗しているユーリィが頬を引きつらせ、隣でやり取りを見ているだけのロックやエドワードまで思わず怯えるほどのものだった。

 ここでカテリーナを足止めすれば、アッシュ達が有利になるという打算もあるが、何よりサーシャを連れ去られたのがよほど腹に据えかねていたのだろう。

 おかげで効果は充分すぎるほどあった。


『……いいでしょう。では、ほんの少しだけお相手してあげましょう』


 完全に目の据わったカテリーナがそう呟く。


『どこまでも上から目線の女ね。おばさん。けどね、私だって心底あなたにはムカついているのよ。覚悟しなさい! カテリーナ=ハリス!』


 雄々しく気炎を吐くアリシア。

 それに合わせて、《シアン》、《アルゴス》、《ユニコス》が身構えた。

 こうして、三機と《羅刹》の戦いが始まったのである。

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